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To live, to have so much ambition, to suffer, to cry, to fight and, at the end, forgetfulness...
as if I had never existed. (Marie Bashkertsev)

 

 Bloomsbury Thematic Dictionary of Quotations セクション Mortality の中で、次の文が私を惹きました。

    All men are mortal.

    Proverb.

 
    The life so short, the craft so long to learn.

    Hippocrates (c. 460-c. 377 BC) Greek physician.
    Describing medicine. It is often quoted in Latin as Ars longa,
    vita brevis
, and interpreted as 'Art lasts, life is short'.
    Aphorisms, Ⅰ

 
 Mortality (死、死ぬ運命) の セクション には 24篇が収録されていますが、それら 24篇の ほとんどは (文学上あるいは宗教上の)詩的な引用文なので、若い頃の私であれば感応したのでしょうが、70歳になる今では、日本人の男性の平均寿命が 82歳であることを慮れば、死ぬ運命というのが次第に空想ではなくなってきて、mortality の詩的表現には感応しなくなっています。私の心に響いたのは、避けられない現実を端的に記述した上記の 2篇でした。

 引用文 1番目の日本語訳は、「人間はすべて死ぬ運命である」。
 それを頭のなかでわかってはいても、さて わが身においては実感がない。親・親族・親友など身近な人たちの死をいくどか目の当たりにしてきたけれど、死が わが身にも いずれ訪れることの現実味を私は感じなかった。しかし、いっぽうで わが身は確実に次第に老いていっていることを感じている──でも、その延長線上にある死については、まるで霧に包まれた行く手のように朧気なままで、その道を もたもた歩き続けて、終着 [ 死 ] などないように思っている。

 だれも死の体験談を語ることなどできない、だから死ぬことを考えても、想像上の死でしかない。亡きオヤジ (私の父、享年 74歳) が癌を患い余命宣告されたとき、いかなる気持ちだったのか、、、そして死を迎えるまでのあいだ、オヤジ の心情は いかなるものだったのか、、、私が もし オヤジ と同じ状態になったとき、私は なにを思うのか、、、死の前後に来る思いについて どんな憶測をしていても、所詮 憶測にすぎない。それぞれの人がそれぞれの思いで命を閉じる、いかようにもせよ死ぬということは自らの人生に ピリオド を打つことであって、ピリオド を打ってはじめて その人の人生の 「意味」 が明らかになるのだから、死というのは厳粛な瞬間なのでしょうね。

 私は若い頃に自らの死にかたを想像したとき、遥かに空想的だった──老いた私は海辺の松林で坐禅して絶命する、その後に海辺に遊びにきた子どもたちが白骨になった私を見つけて気味悪そうに やや離れて観ていて、近くに落ちていた松の木の棒を手に取って、白骨に恐る恐る近づいて その棒で白骨になった私を ツンツンと突 (つつ) く、そういう死にかたを私は空想していた。70歳にならんとする今、私は死のほうから見つめられている。平均寿命から逆算すれば、私には あと 12年くらいしか残されていない。今までの人生を振り返って、10年なんて あっと言う間に過ぎゆく。残された人生のなかで、ピリオド が打たれる前に──私の人生の 「意味」 を明らかにするために──、私は いったい 何を成し遂げようとしているのか、、、。

 引用文 2番目の日本語訳は、「芸術は永く、人生は短かし」。
 前述したように、私は、70歳にならんといる今、平均寿命から逆算すれば、私に残された人生は 12年くらいしかない。私は、住む所 (住居)・ファッション・食べ物や財産 (金銭) に対して興味がないので、生活そのものに愛着を感じるということがないけれど、仕事 (言い替えれば、考えること・創造すること) には執着しています。身体が動くかぎりは仕事を現役で続けたいと思っています。それゆえ、65歳をすぎた頃から、仕事を続けるために健康に気を配るようになりました──食事・睡眠・運動を健全にするように配慮しています。

 食事は、糖類を避けて、野菜 (食物繊維)・たんぱく質・炭水化物・脂質を偏りなく摂るようにして、そのいっぽうで 「16時間断食」 を継続しています。睡眠は、若い頃 (と言っても、60歳くらいまで) 徹夜を平気でしていたのですが、65歳をすぎてからは まいにち 7時間から 8時間ほど熟睡しています (目覚まし時計を使ってはいないので、自然に目が覚める)。運動は、昨年まで 例年恒例の富士山登山のために早足歩行をやっていたのですが、昨年末からは早足歩行の代わりに筋 トレ を週に 3回ほどやっています──筋 トレ は筋肉肥大を目的にはしていないで あくまで筋力の維持 (健康の維持) を目的にしています、というのは いっぽうで 「16時間断食」 を実践しているので、筋肉を肥大するほどの食事量を摂取していない (食事の回数・量は 1日 2回で 1日 1.5食です、1日 1食のときもある、オートファジー 活性状態を維持するように意識しています)。健康に気を配って、平均寿命を超えて、85歳くらいまでは現役で仕事を続けたい。

 意欲し計画し創造を実践すること──このことを私は仕事というふうに言っていますが──ほど面白いものはない、と私は思っています。自らの人生に ピリオド を打つ直前まで、意欲し計画し創造を実践していたい。その途上で死が訪れるなら、それでいい。死ぬ間際に一筋の涙を流す自分を想像した エッセー を 2005年 1月 1日の 「ゆく年、くる年」 のなかで綴っていますが──私が 52歳のときの エッセー です──、70歳にならんとする今の私は そんな気持ちは消し飛んで仕事を続けることしか考えていない。私に残された短い人生のなか、できるだけ仕事を永く続けたい。

 
 (2023年 4月15日)

 

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