< anti-computer-20190815
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Celerity si never more admir'd Than by the negligent.
(Antony and Cleopatra, William Shakespeare)

 

 Bloomsbury Thematic Dictionary of Quotations セクション Impetuosity の中で、次の文が私を惹きました。

    In me the need to talk is a primary impulse,
    and I can't help saying right off what comes
    to my tongue.

    Miguel de Cervantes (1547-1616) Spanish novelist.
    Don Quixote, Pt. T, Ch. 30

 
    There are some who speak one moment
    before they think.

    Jean de La Bruyere (1645-96) French satirist.
    Les Caracteres

 
 Impetuous の意味は、acting or done quickly and without thought or care。「思慮・気遣いのないままに いきなり振る舞う」 ということかな、反対語は cautious。

 私は、若い頃 (30歳代) には、impetuous だったことを認めます。人それぞれに様々な性質 (おとなしい とか血気盛んとか孤独が好きとか話し下手とか) が観られますが、青年時代 (社会的経験の少ない頃) には、他人との距離感を掴めないので自分の思いを直截に表す傾向が強いでしょう。It takes two to tango という言いかたがありますが、人里離れて自給自足の世捨て人にならない限り、我々は社会のなかで独りで生活できる訳ではない──他人との交渉を多く体験して、我々は 「社会」 を学び成熟していく。だから、青年期には社会経験が少ないので、どうしても自己を本位にして考えるし、自己本位で考えたことを述べれば 「生意気」 とか 「思慮が足らない」 とか 「若気の至り」 というふうに年配者 (社会経験の豊富な高齢者) から非難されるでしょう──この事態は、我々が 「社会」 というなかで生活している限りにおいて、いつの時代でも常の様相でしょうね。

 いい歳した大人が impetuous な言動をしているのは みっともないけれど、いっぽうで青年が老成じみたことを言う──たぶん、それは大人の言説を真似ているにすぎないと想像できますが──のは気色が悪い。私は高校生・大学生だった頃には まさに そういう 爺むさい若者でした。30歳になる前までは、私の生活は プータロウ [ ニート ] のような生活だった──定職と云える仕事 [ 自分の力を証明できる仕事 ] にも就かないで、文学・哲学の書物を読んで 「社会」 を見通した気分になって 「社会」 を見下していました (苦笑)。

 私が ニート 状態を脱したのは、30歳の頃に就職した会社で──それ以前に私は数回転職していますが──、リレーショナル・データベース を日本に普及する仕事をやるようになった時です [ 当時、リレーショナル・データベース は日本には先例がない最新鋭の ソフトウェア でした ]。ただ、リレーショナル・データベース を当初から担当した訳ではなかった──当初は、固定資産会計 の パッケージ や MRP U の パッケージ (いずれも USA の プロダクト) の日本語化・日本化を担当していました。ひょんなことから リレーショナル・データベース を担当することになって、米国に頻繁に出張するようになった。生まれてはじめて飛行機に乗って、はじめて米国に滞在した時の興奮は今以て忘れられない。以来、私は米国を大好きになった。私は仕事の技術を (日本には先例がなかったので) 米国人たちから学びました。

 以来 35年、私は 66歳の今でも データベース の技術や事業分析・データ 設計の技術 (モデル 技術) を仕事にしていますが、データベース 技術を学び始めた当初は仕事が嫌で嫌でしようがなかった。しかし、他の システム・エンジニア たちに較べて さしたる コンピュータ 技術を持っていなかった私は、リレーショナル・データベース の技術を学ぶにつれて、当時 最先端の技術を知っているという自信 [ 正確に云えば、自惚れですが (苦笑)] が大きくなってきて、私は この仕事を段々と好きになっていきました。

