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Benefits make a man a slave. (Arabic proverb)

 

 Bloomsbury Thematic Dictionary of Quotations セクション Materialism の中で、次の文が私を惹きました。

    In a consumer society there are inevitably
    two kinds of slaves: the prisoners of
    addiction and the prisoners of envy.

    Ivan Illich (1926-2002) Austraian sociologist.
    Deschooling Society, Ch. 4

 
    Daimonds Are A Girl's Best Friend.

    Leo Robin (1899-1984) US songwriter.
    Gentlemen Prefer Blondes, song title

 
 Materialism は、唯物主義とか物質(実利)主義のこと。引用文の意味は、それぞれ、「消費社会では、二種類の奴隷が不可避的に存在する: 中毒に囚われている身と、嫉妬に囚われている身」、「ダイヤモンドは女の子のベスト・フレンド(一番の親友)である」。

 私は、家(住む所)にもファッションにも食べ物にも興味がないので、いい家に住んで いい服を着て いいものを食べたいという気が 全然 ない。豪邸に住んで高価な服を着て豪華な食事をしている人たちを見ても 全然 うらやましいとは感じない。実際、私は、ボロ な アパート に住んでいて、仕事着は作業服だし普段着 (家にいるときには) ジャージ しか着ていないし、食事も粗食です。べつに若い頃に貧乏だったから そういう生活を強いられているという訳ではなくて、私は 若い頃 「超 売れっ子」 だったので、年収は 30才代で そうとう稼いでいたけれど、当時でも金銭には 全然 興味がなかった。そして、40才になったときに、その年収を捨てて、自らの興味ある学習研究のほうへ進路を変えました。私は、37才のときに フリーランス になりました──会社組織を離れました。それまでは、まいつき一定の収入が確実に入ってきたのですが、フリーランス になったからには、生活していけるだけの生活費を稼せがなければ自分の興味の向いたことを学習研究することができない。自分の興味を抱いた学習研究をしたくて フリーランス になったので、質素な生活をしていくだけの生活費を 月々 稼いだら、それ以上は働かないで学習研究を続けてきました (今に至る 40年間、そういう生活をしてきて、なんとか survive しています)。65才から年金受給者になって、一定の年金をもらっているので、在職老齢年金の限度額を超えないように、仕事を続けています──そして、仕事のない日には 終日 家にいて昼夜逆転の生活をして、学習研究を続けています。年金は少ないのですが、贅沢をしなければ生活していけるだけの額なので、気ままな生活を送っています。

 私は、物質 (物品) に執着がない訳ではない──書物に対して強い執着をもっています。ただ、現代もの の書物には興味をそそられないので、所蔵している書物は ほとんど古典の作品です。読書や学習研究は、無料で愉しい時を与えてくれるので、読書・学習研究に専念していれば、生活費が ほとんどかからない。私独りであれば、三畳一間で充分に生活していけるのだけれど、家族がいるので、そうもいかない。ひとつだけ欲を言うなら、年金が もう少し多ければ、もう少し余裕ある生活ができるのになあと思う。若い頃、年金のことなど考えていなかったので、年金を いざ もらう時になって、その額が少ないことに びっくりしました。それでも、贅沢さえしなければ その額で生活していけるので、不満はないのですが──30才代から ワガママ な生活をしてきて、こうやって呑気に生活しているのだから、これ以上 文句を言ったら罰 (ばち) があたるでしょうね。

 私は、高校生の頃から いわゆる 「文学青年」 気質が強い性質だったので、「金銭なんて汚い」 というふうに本気で思っていました。だから、若い頃から、金銭に対して執着がなかったし、20才代頃から読んでいた道元禅師の書物の影響をうけて、金銭を儲けるとか有名になるということに対して嫌悪感を覚えていました (今でも、その気持ちは変わっていない)。勿論、事業を営んで、その努力の成果として金銭を得ることは尊いことであると頭では分かっているのですが、いかんせん 「文学青年」 気質が それを 「生理的に」 受けつけない。もし 私が高校生の頃に金銭について ちゃんとした教育をうけていれば、こうにはならなかったかもしれない。しかし、働くことが嫌いな ナマケモノ の私が、金銭について ちゃんとした教育を受けたとしても、果たして事業に興味を抱いたかどうかは疑問がのこるけれど、、、どうして、こういう性質になったのか、自分でも 分からない。でも、こういう性質も ありのままの私なので、自分の意にそぐわないことをして その 「労苦の対価」 として金銭を稼いだとしても、私は きっと 後悔するでしょうね。自己中の私は、自分が嫌なこと・後悔するであろうことをやりたくない。私は、気の置けない仲間と メール をやりとりするとき、文末に次のように私自身を揶揄しています──「引きこもりの下流老人 藤美庵主人 臥竜 MS」(笑)。こういう生活をしながら、いっぽうで (健康であるかぎり) 今の仕事 [ モデル 作成技術の情報 システム・コンサルタント ] を続けていきたいと思っています。66才を過ぎた頃から [ 私は、もうすぐ 69才になりますが ]、仕事を続けるために健康 (食生活・運動・睡眠) を極めて配慮するようになりました。70才ちかくにもなれば、物質への執着は喪うようです (ただし、私の場合には書物を除く)──前述したように、私は、もともと、物質への執着は薄かったのですが、いっそう薄くなった。物質への欲が薄らいていくのと反比例するように、食生活・運動・睡眠に配慮して、脳を作る [ 造形していく ] ことに意を注ぐようになりました。加齢とともに脳が衰えることは致し方ないのですが、できるかぎり思考力が衰えないようにして、85才くらいまでは仕事・学習研究を続けたい。ゲーテ 曰く、「世の中のものはなんでも我慢できる。しかし、幸福な日の連続だけは我慢できない」──「文学青年」 気質とは、そういう性質なのかもしれない、、、。

 
 (2022年 4月15日)

 

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