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What is madness? To have erroneous perceptions and to reason correctly from them.
(Voltaire, Philosophical Dictionary )

 

 Bloomsbury Thematic Dictionary of Quotations セクション Madness の中で、次の文が私を惹きました。

    We all are born mad. Some remain so.

    Samuel Beckett (1906-89) Irish novelist and dramatist.
    Waiting for Godot, Ⅱ

 
    Madness need not be all breakdown. It may
    also be break-through. It is potential
    liberation and renewal as well as enslavement
    and existential death.

    R. D. Laing (1927-89) British psychiatrist.
    The Politics of Experience, Ch. 16

 
    When we remember that we are all mad, the
    mysteries disappear and life stands explained.

    Mark Twain (Sanuel Langhorne Clemens; 1835-1910)
    US writer.

 
    Men will always be mad and those who think
    they can cure them are the maddest of all.

    Voltaire (Francois-Marie Arouet: 1694-1778) French
    writer.
    Letter, 1762

 
引用文のそれぞれの意味は次のとおり── 1番目は、「われわれは みな 理性のない状態で生まれる。(成長しても)理性のない状態そのままの人々がいる」。2番目は、「常軌を逸した状態というのは、すべて叩き壊す必要はない。それは時に躍進の突破口にもなる。それは奴隷状態や死でいるような状態のみならず自由および復活の可能性でもあるのだ」。3番目は、「われわれは みな 常軌を逸しているということを知ったとき、不可解なことは消え去り そして人生について説明できるように(人生のことはわかるように)なる」。4番目は、「人間というのは つねに 常軌を逸している、そして それを治癒できると考える人々は とりわけ 常軌を逸している人たちである」。

 Mad 状態というのは insane (精神が異常な、あるいは非常識な状態) でしょう、引用文の すべて は 「われわれは mad である」 ということを是認していますね──その点は私も まったく 同意します。生活していて、じぶんが mad であると思わないほうが奇っ怪だと私は思う。或る程度 思考力があれば、そして親の保護を離れて じぶんで生活するようになれば、じぶんの言動や社会風景を観て、「狂っている」 と思わないほうが変でしょう──そう思わない人というのは、たぶん、そうとうな optimist か とても自惚れているか、極度の自己中でしょうね。私は、opitimist で 自惚れていて自己中だけれど、それでも じぶんが狂っているという自覚をもっています。

 過去の生活を振り返ったときに、私が 30歳代に仕事を夢中になって取り組んでいた状態 (四六時中、仕事に専念していました) というのは──その仕事が その後の人生において生活の転機となったのですが──、引用文の 2番目が云うように、まさに 常軌を逸して夢中になっていたと言うほかはない。家庭生活を 或る程度 犠牲にして、その仕事に専念したことについて、私は なんら後悔を感じていない──たぶん、人生の精髄 (エッセンス) は、「願望と熱中」 (常軌を逸するほどに専念すること)ではないか。老いれば──私は 今 68歳ですが──若い頃の生活状態よりも 若い頃の精神状態 [ 願望 (野心?)] のほうを いっそう懐かしむのではないか。もし他の道を歩いていれば もっと裕福な生活を送ることができたかもしれないと思うことが 勿論 ときどき あるけれど──或る一つのことを選んだゆえに、他の可能性を捨てたという心残りは一寸あるけれど──、生活というのは様々な可能性を篩 (ふるい) に掛けながら実績を積み重ねていくことなのだから、どのような可能性を選んでも きっと 心残りは起こるのかもしれない。そして、実績こそが じぶんの歩んできた道の事実を示している。

 或る可能性を実現するために専念して取り組んでも、その可能性を実現できないで途中で失敗に終わることもある──失敗しても 即 工夫して その可能性を なんとか実現しようと専念すればいいのだけれど、時には じぶんの力が不足していて挫折して諦めることもあるだろうし、絶望することもある (私は、そういう状態も いくどか体験しています)。そういうときでも、その可能性に取り組むだけの気概と (可能性を実現するには力不足だったけれども、途中までやるだけの) 才量をもっていたというふうに私は じぶんを慰めてきました (私は、そう思うほどの optimist です-笑)。「絶望するにも才能がいる」 (小林秀雄、「続々文芸評論」)。志半ばで挫折したときには、おそらく まわりの人々から観れば、(身の程知らずと思われて) 常軌を逸しているというふうにしか見えないでしょうね。でも、「お前の道を進め、人には勝手な事を言わしておけ」 (ダンテ)。

 
 (2022年 2月 1日)

 

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