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Why keep a dog and bark yourself? (Proverb)

 

 Bloomsbury Thematic Dictionary of Quotations セクション Futility のなかで、次の文が私を惹きました。

    He's a real Nowhere Man,
    Sitting in his Nowhere Land,
    Making all his nowhere plans for nobody.
    Doesn't have a point of view,
    Knows not where he's going to,
    Isn't he a bit like you and me?

    John Lennon (1940-80) British rock musician.
    Nowhere Man (with Paul McCartney)

 
    'Tis not necessary to light a candle to the sun.

    Algernon Sidney (1622-83) English statesman.
    Discourses concerning Government, Ch. 2

 
    People talking without speaking,
    People listening without hearing,
    People writing songs that voices never shared.

    Paul Simon (1942- ) US singer.
    Sound of Silence

 
 Futility は futile の名詞形です。Futile の意味は、useless, ineffectual, frivolous (無益な、無効な、無能な、たわいのない、つまらない)、nowhere の意味は in or to no place です (Pocket Oxford Dictionary)。

 引用文の一番目は、ジョン・レノン 氏 (と ポール・マッカートニー氏) の作詞です。Nowhere と云っているように、「行き場のない、無為な」 状態にあることを云っているのでしょうね。そして、「Isn't he a bit like you and me?」 と云っているように、私も身に覚えがある──私の大学生の頃がそうでした。1970年代後半、学生運動は次第に下火になっていましたが、それでも学校は 「ロックアウト」 が度々あって、私は下宿で読書するしかなかった。文学をやりたかったけれど、作家をめざすほどの覚悟もなく、就職するのも嫌で将来の展望など描けない、、、閉塞感を覚えながら精神が漂泊しているような状態でした [ 閉塞と漂泊は矛盾するのですが、そうとしかいいようのない状態でした ]。

 そして、64才の今も その状態が相も変わらず続いている。37才で独立開業して、40才から今に至るまで、(事業分析・データ 設計のための) モデル 技術を作ることに集中して、家で仕事 (考え事) することが多く、依然として同じ状態です──新たな着想は そうそう浮かぶ訳もなく、先人たちの成果を学習するだけで、ただただ 「無為」 と感じるような日々が続く。そういう日々を送っていると私の精神がまいってしまうので、スマホ 用 アプリ の ショップ (Play ストア) に アップロード されている ジョーク 集を 時々 読んで気晴らしをしています。ジョーク 集のなかで見つけた次の ジョーク (三段論法の ジョーク) を読んだときは、私の惨めな状態を私自身が冷ややかに笑う [ 冷笑する ] ことができました [ ちなみに、この三段論法では、nobody が多義になっている虚偽です ]──

    I am a nobody, nobody is perfect, therefore I am perfect.

 自営の仕事を選んだ私は、今の生活が辛くても堪えるしかない。まるで、金鉱床の風化によって分離された砂金をもとめて旅から旅へと彷徨 (さまよ) い、広大な河を訪ねては河床で砂を濾しているような感じです。そして、そういう生活に堪えながら、砂金 (着想) が少量でも獲れたらばよしとしなければならないでしょうね──64才にもなれば もう やり直すことができない人生なのだから。

 
 引用文の二番目 ('Tis not necessary to light a candle to the sun.)──私は、常に これに悩まされてきました。私の仕事では、コッド 関係 モデル という データ 設計の the sun が照り輝いている。それが照っている世に、a candle (新たな モデル) を点すことは無益・無駄の誹りを免れない。しかも、コッド 関係 モデル は、Relational Completeness を証明されています (そして、チューリング 賞を受賞しました)。それを凌ぐ モデル を凡人たる私が作れる訳がない。とすれば、私ができることは、コッド 関係 モデル と かぶらない領域を狙うしかない。

