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The lazy are always wanting to do something. (Vauvenarcues)

 

 Bloomsbury Thematic Dictionary of Quotations セクション Laziness の中で、次の文が私を惹きました。

    It is better to have loafed and lost than never
    to have loafed at all.

    James Thurber (1894-1961) US humorist.
    Fables for Our Time, 'The Courtship of Arthur and AI'

 
 Laziness の類語である Idleness について、かつて (2019年 5月15日に) 「反 コンピュータ 的断章」 で扱っています── Laziness と Idleness は 共に 「怠惰」 というふうに日本語に訳されるのですが、それらの意味の違いを その エッセー のなかで述べているので、本 エッセー を読む前に今一度 確認しておいてください。このふたつの単語の意味 (ニュアンス) の違いがわからないと loaf の意味が掴めないので。

 さて、loaf の意味は、「(時・人生など) をぶらぶらして遊び暮らす」(to spend your time not doing anything, especially when you should be working) ことで、その使用例を 「新編 英和活用大辞典」 からの引用します──

    Don't loaf your life away.
    のらくらと人生を過ごすな。

    I loafed around at home all weekend.
    週末はずっと家でぶらぶらしていた。

    I spent the whole day loafing around in secondhand bookstores.
    その日は一日中古本屋をぶらぶらして過ごした。

    He loafed on the job.
    だらだらと仕事をした。

    He loafed through his four years at the university.
    大学 4年間をのらりくらりと過ごした。

    I loafed with him for an hour in the park.
    彼と一緒に公園で 1時間のんびり過ごした。

 これらの例文を読めば loaf が どのような状態のときに使われるのかを ほぼ感触がつかめたでしょう。次に、引用文のなかの lost の意味は、「道に迷った、途方にくれた、失われた、浪費された、むだに過ごした」。したがって、引用文全体の意味は、「人生 (時間) を まったく浪費してこなかったことに比べて、ぶらぶら遊び暮らしてきたほうが マシ だ (好ましい)」 ということかな── to have loafed and lost で使われている lost が一味 (ひとあじ) きいていますね。

 「Fables for Our Time」 を私は読んだことがないのですが、その書名から想像するに たぶん この書物はショート・ストーリー (短編) を複数編 集めて構成した著作でしょうね、そして この引用文は それら作品集の一篇 「The Courtship of Arthur and AI」 のなかで綴られている文です。本 エッセー を綴るための下調べとして、引用文の原典 (「The Courtship of Arthur and AI」) を ウェブ で検索したら、その物語の原文が アップロード されていました (The Internet (および WWW) は スゲー!)──「Fables for Our Time」 は、私の想像通りに短編を複数集めて構成された書物でした。それぞれの短編は、動物を擬人化した寓話集です (Aesop's Fables のような寓話集です、そして Aesop's Fables と同様に、子ども向けの童話集ではなくて大人向けの寓話集です)。 「The Courtship of Arthur and AI」 への リンク をはっておきますので、原文を読んでみてください (物語は とても短いので [ 十数行なので ] 直ぐに読破できます)──この寓話が伝える教訓・風刺は、一言でいえば 「勤勉であることはいいが、働き過ぎは (かえって) 健康を害して短命に終わる」 ということ。

 「The Courtship of Arthur and AI」 の伝えている moral を更に汎化すれば、「真面目であるのはいいが、真面目くさってはいけない」 ということになるかな。およそ 「too much」 は好く (良く・善く) ないのは尤 (もっと) もなことでしょう──「食べすぎ」 「(酒などの) 呑みすぎ」 「タバコ の吸いすぎ」 などの過度の摂取が身体に悪いのは分別ある大人であれば分かりきったことでしょう。ただ、「わかっちゃいるけど、やめられない」 というのも大人の習性かな www。知った後にやめられるものでもない、という状態は まぎれもなく中毒症状ですね。私も タバコ を やめることができない (苦笑)──私は喫煙を擁護するつもりは毛頭ないです、煙を身体のなかに入れていいことなんてない、そして他人に迷惑 (副流煙、臭い) を及ぼす、タバコ は有害な嗜好品だから公の場で禁止されて当然だと思っています (拙宅でも、タバコ を吸うことができるのは、私の書斎のみに限られています)。しかし、一仕事を終えて吸う タバコ は実に うまい。三島由紀夫氏の小説 「金閣寺」 の最後のほうで、金閣寺を放火した僧が炎上する金閣寺を観ながら タバコ を吸って一服する場面があるけれど、私は僧の気持ちが痛いほどわかる (そう言えば、三島由紀夫氏も喫煙家でした)──こういう (タバコ を吸う描写がある) 小説は、発禁にすべきでしょう www. ちなみに、私は、三島由紀夫氏の大 ファン です。

 
 (2021年 3月 1日)

 

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