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Logic must take care of itself. (Ludwig Wittgenstein)

 

 Bloomsbury Thematic Dictionary of Quotations セクション Logic の中で、次の文が私を惹きました。

    You can only find the truth with logic if you have
    already found the truth without it.

    G. K. Chesterton (1874-1936) British writer.
    The man who was Orthodox

 
    The world is everything that is the case.

    Ludwig Wittgenstein (1889-1951) Austrian philosopher.
    Tractatus Logico-Philosophicus, Ch. 1

 
 Logic は 私が 40歳から今 (68歳) に至るまで仕事として一貫して追究してきた テーマ です、私の壮年時代を すべて 費やした学習研究であったと言っても いいほどです──数学基礎論 (現代集合論)・哲学を学んで、それらの学習を基礎にして モデル TM を制作して整えてきました。勿論、モデル TM を もっと簡単にして使いやすくするように (ただし、学問の理論から逸脱することなく) 改良を試みています。モデル TM の歴史を正確に言えば、1993年頃 (私が 40歳の頃) に その原形を作りはじめて──その原形を 「T字形 ER法」 と云いますが──、その原形が整ったのが 1998年に出版した拙著 「T字形ER データベース 設計技法」 (通称、「黒本」) でした、幸いか不幸か (実は、後述するように不幸なのですが) T字形 ER法は世間では人気を博して多くの企業に導入されて実績を積んできました、私が コンサルタント として直接関与してT字形 ER法を指導した企業ではT字形 ER法を使った システム 作りでは失敗は一度もなかった [ 政治的理由でT字形 ER法を排除された例は数社ありますが、私が直接指導してT字形 ER法を導入した企業では システム 作りは すべて成功裡に完了していました ]。しかしながら 「黒本」 を出版した時点で私はT字形 ER法に多大な不満を抱いていました、その不満とは、T字形 ER法は現場で (実際に) 使ってきた データ 設計の技術を体系化したのであって、理論的な検討を一切しないままに成功事例が豊富だというだけのことであって、喩えれば 「私は こうやって痩せること (diet) に成功した」 という程度の体験談を述べているにすぎなかった、科学的な証明 (論理的な整合性) を なんら してはいなかった。

 「黒本」 を執筆していたときに、その不満が次第に大きくなって、私は執筆しながらも学問的 (理論的) な検証をしたいと思いに駆られて数学基礎論・哲学の書籍を読み始めました──正確に言えば、「黒本」 を執筆する 2年くらい前から すでに数学基礎論・哲学の専門書を読みはじめていました。ただ その頃は、T字形 ER法の理論的な検証は簡単に終わるというふうに高をくくっていて安直に考えていました。というのは、T字形 ER法は、コッド 関係 モデル を基底にしていて、コッド 関係 モデル は Relational completeness を証明されているので、コッド 関係 モデル を基底にしているかぎりでは、T字形 ER法の理論的検証は ほんの少しの証明を加えれば簡単にできると高をくくっていました。しかし、そう簡単なことじゃなかった、、、。数学基礎論・哲学の専門書を読んでも それらの領域を正規に学習してこなかった私には それらの領域の どういう理論を使ってT字形 ER法の完全性を証明すればいいのか 皆目 わからなかった、喩えれば暗闇のなかで大海に投げだされて何処に向かって泳いでいけば陸地に辿り着けるのかがわからなくて、溺れないように ただただ 手足を バタバタ して足掻いている状態でした。「黒本」 を執筆していても、「私は嘘を綴っている (自分自身が納得していないことを執筆している)」 という罪悪感・焦燥感に襲われていて、とても辛い状態のなかで執筆していました。

 「黒本」 を出版できて私は安堵感を覚えると同時に直ぐに 「『黒本』 を否定する」 こと (数学基礎論・哲学の本格的な学習、および その学習を基礎にしたT字形 ER法の理論的研究) に取り掛かった──その学習は物に取り憑かれたと言っていいほどの一心不乱に打ち込んだ学習だった、数学基礎論・哲学の書物を 「常時」 携帯して暇さえあれば必死に (「狂ったように」 というのが 当時の私の態度を ぴったりとあらわしているかもしれない) 読み込んでいました。その学習の成果が 2000年に出版した拙著 「論理 データベース 論考」 (通称、「論考」) でした──この時点では、T字形 ER法の 「完全性」 を いまだ完全には証明できていなかったけれど、おおよそ目途はついていました。「論考」 は、世評 散々でした──私 (T字形 ER法) の ファン だった人たちからも酷評されました、しかし 「私は これを書かねばならなかった」 のです。「論考」 は、T字形 ER法を否定して モデル TM に移行する契機になった書物です、「論考」 を執筆していなければ モデル TM は生まれなかったし、旧 T字形 ER法は一時的に世間で受け入れられたけれど あのままであれば今ごろ きっと 忘れ去られていたでしょうね、なぜなら T字形 ER法は理論的検証 (整合性) を成されていないまま実績を積んできただけであって、一過性の技術として いずれは消え去る運命だったのだから。「論考」 みたいな書物は出版社が出版したがらない書物です、ああいう書物は世間 ウケ がしないので売れやしない──それにもかかわらず、「論考」 を出版していただいた SRC 社には感謝しても感謝しきれない。「論考」 は 2021年の今でも僅かながら売れています (技術書は 10年くらいが寿命であると云われていますが、「論考」 は 20年を超えて細く長く売れています)、「論考」 は私の好きな拙著です、今でも、たびたび読み返しています。