 私の仕事は コッド 関係 モデル を出発点にしていた。私が当初作った T字形ER法は、コッド 関係 モデル の影響を多大にうけていて、データ 設計の技術でした── T字形ER法は、コッド 関係 モデル と比べて、「意味論」 を強く導入して、コッド 関係 モデル の上 (onto) に ER 法を混成して、データ (entity) 相互間の関係が一覧できるようにした技術です。T字形ER法は、現場で使っていた技術を体系化しただけであって、モデル としての 「無矛盾性」 および 「完全性」 は証明されてはいなかった。

 2000年に拙著 「論理 データベース 論考」 を上梓して、その後に、T字形ER法の構文論・意味論を見直して、「関係の網羅性 (妥当な構造)」 「制約束縛の網羅性 (真とされる値)」 を大前提にして、「現実」 の写像たる モデル としての 「真」 (「導出的な L-真」 および 「事実的な F-真」) を整えるように技術を再体系化しました。T字形ER法に改善を施して作った モデル が TM です。TM は、現実的事態 (事業) を写像する・模型/実例を作る技術体系です── TM の技術は、一見、T字形ER法と変わっていないようにみえますが、前提を大幅に変えています。

 TM は、事業分析の技術です。現実的事態 (事業) を形式的に写像する モデル 技術です。現実的事態をそのまま形式的構造に翻訳して実装する技術です。そして、コッド 関係 モデル の呪縛を逃れられた。T字形ER法を改善して TM が生まれることは 勿論 事前に推測できなかったし、失敗していたかもしれなかった。できるという自信などなかったし、私の生活を賭けた博打でした (苦笑)。そして、その結末は──仕事上の若干の自信と、貧乏な生活。そして、私は、再び船出して、TM の改良に取り組んでいる。それは、引用文の一番目の状態 (nowhere を感じる状態) をくり返している。三島由紀夫氏が 「裸体と衣裳」 の終章で綴った文──

    オンボロ 貨物船を引きずつて、船長は曲りなりにも故郷の港
    に還つて来た。主観的にはずゐぶん永い航海だつた。(略) 暫時
    の休息ののち、船長は又性懲りもなく、新しい航海のための食糧
    や備品の買出しに出かけるだらう。もつと巨きく、もつと性能も
    よい船を任される申し出によし出会つても、彼はすげなく拒むだらう。
    彼はこの オンボロ 貨物船を以てでなくては、自分の航海の量と
    質とをはかることができないからである。それだけがあらゆる船
    乗りの誇りの根拠だ。

 
 引用文の三番目、Sound of Silence の歌詞です。映画 「卒業」 の挿入歌でした── Sound of Silence の歌を聴くと、この映画を私は必ず思い出します。曲は、高揚感をあおるような リズム がない、平坦で記憶にのこりやすい曲です。歌詞の全体は文学的 (哲学的?) で難しい、、、この歌から私のうけた印象は、「都会 (人混み) のなかの孤独感」 です──「喧噪はあるが、心 (魂) がない」 と。「魂のこもった歌 (コミュニケーション) がない」 と。商業主義の蔓延に対する非難かな。現代の社会について喩えれば、SNS の夥 (おびただ) しい発信の割に 「魂のこもった」 発信が希少ということかな。しかし、「魂のこもった」 発信は、当世では 「重い」 とされる傾向があるようです。私は 本 ホームページ とか Twitter では 「重い」 文を綴りますが、普段の生活では ダジャレ や ギャグ を連発しています [ オヤジギャク だと非難されています ]。三島由紀夫氏 曰く、

     ところで私は、いつも制作に疲れてゐるから、かういふ深淵
    と相渉るやうなたのしみを求めない。音楽に対する私の要請は、
    官能的な豚に私をしてくれ、といふことに尽きる。だから私は
    食事の喧騒のあひだを流れる浅墓な音楽や、尻振り踊りを
    伴奏する中南米の音楽をしか愛さないのである。

 同感! だから、私は軽薄だと云われているようです (苦笑)。

 
 (2018年 1月15日)

 


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