 最先端の技術を習得したという自信 (自惚れ) が若い年齢と相まって、20歳代の時に爺むさかった私は一転して impetuous な性向 (挑戦的で、生意気で、衝動的で短気な性質) を見せるようになった──「新しい技術を他人に教えてやる」 という自惚れた私の態度は、技術を語る前の熟考などいらないこと (米国の技術を ひたすら猿まねすること) と相まって [ というのは、その技術は私が日本のなかで一番知っていたので ]、他人の思いを配慮することなく立ち勝って しゃべるという悪弊に陥った。そして、他人を見下すようになった──その態度は、20歳代のときに社会を俗なものとして見下していたのとはちがって、高い山を他人より先に登っているという優越感から起因していたのでしょう。「井の中の蛙、大海を知らず」、若気の至りと云えば そう云えるのでしょうが、20歳代にしても 30歳代にしても いずれも 他人の知らないことを先に知っているという優越感の為せる悪弊でしょう──その優越感が 20歳代のときには爺むささとして顕れ、30歳代のときは自惚れて反省・抑制のないままに振る舞っていたにすぎない。

 私は 40歳代・50歳代のとき、数学・哲学の学習に専念しました。事業分析・データ 設計のための モデル 技術を習得するために数学・哲学を学習しなければならなかった。私の 40歳代・50歳代は混迷・困惑・惑乱の時代でした──数学・哲学の天才たちの思想・技術を学習していて自分の頭の悪さを嫌というほど思い知らされた。私は自信を喪った (自惚れが消え去った)。しかし、自信を喪ったと同時に、なにかしら落着たる気持ちが出てきたような思いがします──「我思う、故に我あり」(デカルト)、自己を疑って疑って そして疑う [ 積疑 ]、その果てに在る自己を信じる、これほど難しい そして簡単な言説はないでしょう。

 Impetuous は primary impulse だとは云っても、思考の抑制がないまま まるで保護膜が剥げて過敏な神経が直に露呈したということではないか。それは、積疑の果ての自己信頼たる悟性ではないでしょう、錯乱たる感情にすぎない。平生は粧って穏やかな人が、ふと (なにかの拍子に)、生々しい衝動的な言を放つ、そんな時、私は その人の感情の沸点 (の低さ) に驚く。その人が漏らした本音を私は忘れない [ 日頃 信頼していた人たちが そういう本音を私の面前で吐いたのを忘れはしない ]、「我を忘れる」 とか 「魔がさした」 と云うが、衝動は抑え難いし、普段 粧った人の裡に潜む本音を垣間見て、私は ドキン とすると同時に その人に失望する──「その程度の人だったのか (この人の悟性は この程度のものなのか)」 と。

 たいがいの人たち (日本人) は相手に嫌なことをされても大人の対応をして我慢に我慢を重ねて、もうこれ以上に我慢できない時 一気に怒りが爆発するという性向をもっているのではないか [ 欧米人と較べて日本人は その性向が著しいのではないかと私は思う ]。私も 勿論 心の底には すさまじい怒りを隠している──若い頃には私は怒りを衝動的に爆発させたけれど、還暦をすぎた頃から私は温和になったと云われているが温和になったのではない、憤怒は若い頃と相も変わらず私の心中に棲息している、年齢を重ねて [ 社会経験を積んで ] 怒りを発散したい衝動を飼い慣らすことが上手になったにすぎない。しかも、衝動を抑制するには、それぞれの人が めいめいの生活のなかで工夫するしかないでしょうね。ただ一つ言えることは、衝動的な言動は見苦しい。

 「衝動」 といっしょに 「即興」 とか 「破調」 ということを連想して、以前に綴った文を今ふと思い出したので再録しておきます──「私は、自らの着想を重視するあまり、無意識のうちに、推敲を軽視しているのではないか。破調は、確かに、ひとつの魅力ではあるが、そして、ときには、非常に ききめ があるのだが、美しいのは、やはり、整って流れる旋律である」(「反文芸的断章」、2004年12月23日)。生の感情が その激しさ故に他人の魂を揺さぶる訳ではない、他人を感動させる [ 説得させる ] には周到な手配がなければならない、悟性は勿論のことではあるけれど感情にも その発露には社会的規約が前提となっているのではないか。

 
 (2019年 8月15日)

 

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