 SE と呼ばれている人たちのなかには、「論考」 みたいな書物は 「現場には必要ない」 と言う人たちが多いようですが、私も その意見には まったく同意します、数学理論から導かれる最終的な技術さえ習得すれば宜しい──「(『論考』 に書かれているような) 数学の技術など システム 作りの現場では 毛頭 必要ない」 けれど、プログラマ でも システム・エンジニア でもない私のような 「文学青年」 が ああいう書物を書かざるを得なかった 「現場の惨状」 を SE と呼ばれている人たちは わかっているのかしら。プログラマ や システム・エンジニア の仕事は、「事業を プログラミング する」 ことです、そして プログラミング の技術 (そもそも コンピュータ そのもの) は Logic (数学基礎論) から生まれてきました、すなわち数学基礎論は コンピュータ の故郷なのです、したがって数学を知らないなら知らないでいいけれど、数学を知らないことが 「現場の」 SE であることのように うそぶくのは実務家 (practitioner) を ばかにしていないか。さらに、「論考」 を執筆したがゆえに 「正美さんは学者になった」 と的外れなことを言う SE もいるようですが、私は今だかつて学者であったことはない、私も 「現場で」 仕事をしている。ただ、モデル 技術を作ったのであれば、その モデル の 「使用上の ききめ (効用性)・使いやすさ (操作性)・理論的な正しさ (整合性)」 を証明するのは制作者として当然の良心ではないか。それらが証明されていない 「独自の (?)」 の やりかたを自慢して、喩えれば 「私の恋人が一番に可愛い」 というのは勝手ですが、それが科学でないことは確かでしょうね。

 「論考」 は、数学的な技術 (構文論) の検討を重視しすぎたきらいがあった、ただ一応 それらの技術を基礎にしてT字形 ER法の技術的な誤謬・欠陥を正して再体系化したのが モデル TM です、モデル TM の初版 (TM1.0) を公にした拙著が 「データベース 設計論~T字形 ER~関係 モデル と オブジェクト 指向の統合をめざして」 (2005年出版、通称 「赤本」) です。「赤本」 では、構文論は ほぼ検討が終わったけれど──ただし、いくつかの細かな技術的欠陥を見落としていましたが──、意味論が手薄になっていました。意味論を検討するために数学基礎論・哲学の学習を続けて、2009年に 「SE のための モデル への いざない」 を出版しました (このときの TM が バーション 2.0 [ TM2.0 ] です)、この書物の特徴点は 「レーヴェンハイム・スコーレム の定理」 を僅かな ページ 数ですが扱った点です。「レーヴェンハイム・スコーレム の定理」 は、モデル の原点となった定理です。この定理を知らないと、「完全性定理」 および 「不完全性定理」 を読み込めない。そして、「赤本」 は、TM1.0 の技術的欠陥を いくつか正しています。現時点で (2021年)、TM は バージョン 3.0 です (その体系は本 ホームページ の トップページ 「TM のバーション」 のなかで PDF にて アップロード してあります)、TM3.0 については、近々 (年内か、あるいは年明け) に拙著を出版します (乞うご期待)。

 モデル 技術を作るために私は 28年も学習を続けてきました、私の壮年期のすべてを費やしたと言ってもいいでしょうね、それほど長い年月を費やしたのは私の頭が悪かったせいもあるのですが──数学基礎論・哲学の正規の学習をしてこなかった 「文学青年」 が それらを最初から学習したのだから しかたがないと言えば しかたがないのですが──、少なくとも私は世間に対して嘘を言うのを免れた (当初の技術のままであれば、確かに それを使って多大な実効はあったので一時的に持て囃されても、不完全だったので いずれ消え去ていたでしょうね)。

 さて、ここで やっと引用文に言及することになるのですが (笑)、引用文の 1番目 You can only find the truth with logic if you have already found the truth without it を私は ほぼ 30年のあいだ地でやってきたと言っていいでしょう。もし、それを途中で諦めていたら、私のような世間と反りがあわない・協調性のない・メンヘラ な 「文学青年」 は きっと 社会から落伍者になっていて世間を呪っていたでしょうね、TM は私を救ってくれた、と同時に更なる改訂の重責を私に与えている。引用文の 2番目は、私が敬愛する哲学者 ウィトゲンシュタイン 氏の ことば です、彼の思想 (彼の前期哲学) がT字形 ER法を作る契機となったことは、T字形 ER法を知っている人たちの知る所ですが、事業のなかで起こる事態 (現実的事態) は、モデル 技術を以てして記述できることに比べれば、もっと豊富です (The world is everything that is the case.)。構文論の観点から言えば、今のところ、モデル TM の (事業過程・管理過程について) 表現力は過不足ないのですが、ひょっとしたら事業環境が 今後 変わっていくにつれて モデル TM の表現力に対して修正を施さなければならなくなるかもしれない、現場で使われている技術であるかぎりにおいて、飽くなき検証 (実証) は免れない。私の頭が正常に働くかぎり、私は その検証を続けますが、もし私の知力・体力が それに堪えられなくなったならば、きっと 次の世代の人たち (「TM の会」 の会員たち) が引き継いでくれるでしょう。TM は、私の独創などない、あくまで数学基礎論・哲学の基礎技術を使っている モデル 技術です──私の独創があるとすれば、それらの基礎技術のいくつかを使って一つの モデル 技術として体系化したことくらいです。したがって、数学基礎論・哲学を学習していれば、だれでも TM に修正を加えることができる。モデル 技術は個人の持ち物ではないのだから、それが科学ということではないか。

 
 (2021年 7月15日)

 

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