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He has no leisure who uses it not. (Proverb, 17c. 中期)

 

 Bloomsbury Thematic Dictionary of Quotations セクション Leisure の中で、次の文が私を惹きました。

    Hey! Mr Tambourine Man, play a song for me
    I'm not sleepy and there is no place I'm going to.

    Bob Dylan (Robert Allen Zimmerman; 1941 - ) US popular singer.
    Mr Tambourine Man

 
 この引用文は、ボブ・ディラン 氏の歌 「Mr Tambourine Man」 のなかの歌詞ですね──彼は、Wiki によれば、「グラミー 賞や アカデミー 賞をはじめ数々の賞を受賞し、ロック の殿堂入りも果たしている。また長年の活動により、2012年に大統領自由勲章を受章している。そのほか、2008年には ピューリッツァー 賞特別賞を、2016年には歌手としては初めて ノーベル 文学賞を受賞している」。彼は、日本でも、私 (もうすぐ 68歳) よりも やや上の年代に人気のあった歌手です──私の世代で (私が大学生だった頃) 流行った 「学生街の喫茶店」 (ガロ) の歌詞のなかで彼へ言及されていたので、私の世代でも人気が或る程度あったのかもしれない、私は 「学生街の喫茶店」 を大好きでしたが、ボブ・ディラン には 全然 興味がなかった。参考のために、「学生街の喫茶店」 のなかで出てくる歌詞を次に掲載しておきます (この歌を聴くと、私の大学生時代が生々しく蘇る、、、親友と よく通った喫茶店 「シーズン」 の片隅で文学論を語って何時間も過ごした あの時の思い出が蘇る、そして もう あの時には戻れないと思うと泣きたくなる、、、)──

    君とよくこの店に 来たものさ 訳もなくお茶を飲み 話したよ
    学生でにぎやかな この店の 片隅で聴いていた ボブ・ディラン
    あの時の歌は聴こえない 人の姿も変わったよ 時は流れた

 「Mr Tambourine Man」 の歌詞を ウェブ で検索して、歌詞のすべてを読んでみました。私は、「Mr Tambourine Man」 の歌詞を読むのは初めてでした。歌詞のすべてを読んだ感想は、まるで シオラン 氏 (哲学者) の著作や萩原朔太郎氏の詩を読んでいる時と同じような感覚が生じた──私がうけた印象は、深夜から明け方に至るまでの時間のなかで [ 暇な自由時間のなかで ] 孤独な魂が虚無的な (あるいは、鋭利な) 倦怠感を味わっているという印象でした。ボブ・ディラン 氏の歌詞は難しくて文の意味は私には 皆目 わからないのですが、歌詞全体からうける印象は、大都会で働いている人が仕事を終えて、街に出て (深夜まで酒を呑んでいて、とうとう その店も閉店になって) 都会の昼の喧騒な雰囲気が ほのかに残留するなかで、為 (す) ることもないので昼の仕事のあとの疲労感と同時に倦怠 (あるいは、虚無) を味わっている、という印象でした。それと同じような印象 (感覚) を私は萩原朔太郎氏作 「月に吠える」 「青猫」 を読んだときに覚えています。

 ちなみに、leisure の意味は、time free for relaxation or enjoyment です (Pocket Oxford Dictionary)──「娯楽」 を暗示する日本語の 「レジャー」 とは必ずしも一致しない。だから、或る意味では、私のような 「引きこもりの下流老人」 は、lead a life of leisure とも言えるでしょう──終日、家に居て暇な自由時間のみですが、パソコン に向かっている生活をしていても、孤独を感じたことはないし、relaxation あるいは enjoyment を味わっています。

 一昨年の 12月、東方神起の ライブ・ツアー (東京 ドーム) を観に行くために介護施設の元同僚たち二人と事前打ち合わせするので (小手指の) 喫茶店で会談しました──喫茶店には 11:00 から 16:00まで滞在しました (東方神起について話に花が咲いた www、勿論 二時間に一度は、ちゃんと追加注文をして店に迷惑がかからないように配慮しました)。私たちの席の近くに年配の男性 (彼の外見・容貌から判断して 70歳前半くらいと思われる) が 12:00頃から座っていて、私たちが店を出るときも座っていた、彼は軽い食事をしたあとで座ったまま ぼんやりと窓の外を眺めていました、16:00 すぎまで そのまま ぼんやりと窓の外を眺めて座っていました。座って窓の外を何時間も眺めているだけの彼の振る舞いを私は奇妙に思っていたのですが、他人事なので その場の光景は私の記憶から直ぐに消え去りました。

