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It is not the years in your life but the life in your years that counts! (Adlai Stevenson)

 

 Bloomsbury Thematic Dictionary of Quotations セクション Longevity の中で、次の文が私を惹きました。

    If you live long enough, the venerability
    factor creeps in; you get accused of things
    you never did and priased for virtues you
    never had.

    I. F. Stone (1907-89) US writer and publisher.
    Peter's Quotations, (Laurence J. Peter)

 
 Longevity の日本語訳は「長寿」、venerability は venerable の名詞形、venerable の日本語訳は 「高齢者、(高齢・人徳・高位・威厳などで)尊敬すべき人」。

 この引用文は 「皮肉」 なのかなぁ。引用文の意味は、「あなたが もし それなりに長生きしたら、年齢を重ねて威厳があるはずだという世間的評価が忍び込んでくる──そして、(長い人生のあいだに) あなたが為さなかった事について あなたは非難され、あなたが金輪際持っていない美徳を賞賛される」。この引用文は英語らしい (日本語の文化にはない)「皮肉」ですね。

 私は皮肉屋という輩を あんまし好きではない。ただ、英語が上手な人たちのあいだでは皮肉の一つも言えないようじゃ だめ みたいですね──実際、英語の日常会話でも皮肉・ジョークを言えないようなヤツは彼らとは親しくなれない。尤も、われわれ日本人は、彼の地で生活するのでなければ──出張(仕事)で ときどき 訪れる程度であれば──そういう皮肉を真似することもないでしょう、少し堅めの英語でいいと思う (私は英語が下手なので英語辞書に掲載されているような堅めの英語しかできないから負け惜しみで そう言っているにすぎないんだけどね [ 苦笑 ]、ただ ジョークは言えるに越したことはない、でも 私が言うジョークは たいがい 「さぶ~ (寒い)」 So funny I forgot to laugh. と言われるのが常です)。

 長生きすれば、それまで人生を送ってきた年数が長いのだから、年相応に 「成すべきことを為してきた」 と世間では思われるでしょうね。でも、私のような程度の凡人は、生活するうえで、「これは絶対にやるべきことだ」 と思っていても、ついつい数々の誘惑に負けて やらなかったりして (あるいは、いったん実行しても途中で投げだしたりして)、あとになって後悔することが多い (苦笑)──私は、愚図な procrastinator です、、、。その私も 今 68歳になって そろそろ 高齢者の仲間に入る、「やりたい (あるいは、やらなければならない)」 ことについて実際にやったことを一覧 リスト にしてみれば、その リスト は さぞかし 薄っぺらなものになるでしょうね。ただ、言い訳するつもりはないのですが、私のような程度の凡人が自ら納得することを成し遂げるのであれば、そこに集中して他事を諦めなければならないというのが実情です (それこそ凡人の 「引かれ者の小唄」 であると言えば それまでなのですが、、、)。

 私は、40歳から今に至るまで、モデル TM を制作・改良するという一事に集中してきました。他のことは 「意図的に」 放棄してきました。モデル 論は、いわゆる数学基礎論 (現代集合論) のなかで一つの分野となっており、数学者ではない私──プログラマ でも システム・エンジニア でもない、「文学青年」 たる私──にとって、モデル 論をはじめ数学基礎論を学習することは そうとうに 厄介な学習です。そして、この 28年のあいだ、数学基礎論に加えて哲学も学習してきました。これらの学習で手一杯であるというのが実情です。「これは (学習) できても、あれは (学習) できない」 というのが、人生という限られた時間のなかでの実情でしょう。寧ろ、なまじ いろいろなことができる人は、あれやこれや一寸囓 (かじ) るだけで、一つのことを大成できないのではないか (いわゆる 「器用貧乏」)。そして、そういう人は手軽に扱われて重要な仕事をさせてもらえないことが多いのではないか (いわゆる 「便利屋」、It doesn't pay to be too good at a lot of little things)。モデル TM の制作・改良に打ち込んできたので、社会との折りあいが悪い・鼻持ちならぬ私でも (社会の) 落伍者にならずに なんとか 生活 (人生) を続けることができました。モデル TM は私 (私の人生) を救ってくれた。私が大学生の頃に読んだ書物 (アンドレ・モーロア 氏の著作) のなかに次の文が書かれていて、当時、私は この文を座右の銘にしていました──「生きる技術とは、ひとつの攻撃​目標を選び、そこに力を集中することである」。そして、今、この文を信じて生活してきたことを嬉しく思う。

 引用文のなかの 「金輪際持っていない美徳を賞賛される」 というのは、やるべきことをやらなかったから、取り立てて失敗もしなかったし、野望・野心を抱くというようなこともしないで、他人に迷惑をかけない穏健な性質であると見做されて──実際は そうではなくて、度胸がなかった弱虫なのに──、その美徳を褒められるということかな。この点は、私にはあてはまらないわ www ──私は、我が儘で好き勝手に生活してきたから (ただし、好き勝手に生活してきたから後悔などない、という訳ではない)。「やっても、やらなくても、後悔するのであれば、(やらないよりも) やって 後悔したほうがいい」 というふうに言う人がいるけれど──「やりたい」 ことを やらないで後悔するのは論外だけれど──、やらなくてもいいこと (「余計なこと」) をしてしまったという後悔は 存外 尾を引くよ。「やる、やらない」 という選択 [ 決断 ] は、自らが 「納得するかどうか」 の問題だと思う──人生のゴール は 「納得する」 ことにあるのではないか (自分が今まで為してきたこと、そして これから為すことについて、納得できるかどうかということが生活を送る指針となるのではないか)。自らが納得するかどうかということを判断の規範にすればいいのではないか。そして、やりたいことについて いったん 納得したら、「お前の道を進め、他人には勝手な事を言わせておけ」(ダンテ)。

 
 (2021年 8月15日)

 

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