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a pretty girl who naked is / is worth a million statues. (e. e. cummings)

 

 Bloomsbury Thematic Dictionary of Quotations セクション Nakedness の中で、次の文が私を惹きました。

    Nakedness is uncomely as well in mind, as body.

    Francis Bacon (1561-1626) English philosopher.
    Essay 'Of Simulation and Dissimulation'

 
 引用文の日本語訳は、「裸(むきだし、ありのまま) は、身体だけでなく、精神でも無作法である(ぶざまである、不適切である)」 ということかな。

 我々が社会生活を営んでいる限りでは、「ありのままの自分」 を さらけ出して生活できるなどは (社会生活に まだ関与していない) 赤ちゃんを除いて 先ず以て ムリ でしょう。近年、自己啓発本では、「ありのままの自分であれ」 ということが さかんに提唱されていますが──私が ヨウツベ で観た範囲での話なので、世間で そういう傾向が強いのかどうかというのは確かではないですが──、そういう書物が ウケ ているというのは 逆に 己れを抑えて生活していて、その抑制が ストレス になっている人たちが多いということなのかしら、、、。

 いつの時代だって、人々は己れを 或る程度 抑えて共同生活をしているでしょう。私の好きな小説家である有島武郎氏は、大正時代に 世間では人道主義的作家と評されていたようですが、彼の著作 「惜しみなく愛は奪う」 のなかで、彼は己れの偽善的性質を赤裸々に告白して、「本能的生活」 を憧れていました。ただ、彼の云う 「本能的生活」 は、「知的生活」 のなかで 長年 己れと真摯に向きあってきて 抜きさしならぬ状態に陥った知識人の叫びであって──知識人という ことば を私は良い意味で使っているので、念のため──、「自己分析」 などという今流の キーワード を安直に握り締めて悩んでいる様相を気取っている輩とは違う。

 生活 (家庭生活・仕事など) に対して真摯に向きあっていれば、己れの力が足らなくて行き詰まって悩んだり、トラブル が次々と降りかかって押し潰されそうになって苦悩することもある。そういうとき、(一息入れて) 様々に工夫して立ち向かえばいいではないか。このとき、(対象となる問題点を明らかにしないで、) 己れの心中 (しんちゅう) に探りを入れれば、己れの思い通りに事が運ばないことを嘆いて、内向的に己れの 「精神」 という形のない モノ を探りはじめる、そして (形のない モノ を探っているのだから) 当てもない迷路の無限地獄に陥ってしまう。やがて仕舞いには 「ありのままの自分」 を見失い、その苦しさのあまり 「ありのままの自分」 であることを願い、ミーハー な ハウツー 本に すがる──そして、ハウツー本を読んで、ソリューション を得た気になる、これは 「裸の王様」 状態ではないか、服を纏 (まと) っている思い込んでいる、、、。ソリューション の機会は まさに 当初に存ったではないか、具体的な問題点と ぶつかったときが (己れの存在を証明するための) いちばんに好都合な時機であったはずではないか、そのときに何かをするのが 本来の意味での 「ありのままの自分」 ではないか。ウィトゲンシュタイン 氏は次のように言っています (「心理学の哲学」)──

    はじまりを みいだすことは むずかしい。
    否、はじめにおいて はじめることが。
    そして、さらに、そこから遡ろうとしないことが。

 
 (2023年10月15日)

 

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