 その後に新型 コロナ (COVID-19) が次第に蔓延してきて、私は タバコ を若い頃から 50年近く吸ってきて肺機能が弱っていると思っているので外出をひかえて stay home していましたが、用事があって外出するときには 時折 用事が済んだ夕方に狭山市駅の近くにある喫茶店に入って コーヒー を飲んで気持ちを切り替えて [ stay home モード に戻るように気持ちを切り替えるために喫茶店に入るのです ]、喫茶店の店内を見て一昨年の記憶が脳裏を ふと過 (よぎ) った──年配の人が なにをするでもなく ただ席に座って ぼんやりと店内を眺めている、そういう人が店内のあちこちに数人いた、彼らの身なりは きちんとしていましたが、誰と会う訳でもなく、なにをするでもなく、ただ店内を眺めて ぼんやりとしている。彼らを観て私が想像したのは──あくまで想像にすぎないのですが──、彼らの年齢から憶測すれば、定年退職して暇を持て余しているという印象でした。たぶん、喫茶店に来るほどの余裕がある [ 生活するに困らないほどの ] 年金をもらっているけれど、長年勤めてきた仕事を離れてからは べつに為ることがない [ 暇をもてあましている ] のかなと私は想察しました。そして、彼らはそういう暇な (自由な) 生活を つまらなそうにしていると私には見えました。彼らがどういう生活をしようが他人事だし、私の知ったことじゃないので、私は あれこれ言うつもりはないのですが、我が身にあてはめてみるとなると、私は そういう生活には堪えられない。

 「引きこもりの下流老人」 (私) は、自らのやっていることに対して充実感を味わうことができない [ ゆとりのある気分になれない ] 性質なのでしょう、つねに なにかを考えていなければ気の済まない貧乏性なのかもしれない。そのような私は、外見からみれば、一日中 机に座って パソコン に向かっていて、朝定時に職場に行く訳でもないし、目に見える生産物を造る訳でもないので、ニート 状態にいるとしか映らないでしょうね──実際、長男 (30歳) は彼が高校生の頃に私を 「世捨て人」 と言っていたし、三男 (25歳) は私を 「ニート じじい」 と言っていました www. 私は コンピュータ 界隈で仕事をしていますが、システム・エンジニア でもないし プログラマ でもないので、カミサンも子どもたちも私が どういう仕事をしているのかを今だもって わからないようです (苦笑)。ただ、私が ナマケモノ であることは確かです、一日中 机に座って パソコン に向かい考え事をしている ナマケモノ です、私のそんな性質については一昨年の 「反 コンピュータ 的断章」 で綴っているので読んでみてください

 私は、考え事ばかりしている ナマケモノ ですが、暇を持て余した非生産的な不精者ではないつもりです。中原中也 氏 (詩人) は次の詩を綴った (「山羊の歌」 のなかから 「憔悴」)──

    ひよつとしたなら昔から
    おれの手に負へたのはこの怠惰だけだつたかもしれぬ

    真面目な希望も その怠惰の中から
    憧憬したのにすぎなかつたかもしれぬ

    あゝ それにしてもそれにしても
    ゆめみるだけの 男にならうとはおもはなかつた!

 「詩人はおのれの怠惰を恥じている怠け者である」 というふうに言った フランスの詩人がいたけれど、その フランス の詩人も中原中也 氏も言っている 「怠惰」 は、暇を持て余した不精者でないのは確かでしょうね。詩人は、寧ろ、辛抱強い探究家でしょう──詩人とは、人跡のまれな土地に咲く花 (詩情) をもとめて秘境また秘境を よじ登っていく探究家でしょうね。私のような程度の凡人は、そういう詩人にはなれないけれど、その心意気は つねに持っていたい。

 
 (2021年 4月15日)

 

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