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Nothing's so dainty sweet as lovely melancholy. (Francis Beaumont)

 

 Bloomsbury Thematic Dictionary of Quotations セクション Melancholy の中で、次の文が私を惹きました。

    My heart aches, and a drowsy numbness pains
    My sense.

    John Keats (1795-1821) British poet.
    Ode to a Nightingale

 
    I was told I am a true cosmopolitan. I am
    unhappy everywhere.

    Stephen Vizinczey (1933-2021) Hungarian-born British
    writer.
    The Guardian, 7 Mar 1968

 
 英単語の意味は、drowsy(けだるい、不活発な、眠い、うとうとしている)、numbness(無感覚、無感動)。引用文の1番目の大意は 「私の心はうずいている、そして けだるい無感動さが私の感覚を苦しめる」、引用文の 2番目の大意は 「私は正真正銘な コスモポリタン だと云われた。私は どこにいても不幸である」。

 メランコリー (melancholy)とは、憂うつ、理由のない ふさぎ込み、もの悲しさ、哀愁という状態のこと。こういう状態は、若い頃に煩いやすい──私も、大学受験に不合格になって いわゆる浪人時代を過ごしたとき、および大学生時代を卒業して 30才くらいまでのあいだ、こういう状態が顕著でした。青春時代は疾風怒濤の時代と形容されるいっぽうで、その疾風怒濤と うらはらに なにかしら もの悲しさが つきまとうようですね。特に、「文学青年」 気質の強い青年は、これらの両方の傾向が顕著ではないかしら。

 年老いて私は青春時代に感じた もの悲しさ・哀愁を 全くといっていいほど感じなくなった。寧ろ、青春時代を振り返って、いとおしさを感じます──その いとおしさ は、小説 「みずうみ」 (シュトルム 作) の最終章 「老人」 に描かれている感覚に近い。年老いたがために脳内の前頭葉が萎縮してきて、かつ体内の ホルモン の分泌が減って、若い頃と比べて感情の揺れが変化してきたと云えば、そうなんでしょうね──物事に感応して もの悲しさ・哀愁を覚えることは圧倒的に減ってきました、若い頃に初秋に感じた いい知れぬ (身をかがめて泣き出したくなるような) 気持ちは 今では ほとんど感じなくなった、若い頃の その気持ちを再現しようと試してみるのだけど、当時の気持ちというよりも懐かしさ・いとおしさを今では覚える。人生のなかで少年時代・青春時代・壮年時代・老年時代と移り行くにつれて、身心が変化するのは当然のことでしょうね。

 青春時代に感じた もの悲しさ・悲哀は覚えなくなったけれど、いっぽうで 世間で云われているように 「年老いれば涙腺が ゆるくなる」 ようです。私自身は、65才をこえたあたりから ずいぶんと涙腺がゆるくなった──悲しい情景を観たら、直ぐに泣くようになったのは事実です。YouTube で、野良ねこ の悲しい動画を観て涙が直ぐに流れるし、苦境に陥った人が辛い状態を逆転した動画を観て直ぐに泣いてしまう。涙腺がゆるむという状態は、脳の前頭葉が次第に萎縮してきているのでしょうね。前頭葉が萎縮すれば、直ぐに 「切れる」 (怒る) ようになるそうですが、私には それはない (寧ろ、若い頃に比べて、気が長くなった)。

 ショーペンハウアー は次の文を綴っています──

    青年期には直観が支配し、老年期には思索が支配する。だから
    青年期は詩作に適した時期であり、老年は哲学に適する時期で
    ある。実践的にも、青年期には人は直観したものとその印象に
    よって決心するが、老年期にはもっぱら思索によって決心する。
    (「随想録」)

 「文学青年」 だった私は、彼の この文に納得します。ただ、私の心のどこかに青春時代を うらやむ気持ちがくすぶっているようです、青春時代の強みは肉体の美と力であり、私は老年になって それらを喪ったことを残念に思い うらやんでいる気持ちが一寸ある。年老いて、ものわかりのいい──ショーペンハウアー が言うような思索を実践する──老年には私はなれそうもない (苦笑)。

 
 (2022年 7月 1日)

 


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