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It is easy to bear the misfortunes of others. (Proberb)

 

 Bloomsbury Thematic Dictionary of Quotations セクション Misfortune の中で、次の文が私を惹きました。

    Calamities are of two kinds. Misfortune to
    ourselves and good fortune to others.

    Ambrose Bierce (1842-?1914) US writer and journalist.
    The Devil's Dictionary

 
    We are all strong enough to bear the
    misfortunes of others.

    Duc de la Rochefoucauld (1613-80) French writer.
    Maximes, 19

 
    In the misfortune of our best friends, we
    always find something which is not
    displeasing to us.

    Duc de la Rochefoucauld
    Maximes, 99

 
 引用文 1番目の日本語訳は、「(われわれの)不幸というのは、2種類である。われわれの不幸と他人の幸運」。2番目は、「われわれは、他人の不幸(な出来事)について堪えられるほどまったく強い」。3番目は、「われわれのベスト・フレンドの不幸(逆境)のなかで、われわれは いつも われわれに対して不快でない何かを見つける」。いずれも、われわれの人間性(性質)についての皮肉ですね。

 私は、他人に対して ほどんど無関心です、自分のことしか関心がない 「自己中」 です (たぶん、大方の人たちも そうではないか)。「自己中」 とは言いながらも、他人の成功については、いくぶん心が穏やかでいることが難しい──ここで云う他人とは、自分が まったく知らない人たちではなくて、自分が 或る程度 知っている人たちのことです。この心の揺れは、突きつめれば 「嫉妬」 という感情なのでしょうね。私は、若い頃から嫉妬心が それほど生じない性質だと思っていたのですが、それでも嫉妬 (嫉み) を感じるときが若干ある。尤も、その嫉妬心も一晩眠れば、翌朝には ほとんど消え去っているのですが、ほんの一時であれ、嫉みを感じるというのは どういった理由なのかしら、、、嫉みとは逆に、いわゆる 「他人の不幸は蜜の味」 と云われるように、大嫌いな人たちが不幸に陥ったら、若干 小気味よさを感じるのは (そう感じるのは ゲス いと思うけれど) どういう理由なのかしら、、、。

 ヘシオドス(古代 ギリシア の詩人)は次の文を遺しています (「仕事と日々」)──「陶工は陶工を憎み、大工は大工を憎む。乞食は乞食をねたみ、詩人は詩人をねたむ」。自分が仕事をしているなかで [ 同業種の仕事では ]、自分とそれほど変わらない実力の他人が自分よりも成功していれば、嫉みを感じるのかもしれない。「かもしれない」 と私が言ったのは、私には そういう類いの嫉みを感じたことがないからです。私は、コンピュータ 業界で仕事をしてきて、いわゆる システム・エンジニア と呼ばれる職種ですが、私は未だかつて システム・エンジニア であった試しがない (一応、職業としては、私も システム・エンジニア を称していますが、コンピュータ 技術を ほとんど有していない私は自分のことを システム・エンジニア と思ったことがない)。だから、私は、すばらしい プログラマ や システム・エンジニア を観ても 嫉みなど一度も感じたことがない。寧ろ、私は、システム・エンジニア として一括りにされて、他の システム・エンジニア と比べられることに対して ひどく不快感を覚えています。

 私が嫉妬を覚えるのは、自らの進路上で選択しなかった道 (仕事など)──選択しようと思えば選択できたけれど、他の道を選んだために諦めたこと──において、成功 (実績) を積んでいる人たちを観た時です。その道へ私が進んでいれば、その程度の成功であれば私も成したであろうという妄想 (自惚れ) が嫉妬心を起こすようです。自らが意図的に選択しなかったことに対する未練なのかもしれない、、、。勿論、自分が選択できる射程距離内にないようなことについては、私は心を動かされることなど微塵もない。或ることを選べば、他のことを捨てなければならないというのは人生の摂理 (理法) なのですが、それでも強欲な私は捨てた [ 選ばなかった ] ことに対して心残りを感じる。それは煩悩と云えば煩悩なのでしょうが、吹っ切ることができない、、、そして、そのことが嫉妬心を生んでいるのでしょうね。それとも、それは選ばなかったことに対する後悔なのかしら、、、。でも、私は、選んだ道に対しては後悔など 毛頭 感じていないし、寧ろ この道 (選んだ仕事) は 社会に適合できなかった私が まがりなりにも 達成感 (自らの存在証明) を覚えることができたのは幸せだと思っています。しかし、しかし、捨て去った可能性が 折節 現れては私を悩ます、、、。莫妄想 (妄想する勿れ) とは云うけれど、口で言うほど生易しいことではないことを実感しています。

 
 (2022年11月15日)

 

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