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The hell with it. Who never knew the price of happiness will not be happy.
(Yevgeny Yevtushenko)

 

 Bloomsbury Thematic Dictionary of Quotations セクション Happiness の中で、次の文が私を惹きました。

    Happiness is a mystery like religion, and
    should never be rationalized.

    G. K. Chesterton (1874-1936) British writer.
    Heretics, Ch. 7

 
    That all who happy, are equally happy, is
    not true. A preasant and a philosopher may be
    equally satisfied, but not equally happy.
    Happiness consists in the multiplicity of
    agreeable consciousness.

    Samuel Johnson (1709-84) British lexicographer.
    Life of Johnson, (J. Boswell), Vol. U

 
    To be without some of the things you want
    is an indispensable part of happiness.

    Bertrand Russell (1872-1970) British philosopher.
    Mysticism and Logic

 
 引用文の一番目と二番目に共通している考えは、「何に対して 『幸福』 を感じるかは、人それぞれだ」 ということでしょうね。当たり前と言えば当たり前ですね、しかし この当たり前のことが しばしば忘れ去られる──「幸福」 を測る定規があるような錯覚を起こすようです。「幸福」 とか 「至福」 という ことば を多用する人を [ その人柄を ] を私は信用しない。SNS が普及した現代では、「リア 充」 という ことば が 「幸福」 と ほとんど同じ意味で使われているようです。

 「幸福」 という ことば がなかったら我々は不幸なのだろうか、、、我々が関与している行為 (あるいは、我々の置かれている状態) の構成条件と環境条件を列挙すれば 「幸福」 を定義 (測量) できる訳じゃないし、我々の心が満ち足りた状態であるかどうかも測量できる訳じゃない。そうだとすれば、「幸福」 とは、結局、「不平や不満がなく、心が満ち足りていること」 というような漠然とした印象でしかないし、「幸福」 が心的状態 (あるいは、印象) であれば永続することもないでしょう。そして、当然ながら、複数の人々が同じ行為をしても、あるいは同じに状態に置かれても、彼らの心的状態は違うでしょう。私のことを言えば、私が 「幸福」 と認める状態は次の二つが充たされていることです──(1) 自分は間違った考えかたをしていない、(2) 他の誰から愛されている (あるいは、他の誰かを愛している)。

 引用文の三番目は、私が尊敬している哲学者 ラッセル 氏の意見ですが、「幸福には、欲している物事が 或る程度 欠けている部分がなくてはならない」 と。「幸福」 とは一般的には 「心が満ち足りている」 状態を云うのですが、穿 (うが) った意見ですね。「すべてが入手されていない」 状態のほうが 「幸福」 を感じると。確かに そうかもしれない。たとえば、恋愛について、相思相愛よりも片思いのほうが、或る意味では 「幸福」 なのかもしれない。相思相愛の状態は確かに 「幸福」 だけど、いずれ倦怠が訪れる。いっぽう、片思いは辛い状態だけど相手を思い続けて恋の状態に浸る切ることができる──恋するとはいかなるものかを実感できる。勿論、これは男女間の恋愛だけを言っているのではなくて、自分が恋した仕事・研究などにも云えることでしょうね──研究課題を追究しても追究しても果てがない。傍から見れば、夢中になっている様が滑稽にすら見える。しかし、当の本人は 「幸福」 なのかもしれない [ 少なくとも私は 「幸福」 だと思う ]。

 今の自分が 「幸福」 かどうか、、、本人すらもわからないのではないか。もし 「幸福」 であると断言しても、それは自らに言い聞かせるために そう思うようにしているのではないか。「幸福」 などは握り締めるものではないのでしょうね。ふと、道元禅師の ことば を思い起こしました──「放てば充つ」 と。

 
 (2018年 7月15日)

 


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