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We are, in truth, more than half what we are by imitation. (Lord Chesterfield)

 

 Bloomsbury Thematic Dictionary of Quotations セクション Imitation の中で、次の文が私を惹きました。

    Imitation is the sincrest form of flattery.

    Charles Caleb Colton (?1780-1832) British clergyman and writer.
    Lacon, Vol. T

 
    A mere copier of nature can never produce
    anything great.

    Joshua Reynolds (1723-92) British portrait painter.
    Discourse to Students of the Royal Academy, 14 Dec 1770

 
 自らの生活の手本・手引きとして相手の言行を真似るには、相手に対して 「信頼」 を置いていなければできないでしょう──それを the sincerest form of flattery [ お世辞 ] と呼ぶかどうかは論議の余地があるけれど。相手の言行について一時的に逆上 (のぼ) せて見境もなく真似れば flattery [ excessive or false praise ] と云えるでしょうが、地道に学習を続けている途上で悩み苦しんで、師と呼べる人物に出会い、その師から学ぶために師 (の思想・学説) を真似るには信頼がなくてはできないでしょう。この信頼は私淑に近い。この信頼について、親鸞聖人が法然上人に対して語った ことば を私は いつも 思い起こします──

    たとひ法然上人にすかされまゐらせて、念仏して地獄に落ち
    たりとも、さらに後悔すべからずさふらふ。そのゆゑは、自分
    の行もはげみて仏になるべかりける身が、念仏をまうして地獄
    にもおちてさふらうはばこそ、すかされたてまつりてといふ、
    後悔もさふらはめ、いづれの行もおよびがたき身なれば、
    とても地獄は一定すみかぞかし (「歎異抄」)

 模倣については、「反 コンピュータ 的断章」 「反 文芸的断章」 において かつて 幾度も述べてきているので、本 エッセー で今更くどくどと繰り返すつもりはない (本 ホームページ に搭載されている検索 エンジン 「search this site」 を使って 「模倣」 を検索して該当 ページ を読んでみてください)。

 私は若い頃には 「独創」 に惹かれ 「独創」 であることに強く こだわったけれど、50歳をすぎた頃から 「独創」 ということに嫌悪感を覚えるようになりました。年齢を重ねてきて私は独創とは無縁の凡人にすぎないことがわかって──それは紛れもない事実ですが (泣)──、「独創」 であることは凡人の無い物ねだりであると悟ったという訳ではなくて、先人たちの遺産の上に私は立っているということを思い至ったが故です──社会慣習を真似て子どもが大人 [ 社会人 ] になるように、先人たちの思想を学んで [ 手本となる人たちを真似て ] 我々は成熟する。

 しかし、若者が 「独創」 を狙うことを私は軽蔑はしない。寧ろ、若い頃は 「独創」 を狙うくらいの覇気があったほうがいいと私は思っています──ただし、自らの将来に向かって 「独創」 的な人物になろうとすることはよいのですが、若者が過去に成した実績を あたかも 「独創」 の賜物であったかのように自慢するならば私は強烈な嫌悪感を覚える。若い頃に成した実績は紛れ中 (あた) りと思っていたほうがいい、たいした学習もしていないうちに独創を打ち出して己の優越感を示そうとすれば、虚勢を張ったが故の見落とし [ fatal flaws ] が出 (い) で来る。上手な模倣は年月を要する──なぜなら、模倣の手本にした人物は手本となる言行を長い年月を費やして成熟させてきたのだから。模倣について世阿弥が綴った次の文が私の言いたいことを完全に言い尽くしています──

    至りたる上手の能をば、師によく習ひては似すべし。習はで
    似すべからず。上手は、はや究め覚え終りて、さて、安き位
    に至る風躰 (ふうてい) の、見る人のため面白きを、唯面白
    きとばかり心得て初心、是れを似すれば、似せたりとは見ゆ
    れども、面白き感なし。(「花鏡」)

 ちなみに、「文学青年」 の性質が強い システム・エンジニア である私は、「花伝書」 よりも 「花鏡」 のほうに惹かれる

 
 (2019年 7月 1日)

 

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