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All are not saints that go to church. (Proverb)

 

 Bloomsbury Thematic Dictionary of Quotations セクション Hypocrisy の中で、次の文が私を惹きました。

    Man is the only animal that can remain on
    friendly terms with the victims he intends to
    eat until he eats them.

    Samuel Butler (1835-1902) British writer
    Notebooks

 
    Man is the only animal that learns by being
    hypocritical. He pretends to be polite and
    then, eventually, he becomes polite.

    Jean Kerr (1923- ) US dramatist.
    Finishing Touches

 
    Well, whiles I am a beggar, I will rail
    And say there is no sin but to be rich;
    And being rich, my virtue then shall be
    To say there is no vice but beggary.

    William Shakespeare (1564-1616) English dramatist.
    King John U:1

 
 Hypocrisy の意味は、behaviour in which somebody pretends to have moral standards or opinions that they do not actually have (OXFORD Advanced Learner's Dictionary)。

 引用文の一番目。動物の中でも人間というのは、獲物に対して外見上は親しく つきあうことができる動物であるということですね──つまり、人間は騙し討ちのできる動物である、と。猿とか ゴリラ は騙し討ちをしないのかしら、、、。ケーブル・テレビ の 「アニマル・プラネット」 の番組を観ていたら、確かに、ライオン は腹がへっていないときには近くに獲物がいても眼中にない (気に掛けていない) ようでした。そうであれば、きっと、人間の知性が hypocrisy (偽善) を生むのでしょうね──ただし、知性と云っても誑 (たぶら) かす高度な知性ですが。

 Hypocrisy のことを 「知性と云っても誑かす高度な知性」 であると私が言ったのは、hypocrisy が他人に媚びをうりながら騙し討ちしているように私には見えるからです。しかし、或る意味では、賢いのかもしれない──hypocrisy は、競争のなかで のし上がる (出世する) ための策謀の一つなのかもしれない。

 我々は社会で生活している限りでは、hypocrisy を免れている人などは一人もいないでしょう──というのは、社会では 「礼儀作法 (the rule of propriety)」 が前提とされているので。自分の本心を抑えて、従うべき作法が社会にはある。それを hypocritical と云うならば、引用文の二番目が言うように、我々は社会の作法を hypocritical であるからこそ習得できるのでしょうね。このことを生真面目に悩んだ作家 (小説家) が有島武郎氏です──彼の著作 「惜しみなく愛は奪う」 には、hypocrisy について彼が悩んで、「本能的生活」 を模索している様が綴られています。

 Hypocrisy が他人に媚びをうっているように私には見えると先ほど言いましたが、hypocritical であることは、或る意味では、体裁を繕うことでもあるので状況次第でそれは変化 (へんげ) する。本心は変わらないのに状況次第で体裁のために振る舞いを変えることは、honest [ integrity ] と対比して、節操がないと思うような [ 罪意識を感じるような ] 繊細な人もいれば (有島武郎氏がそうでしょうね)、渡世上 [ 政治的には、勝負事の ] 必要悪であると考える逞しい人もいる (マキャベリ 氏がそうでしょう)。会社などの組織のなかで仕事をしていれば、hypocritical であることは政治的には やむを得ないと考えている人たちが実際には多いのではないかしら。引用文の三番目が示している意味において、私はそれなりに hypocritical です。そうでないような人物は、出家した宗教家をおいていないのではないかしら。俗衆の徒たる私は、いっぽうで hypocritical であることに罪意識を感じているので、出家して僧門に帰した人に憧れる。

 
 (2019年 4月 1日)

 

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