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The devil looks after his own. (Proverb)

 

 Bloomsbury Thematic Dictionary of Quotations セクション Luck の中で、次の文が私を惹きました。

    I am a great believer in luck, and I find the
    harder I work the more I have of it.

    Stephen Leacock (1869-1944) English-born Canadian
    economist and humorist.
    Literary Lapses

 
 引用文の意味は、「私は運(つき)を とても信じている、私は次のことをわかっている、仕事を一所懸命すればするほど、私は ますます 運を手にする」。この意見に私は賛同します。「運も実力のうち」 というような言い草が stereotyped な箴言みたいになっていますが、その意味を考えてみれば次のように 「解釈」 できるのではないか──仕事を一所懸命にやれば、その仕事に係わる(と思われる)周辺の物事が自らの感性 [ 感覚 ] の射程距離に入っている、すなわち それだけ巡り合わせ (chance、可能性) が増えてくる、その巡り合わせが あたかも偶然の機会のように感じられるだけであって、その巡り合わせは成るべくして成った、と。その意味では、運は incubation (孵化、抱卵、哺育、培養、潜伏増殖) に近いのではないか。あるいは、今まで見えなかった物事が研鑽を積むにつれて見えるようになってきたと言ってもいいのではないか。だから、成るべくして成ったのであって、単なる偶然の出来事ではない、それが 「実力の一つ」 と云われる所以でしょう。

 これから人生を切り開いて行く若い人たちは、どのような 「時と所 (時空)」 に我が身を置くかは徒や疎かに考えてはいけない (私の若い頃の反省です)──「時」 は われわれの一存ではどうにもならないけれど (生まれた時代を選ぶことはできなし、生まれた時代の制約束縛を避けることもできないけれど) 「所 (場所)」 は自らが選択することができる、「所」 というのは 物理的な住所は勿論のこと 仕事などの身の置き場のことです。学問をしたいのであれば、その環境を整えている然るべき──できるなら、最高級の──研究機関に身を置くべきだし、金持ちになりたければ金持ちが集まっている場所に身を置くべきだし、政治家になりたければ政治家の近くに身を置くべきでしょう、これが自らのやりたいことを実現するための最初の一歩だし、運を得る第一歩でしょう。

 しかし、なまじ器用な人は、与えられた仕事を そこそこ熟 (こな) して、周りの人たちが認めるほどの力 (と成績) を示すので、本人は好きでもない仕事を自らの適性な仕事と思い込んで、仕事について満足を感じることなく それでも仕事を続ける。そして、そうこうしているうちに虚しさが蓄積されて、或る日 突然 仕事を辞めてしまう──仕事をしていたときには、本腰を入れなくても小手先で巧くやっていたので、当然ながら、その仕事に係わる運などは気づきもしない。ただ、仕事をしていた数年間は徒に時を費やしていたにすぎない。そして、また次の仕事も同じようにやりすごす羽目になる。彼は いくつもの仕事をこなしてきてはいるけれど、一つの仕事に専念している人たちが──もし その人たちが仕事に全力を注いで仕事のなかに喜びと悲しみを体得した人たちであれば──味わっている仕事の醍醐味を 毛頭 知ることはないでしょうね。この状態は、私が 30歳すぎになるまで陥っていた状態です (苦笑)。

 そんな私にも転機が訪れました、30歳すぎに転職した会社では、当時 世界初の リレーショナル・データベース を日本に導入普及する仕事に就いた。日本には先例がないので、手本にすべき事例がないままに私は仕事をやるしかなかった、私は その仕事に全力を注ぎました、そして初めて仕事を面白いと感じた。その仕事に専念しているうちに、その仕事に係わる様々な可能性を感知しました。その可能性の一つとして、私がその後の仕事として選んだのが モデル 論だった──そして、それが私の生涯の仕事となったのです。

 データベース を専門にして モデル 論の学習研究に至るまでのあいだ数々の運があったことを私は体験してきました。だから、引用文の意見を私は共感できる。勿論、私が辿ってきた道が良かったのかどうかということは わからない、数々の運のなかで他の道を選んだほうが良かったのかもしれない。私は この道を選んで貧乏にはなったけれど──私は、この道を進むために、当時 そうとうな年収を得ていたのですが、その年収を捨てました──、仕事のなかに たのしみも悲しみも感じています。モデル 論 (モデル TM) は、私の思考力を具現した生涯の作品となった。私のような程度の凡人には、モデル TM をつくるという一つの仕事が精一杯の仕事でしたが──天才であれば、一級の仕事を数々成し遂げるのでしょうが、凡人の私には一つの成果を形にするのが精一杯でした──、約 30年弱のあいだ この一つの仕事に従事してきたこと (よそ見しないで専念できたこと) を凡人は凡人なりに誇りに思っています。

 
 (2021年12月 1日)

 

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