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I have executed a memorial longer lasting than bronze. (Horace)

 

 Bloomsbury Thematic Dictionary of Quotations セクション Memorials の中で、次の文が私を惹きました。

    When I am dead, and laid in grave,
    And all my bones are rotten,
    By this may I remember to
    When I should be forgotten.

    Anonymous
    On a girl's sampler, 1736

 
 Memorials は 「記念碑、記念日」、引用文の意味は、「私が死ぬとき、そして(私は)墓のなかで横たわって、やがて私の骨はすべて朽ちる、このことによって私は思い起こすだろう、私が忘れられるときを」。この英文は、詩的な文ですね。端的に言ってしまえば、「いずれ忘れ去られる」 ということかな。

 社会に多大な影響を与えて社会を変革した天才たち・英雄たちは、その名を歴史に刻んで民衆が末長く覚えているだろうけれど、そういう天才たち・英雄たちは人類のなかでも ほんの一部の人たちであって、われわれ平凡な大衆は、亡くなったときに家族の記憶には生き続けても、孫の代にもなれば、せいぜい 祖父母としての名前くらいしか記憶に残らないのが大方ではないか。私は memorials など遺したいとも思っていないし──そもそも それに値するほどの立派な仕事をしていない ニート の ナマケモノ なのだから──、この世を去るときには きれいさっぱりと何も遺さないで逝きたい。

 この世に生まれて、自分は社会に対して何か価値のある仕事をしている あるいは成功して金持ちになって有名になりたいと思うのは立派なことだと思うけれど、そう思うはずの壮年期 (40才代) には私は そういう思いが薄かった。ただ、私は、青年期 (20才代、30才代) には、有名になりたいと思っていました──その思いは壮年期には消えた、消えた理由は私には はっきりとわからない。功名心に逸る 30才代に私は次の 2つの ことば を座右の銘にしていました──「愛名は犯禁よりもあし」 (道元禅師) と 「烏滸 (をこ) の高名は為 (せ) ぬに如かず」 (保元物語)。たぶん、有名になりたいと思ういっぽうで、そんなことは下衆 (げす) いと強く思う気持ちがあったのだと思う。他人の評判なんか気にするな、昨日の自分と比べて どれだけ成長したかが大切なのであるということを自分に言い聞かせていたのだと思う。それでも、活力に溢れた青年期であれば、功名心が ときどき 頭を擡 (もた) げるので、自戒のために道元禅師と保元物語の ことば を肝に銘じていたのだと思う。

 私は 40才のときにT字形 ER法 (TM の前身) を創る旅に出ました。私の壮年期は、T字形ER法を創っている過程で、数学基礎論・哲学を本気になって学習しはじめた時期です。その学習をするために仕事を減らして学習に専念しました。私の 30才代は、データベース の技術を主な仕事にしていて、当時 日本には先例のなかった RDB を導入普及することに従事していました。当時、私は 「超 売れっ子」 になっていて、年収も そうとう得ていました。ただ、T字形 ER法を創ることに専念するために (そして、数学基礎論・哲学を学習するために) 仕事を減らしたので年収は激減して一転して貧乏になりました。37才で独立開業していたので、まいつきの安定した収入もない状態のなかで、モデル 作成技術を創るといっても 技術として ほんとうに実現できるかどうかもわからなかったし、数学基礎論・哲学を学習していても なかなかものにできずに、当時 なんの成果もないままに ただただ足掻いていたという状態でした。そういう状態にあって、他人の評判を得て有名になろうなどというのは戯言にすぎず、ひたすら自分との戦いに挑んでいた時期でした。だから、たぶん、自戒をこめて、そして自らを励ますために、道元禅師と保元物語の ことば に すがったのだと思う。

 あれから 30年弱たった今、私は有名にはならなかったけれど、TM (T字形 ER法の進化形) を創って、自ら満足のいく仕事・学習研究を成したと思っています。勿論、モデル 作成技術には完成というのは有り得ない。事業分析・データ 設計のための モデル 作成技術は、事業の変化に呼応して更新していかなければならない──技術というのは時代の要請によって変貌していくものなのだから。TM は、T字形 ER法の時もふくめれば、30年間 生き延びてきました。しかし、今後 30年間のうちに、TM を継承して更新してくれる人たちがいなければ忘れ去られるでしょう。自分が生きてきたことの証 (あかし) として、過去の実績を数え上げて自らの才量を確かめる気持ちを私はわからんでもない。「自分は、価値のある仕事をしてきた」 と思いたがる気持ちを私は同感できるけれど、いっぽうで社会というなかで、そして その歴史のなかで、一人ができることなど──天才を除けば──高が知れている。社会の歴史のなかで、個人は埋没していくというのが実態でしょうね。だから、私は、潔く この世を去りたいと思う。しかし、生きているかぎりは、「たかが仕事、されど仕事」 という意気は持っていたい。Memorials などは生きている過程の その時々の塚 (つか) にすぎないでしょう、つねに これから行く先を考えていたい、過去の実績などは排泄物です、そして排泄物を嬉嬉として誇るのは 「烏滸 (をこ)」 の沙汰であると私は思う。

 
 (2022年 7月15日)

 

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