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Nowadays, all the married men live like bachelors, and all the bachelors like married men. (Oscar Wilde)

 

 Bloomsbury Thematic Dictionary of Quotations セクション Men の中で、次の文が私を惹きました。

    A man...is so in the way in the house!

    Elizabeth Gaskell (1810-65) British novelist.
    Cranford, Ch. 1

 
 私は、この エッセー のなかで、言い古されてきた 「男女同権」 とか 「男女平等」 を述べようとは 毛頭 思っていない──そもそも 「男とは、云々」 「女とは、云々」 という言いかたを私は基本的に好まない、そういう言いかたを聞くと、私は うんざりするのです。「男女同権」 とか 「男女平等」 というのは、それぞれの人が生活のなかで自然と現れてくるでしょう。だから、私は そういうことを敢えて言われると うんざりするのです。勿論、「男女同権」 「男女平等」 を社会的文脈のなかで歴史的に調査研究している研究家には私は敬意を払っています。そして、そういう研究家が執筆した著作を私は、多くはないけれど数冊を読んできました。ただ、私が抱いている女性像というのは、私が今まで接してきた女性たちから感得した 「印象」 が すべてであると言っていいでしょう。あるいは、私の好きな作家 (小説家) の作品を読んで、無意識に影響されていることもあるでしょうね。

 私は、そもそも、抽象化・汎化 (全称化) ということを仕事以外で使うことを嫌っているようです。仕事を離れた生活では、個々の事象・事態を重視する性質が強い。だから、引用文の一文を選んだのでしょうね── Men の セクション には 14篇 記載されていたのですが、引用文のほかの文を読んでも、なんだか小難しいことを書いてあるなあという印象しかなかった。

 数学・科学を除けば、抽象化・汎化 (全称化) というのは、「傾向」 値を示しているにすぎないでしょう。数学・科学であれば、「全称ならば単称、単称ならば存在」 が成立するけれど、こと社会科学・人文科学では 「全称ならば単称」 という大前提をとるのは ムリ でしょうし、「単称ならば存在」も──この 「存在」 は存在化という意味で、いくつかの (あるいは、多くの) という意味です──標本数を多くとらないと 「傾向」 値をつかむことはできないでしょう。「Some..., others...」 (そういう人たちもいるし、他の人たちもいる) というのが生活の実態ではないか。だから、生活上のことについて、「すべての」 (全称化) とか 「みんな (皆)」 という語を多用する人を思考がずさんだなと私は思っています。

 私は女性的だ (女子力が高い)、というふうに時たま言われることがあるけれど、「女性的」 って どういうことを言うのかしら、、、男女の身体的性差を私は認めるけれど、こと 「性質 (性格)」 については私は性差を基本的に認めない (認めたくない)。勿論、身体的性差が 「性質 (性格)」 に及ぼす影響は確実に存るでしょう、しかし 「性質」 というのは ア・プリオリ (生得的) よりも ア・ポステリオリ (経験的) が大きな比重を占めるのではないか。そうでなければ、個々の人たちの 「個性」 が成り立たないではないか。クソ も ミソ もいっしょくたにされては困るでしょう www.

 
 (2022年 8月15日)

 

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