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A word and a stone let go cannot be called back. (Thomas Fuller)

 

 Bloomsbury Thematic Dictionary of Quotations セクション Irrevocability の中で、次の文が私を惹きました。

    The die is cast.

    Julius Caesar (100-44 BC) Roman general and stateman.
    Said on crossing the Rubicon (49 BC) at the start of his
    campaign against Pompey.
    Attrib.

 
 Irrevocability は irrevocable の名詞形、irrevocable の語義は that cannot be changed (取消し [ 変更 ] できない) とか final。

 ここに引用した シーザー の ことば は、有名な──我々が なんらかの決意を為すときに 多々 引用される──ことば ですね。The die is cast (賽は投げられた [ もう後へは引けない ] ) の意味は、It's done, so we cannot go back where we started ですが、当たり前と言えば当たり前のことでしょう──なぜなら、時 (時間) というのは不可逆なのだから。いったん為された言動は、もし後日になって撤回するとしても (withdraw、take back、retract)、その言動が為された前の状態に戻る (修復する、回復する)ことは絶対にできないし、まして元の状態に戻るつもりのない決意を以て為された言動であれば、修復・回復など望んでもいないでしょう。

 日本の歴史上、シーザー の この ことば に類似した ことば は、明智光秀の 「敵は本能寺にあり」 という ことば を引くことができるかな。織田信長は、明智光秀の謀反であることを知ったときに、次のように言ったそうです──「是非に及ばず」 (しかたがない、やむを得ない) と。信長が どういう つもりで こう言ったのかという真意は我々には もう知る手立てもないのですが、「是非に及ばず」 の言いかたは 「是か非かを論じることができない」 ということでしょう。その使いかたとしては、次の例が辞書 (「広辞苑」) に掲載されています──「これは一代一度の事ぢや、是非に及ばぬ」 (狂言、「吹取」)。The die is cast (あるいは、「ルビコン 川を渡る」) も 「是非に及ばず」 も、一代一度のような大業を企てるときに言う ことば であって、およそ軽々しく使うものじゃないのでしょうね、言ってみれば、この事件は、成るように成ったのだが、どのようにしたところで 世間の口上に のぼるのだから 「是非は後世に委ねる (あるいは、世間の人たちに委ねる)」 と──清々しいほどの決意のほかはない。

 わが身を振り返って、「賽は投げられた」 と言えるほどの (決戦 [ 最終戦 ] の) 決意をしたことはあったか、、、そんな大それた事はなかった。今までの生活を振り返って、私の その後の生活を決定的にきめたのは 37歳のときの独立開業だった。しかし、それは私の確乎たる決意を以てやった訳ではない (妻に相談もしていない、そのときの事情は本 ホームページ のなかで かつて綴っているので割愛します)。やや確乎たる決意を以てやったことは、40歳のときに、モデル 論を探究するという覚悟をきめたことです。このときは、仕事を減らして学習研究に専念するので今までの収入を得られなくなるために──私自身は貧乏になることは 毛頭 気にもしていなかったのですが、私だけではなくて秘書 [ 会社設立時の共同経営者 ] をまきぞえにする (秘書の今までの給与を保証できなくなる) ので──、秘書には相談しました 。秘書が承諾してくれたので、その後 私は モデル 論に一心に向かうことができましたが、私の そのときの決意は 「ルビコン 川を渡る」 というような大それたものではなかった。もし私の目論みが行き詰まったら、他の やりかた を考えてみるというふうに考えていました。「この やりかた しかない (I have no choice)」 という考えかたを私は そもそも 嫌いです。様々な可能性を否認することを私は嫌悪します。

 「他に逃げ道があれば、ひとつのことに本気になれない」 というふうに言う人がいるかもしれないけれど、様々な可能性の中から一番にいいと思われることを選んだのだから、いったん選んだからには専念すればいいのであって、他の可能性も存 (あ) ることは専念しないことの言い訳にはならない。専念する しない は、当人の心の持ちかた次第でしょう。そして、もし選択したことを専念してやっても数年のうちに なんらかの成果がでないのであれば、他の可能性を選ぶべきでしょう。寧ろ、ひとつしか認めないで玉砕覚悟で進むほうが愚かだと私は思う──二者択一 (to be or not to be、live or die) というのは、豊富な現実を見くびってはいないか。二者択一というのは、「選ぶ、選ばない」 「行動する、行動しない」 という選択であって、いったん選んだことを如何なる理由があろうとも邁進することを ふくんではいないはずです。なぜなら、行動をおこした前提条件が変化すれば、そのときに 行動を 「続ける、続けない」 という二者択一の選択ができるのだから。最近読んだ英文のなかで見つけた好きな ことば──

    It takes all types (to make the world).

 
 (2020年 9月15日)

 

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