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You cry (out) before you are hurt. (Proverb)

 

 Bloomsbury Thematic Dictionary of Quotations セクション Hurt の中で、次の文が私を惹きました。

    Mrs Montagu has drop me. Now, Sir, there
    are people whom one should like very well to
    drop, but would not wish to be dropped by.

    Samuel Hohnson (1709-84) British lexicographer
    Life of Johnson (J. Boswell), Vol. W

 
 或る集まりのなかで──その集まりが会社・学校などの組織、地域社会の集まりあるいは家庭であれ──自分が仲間の一員であると思っていたのに (I'm part of it) 仲間外れにされているということを知った時は やるせないでしょうね (It hurts)。私は 「自己中」 な性質なのか、そういうことを感じたことはない──「去る者は追わず、来る者は拒まず」 という あっさりとした つきあい を私は好むので、たとえ 自分自身が帰属している集まりから疎外されているとしても、仲間に入れてもらおうと強いて積極的に働きかけることは きっと しないでしょうね。そういうときには、自分自身のことを 「みにくいアヒルの子 (The Ugly Duckling)[ 実は、白鳥 ] ) だとみなして開き直る図太さ (傲慢さ?) が私にはあるようです (笑)。

 元来 ナマケモノ の私は、他人に対して私のほうから積極的に働きかけるということを ほとんど しない。寧ろ、独りでいることを好む。私が若い頃 (40才代の頃)、或る人から私の口癖として 「僕には関係のないことだから (I'm not part of it. I'm not involved.)」 ということを指摘されました。最近の口癖は、「どうでもいい (I don't care, whatever.)」 というそうです。ただ 念のために断っておきますが、私は つきあい を軽視している訳ではない──いったん つきあうと、相手が離れていくならしかたがないけれど、そうでないなら、つきあいは長く続くほうです。

 私が セミナー 講師をやっている故なのか、私のことを人前で しゃべるのが好きな性質であると思っている人たちが多いようですが、セミナー 講師は仕事として務めているのであって──仕事であれば全力を尽くして務めるのが当然なので──、私自身は人前で しゃべるのが好きな訳じゃないし、人間嫌いです (I'm not people person)。人見知りの人は セミナー 講師には向かないように云われますが、私のような人見知りでも セミナー 講師を 30数年も務めれば、聴衆を ノセ るくらいの大道芸が身につきます。しかし、私は独りになって考え事をしているほうを好む。

 我々は独りで生きている訳ではないので、仲間外れにされるということには自分が無視された [ 自分が蔑 (ないがし) ろにされた ] ように思って堪らなくなるかもしれない。でも、それは自分の価値 (個人の特性) が他の人々の集まりの価値 (集合の特性) と同調していないだけの話ではないか。

 会社や家庭という生活基盤の場所では、たとえ自分を活かすことができなくても、種々の しがらみ があって その場所を簡単に離れることができないと思って、その場所に居続けるためには自分さえ我慢すればいいというふうに考えることを私は善しとしないし、美徳とも思わない。自分 (個性) を殺した自分とは いったい どういう存在なのかしら。自分が もし仲間外れにされていて それでも仲間の一員にとどまりたいと思うのなら、なんらかの手立てをするべきだし、そして手立てして それでも仲間外れにされるのなら、自分のほうから仲間を見限ったほうがいい──自分の価値 (特性) が評価されていないのだから。そういう考えかたが正当な・文字通りの個人主義 (個性を信頼して、そのうえで I have full discretion to act という考えかた) であると私は思っているのですが、、、。こういう考えかたは 「自己中」 な考えかたなのかしら?

 
 (2019年 3月15日)

 


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