× 閉じる

A widely-read man never quotes accurately...Misquotation is the pride and privilege of the learned.
(Hesketh Pearson)

 

 Bloomsbury Thematic Dictionary of Quotations セクション Misquotations の中で、次の文が私を惹きました。

    I never said, 'I want to be alone.' I only said,
    'I want to be left alone.' There is all the
    difference.

    Greta Garbo (1905-90) Swedish-born US film star.
    Garbo (John Bainbridge)

 
 引用文の日本語訳は、「『私は、一人でいたいです』 とは言っていません。『私を とにかく一人にしておいてほしいんです (放っておいてほしい、そっとしておいてほしい)』 と私は言っただけです。(このふたつは)全く以て相違します」。

 グレタ・ガルボ (Greta Garbo) さんは、サイレント 映画時代、伝説的 スター だったそうです。私の生まれる以前の俳優なので、私は彼女の映画を観たことはないですが、伝説的 スター だったということなので、世間では すごく話題になった俳優だったのでしょうね。彼女について、Wikipedia には次のような記述がされています──

    ガルボ は キャリア 初期から社交的な催しへの参加を避けて
    おり、自分ひとりあるいは少数の友人と過ごすことを好んで
    いた。ファン に サイン をしたことがなく、ファンレター に返事
    を書くこともなかった。マスコミ からの インタビュー 申し込み
    のほとんどを断り、作品宣伝に協力する契約を製作会社と結ぶ
    ことも拒否した。自身が主演女優賞に ノミネート されたときも
    含めて アカデミー 賞の会場には一度も姿を見せていない。
    ガルボ の人前や マスコミ の前に姿を見せることを嫌う姿勢は
    明らかに本心からのもので、初めのうちは撮影現場の雰囲気
    を悪くすることすらあった。しかしながら MGM は人前に出る
    ことを厭う ガルボ の態度を、無口で孤高の神秘的な女優と
    いう イメージ 作りに活用し始めた。

 この記述を頭に置いて引用文を読めば、グレタ さんの言うことが私には わかるような気がする。世間では、彼女の ことば として 「私は一人でいたい」 というように流布しているけど、彼女が言った正確な ことば は 「私を とにかく一人にしておいてほしい (放っておいてほしい、そっとしておいてほしい)」 ということだったのですね。I want to be alone というふうに引用されたのが マスコミ の記事なのか、それとも世間の人々の口上にのぼった伝聞なのかは、この引用文だけではわからないのですが、伝説的 スター であれば、マスコミ が記載して人々の口上にのぼったのかもしれないですね。マスコミ の記事は、文字制限があるので、文を どうしても簡潔に書かざるを得ない、ニュアンス が削がれてしまう。あるいは、人々の口上にのぼって伝播されるとき、文は言いやすいように短くまとめられて、ニュアンス が削がれてしまう。グレタ さんが言った ことば は、正確には 「私を とにかく一人にしておいてほしい (放っておいてほしい、そっとしておいてほしい)」 ということなので、彼女は単に孤独を愛するというだけではなくて、世間の人たち (顔を観たことのない、名前も知らない人たち) から色々と邪推される [ 事実ではないことを まことしやかに言われる ] ことを嫌っていたのでしょう。

 グレタ さんは伝説の世界的 スター だったので、世間では あることないことを言われていたのでしょうね──それは 「有名税」 といえば そうなんでしょうが、話題にされた当の本人にとっては、いいかげんにしてほしい と思うのは当然でしょう。マスコミ の標的にならない私のような庶民であっても、拙著を出版するたびに、当を得ない非難を数多くされてきました──「この人はほんとうに拙著を読んだのかな?」 というような呆れる コメント (言い掛かり?) を しょっちゅう されてきました、もうもう うんざりします。

 今年出版した拙著について、或る雑誌のなかで、記事を書いた人が私の意見を彼にとって都合のいいように引用していました──「なんで そうなるの? ちがうだろ!?」 というくらい私がびっくりするような引用でした (「TMの会」 の会員が その引用を私に伝えてくれました)。古い話になりますが、30数年前、CASE ツール について、私は マスコミ (雑誌) の取材をうけて、2時間ほど (CASE ツール を) 語ったのですが、雑誌が出版されたとき、私の意見は正反対 (真逆) の文脈のなかで (たった数行ほど) 引用されていました (苦笑)。それ以来、私は、マスコミ のいい加減さに うんざりして、マスコミ に出ることを ほとんど していない──「いっさい していない」 と言いたいのですが、「ほとんど していない」 と言ったのは、私の意見を知っている或る記者が取材するときを除いて、という意味です (その記者は、「TMの会」 の会員です)。

 雑誌の収録文字数には制限があるので、取材した情報の一部を 「切り抜いて」 報道するのは、あるいは全体を 「要約して」 報道するのは、しかたがないのですが、「切り抜き」 や 「要約」 が避けられないのであれば、正しい文脈のなかに抜粋文・要約文を置くべきでしょう。しかも、マスコミ は、人目をひくように見出しを仰々しくして、記事の中身を 「盛る」 傾向が強い、観衆目当ての演戯臭さが匂う──その意味では、私は私自身についても講演の講師を務めるのが嫌になっています ( 「反 コンピュータ 的断章」 2021年10月15日)。マスコミ は、あらかじめ 彼らの ストーリー を作っていて、ストーリー に沿うように材料を集めている実態を私は まざまざと観てきたので、私は マスコミ に出ることをしないのです、私は奇を衒って マスコミ に出ない訳じゃない。

 私の意見は、拙著のなかで語っています──勿論、書物というのは、執筆の目的と、読むための前提ならびに読者層を考慮して執筆されるので、私の意見を語り尽くすことなどできないのですが、それでも、その目的・前提の枠内では言いたいことは言っているので、拙著を評するのであれば、それらの枠内で私の書いたことが妥当かどうかを評していただきたい。そして、拙著の文を正確に引用していただきたい。読者の批評が正当であれば、私は批評を真摯に聴きます。批評というのは、書物を熟読し、それによって己れ (批評する人) 自身の感覚・思考を豊かにするものだと私は思っています。批評とは、批評する人が自らの都合のいいように他人の言説を引用して「上から目線」 で勝手な独断を述べる感想・放言ではないでしょう。ただ残念ながら、批評する人の一方的な思い込みを (しかも、その思い込みが唯一正しいものとして) 述べている批評が ほとんどなので、私は うんざりしているのです。マスコミ の報道のなかにも、このような独断・独善の臭みを私は強く感じることが多い。だから、批評する人が批評対象を丁寧に調べもしないで勝手な思い込みで ああだこうだと言うことに対して、「私を とにかく一人にしておいてほしいんです (放っておいてほしい、そっとしておいてほしい)」 という グレタ さんの気持ちを私は納得 (実感、共感) できる。

 
 (2022年12月 1日)

 

  × 閉じる