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You can have too much of a good thing. (Proverb)

 

 Bloomsbury Thematic Dictionary of Quotations セクション Moderation の中で、次の文が私を惹きました。

    Moderation is a fatal thing, Lady Hunstanton.
    Nothing succeeds like excess.

    Oscar Wilde (1854-1900) Irish-born British dramatist.
    A Woman of No Importance, Ⅲ

 
 Moderation の意味は、the quality of being reasonable and not being extreme (節度、適度、穏健、節制)。引用文の意味は、「節度(適度)というのは致命的である、過剰ほど うまくいくものはない (過剰 [ 過多 ] 成れば万事成る)。

 だいたいが過剰 (過多) を知らなければ節度 (適度) を知ることなどできないでしょう。過多を知って後に適度を知ることができるはずです。「論語」 や 「礼記」 は節度を説いていますが、節度を知るには世の中で数々の体験をしてきて、しかるのちに晩年に至って 適度をたもつことが心の平安をもたらすということが実感できるのではないか。これから世に出て事を成そうという意欲をもった青年が節度を知る訳がない。

 熱中しなければ──狂ったように度を超えて集中しなければ──、創造などできるものではないでしょう。日常生活を送るうえで、何事につけても too much (過度) が良くないことなどは少々の常識があればわかることです。社会生活を送るうえで、他人との関係では、互いに節度を守るというのは常識 (社会規範) でしょう。しかし、青年が これから自らの生活 (あるいは、技術・思想・学説など) を作ろうとするとき、前途の可能性しか拠り所ない中で、歴史上の偉人たち (思想家、哲学者、宗教家など) が書物の中で説いている節度を守って自らの願望を得られる訳がない──節度というのは、過度を知った後に辿り着く境地であって、節度を説いた偉人たちも きっと 若い頃には過度に走ったはずです、そうでなければ彼ら偉人たちは歴史に遺るような業績を成すことはできなかったでしょう。「此道の境を越ねば、其別 (わか) ち了 (さと) り難し」 (「色道小鏡」)。

 「若気の至り」 というのは、若さの余り、血気に逸って思慮分別を失うことを云うけれど、若者は少々やんちゃなほうがいい、そういう青年を私は好きです (私自身が青年期には やんちゃ であったので)──勿論、この やんちゃ というのは、自らの生活 (技術、思想、学説など) を作るために集中しているがゆえに逸脱したことを言っていて、そういうふうに自らと真摯に向きあう努力をしないで単に放縦に流れて他人に迷惑を及ぼすだけの無頼のことではない。「若気の至り」 というのは、過度に走った青年が他人に対して無遠慮に振る舞いながらも実績をいくつか成してきて、壮年期を経て、やがて老齢になって自らの遍歴を振り返ったときに青年期における無謀に対する反省を吐露した ことば でしょうね。そして、そのときにはじめて、老年を穏やかに過ごすには節度が大切であるという叡知ををわれわれは実感するに至るのではないか。節度について、司馬遷は次のように言っています──

    欲して而して止むを知らざれば、其の欲する所以を失ふ。
    有して而して足るを知らざれば、其の有する所以を失ふ。
    (「史記」)

 欲することや有するものを失わない此道の境 (すなわち、節度) を知るには、われわれは 存外 長い年月を要するようですね──前途に可能性が広がっている青年期には専ら前進することに思いを巡らせて、人生を振り返る老年期に至って漸 (ようや) く 「足るを知る」 というのが われわれ凡人の後知恵ではないか、、、。創造するか、あるいは来たるべき創造を準備するということが青年期の特権でしょう、その渦中にいて足掻いている青年が節度などを知る訳がない。青年が節度を守って生活している態度は、それはそれで 「優等生」 なのでしょうが、私は そういう青年を好きにはなれない。

 
 (2023年 1月15日)

 

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