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He is idle that might be better empolyed. (Thomas Fuller)

 

 Bloomsbury Thematic Dictionary of Quotations セクション Idleness の中で、次の文が私を惹きました。

    The dreadful burden of having nothing to do.

    Nicolas Boileau (1636-1711) French writer.
    Epitres, XI

 
    Idleness is only the refuge of weak minds.

    Earl of Chesterfield (1694-1773) English statesman.
    Letter to his son, 20 July 1749

 
    It is impossible to enjoy idling thoroughly
    unless one has plenty of work to do.

    Jerome K. Jerome (1859-1927) British humorist.
    Idle Thoughts of an Idle Fellow

 
    We would all be idle if we could.

    Samuel Johnson (1709-84) British lexicographer.
    Life of Johnson, (J. Boswell), Vol. V

 
 Idle (動詞) の意味は、spend time doing nothing (Oxford Pocket Dictionary )、形容詞の意味は avoiding work; lazy、not working or in use、having no purpose or effect (同)。類語の lazy の意味は、unwilling to work or use enerzy、showing a lack of effort or care (同)。Idle と lazy について私が感じる ニュアンス としては、idle は 「徒然なるまま、休止して手持ち無沙汰」[ 一言でいえば、弛 (たゆ) む、not engaged ] で、lazy は 「ぐうだら、怠慢」[ 一言でいえば、怠 (おこた) る、not wanting to work ]。徒然草の有名な冒頭文 「つれづれなるままに」 は idle であって lazy ではないでしょうね。

 他人が何もしないで ぶらぶらしている状態を数ヶ月や 1年ほど見ても idle なのか lazy なのかを判断することは難しいでしょうね、ある程度の長い年月のなかで判断するしかないでしょう。私は自分自身を ナマケモノ と自虐することがあるのですが、断続的に idle 状態にあったことは認めますが、lazy であったことは決してないと自負しています──確かに私は労働するために会社に出向くことはないけれど、書斎に一日中閉じこもって読書・思索しています。ただ、私の その状態が家族には パソコン に向かって遊んでいるように見えるのでしょうね──私のことを息子 (三男) が 「ニート 爺」 と言っていましたし、長男は 「世捨て人」 と言っていました (苦笑)。

 仕事をする (労働する) というのは、労働する場所に出向いて、身体を動かして働きかけて生活手段や生産手段を作り出す活動を云うのが多くの人々の持っている印象なのかもしれない。そういう感覚からすれば、私のやっていること [ 昼夜逆転して書斎に閉じこもっている状態 ] は lazy に見えるのでしょう。だから私は自身のことを自虐的に ナマケモノ と云っています。しかし、私は ぐうだら・怠慢であったことは断じてない。引用文の二番目・三番目について、生産性を計量することができる仕事では、その労働観は正しいのですが、そうではない仕事 [ 芸術家・思想家など ] も存在する。

 ドラッカー 氏の著作 「経営者の条件」 のなかで、興味深い──考えさせられるという意味ですが──挿絵 [ 漫画 ] が記載されています。その挿絵では、マネージャー の部屋の ドア が開いていて、部屋のなかでは一人の男性が椅子に座りながら机の上に足を投げ出し煙草を吸っていて、廊下を通りかかった男性が ドア の開いた部屋のなかの様子を見ながら、次のように言っています──「しかし、彼が 『考えている』 というのは、どうして わかるのか」 と。

 「考える」という労働量を計量することは難しい。私は書物を読んで それに触発されて考えていると、例えれば 夜中に (真っ暗な状態のなかで) 大海に投げ出されて どの方向に泳いでいければ岸に辿り着けるのか わからない絶望的な感覚に 時々 襲われる──このような状態にあって、なんらかの生産性があるのか。生産性だけを論点にしたら、こんな状態は無価値でしょう。しかし、もがき苦しみながら考えて、なんとか なにか [ 技術とか思想とか ] を生み出そうしている人たちは、こういう状態を幾度となく体験しているのではないか。形のないもの [ 思考 ] に対して具体的な形 [ 技術・製品 ] を与えるという愉しみ・悦びを 一度でも体験したら、知ったのちに止められるものではない。

 「つれづれなるまゝに〔退屈なので〕、日ぐらし〔終日〕硯に向ひて、心に移り行くよしなしごと〔つまらぬ事、らちもない事〕を、そこはかとなく〔とりとめもなく〕書きつくれば、怪しうこそ物狂ほしけれ〔妙に變な気持がする〕」──こういう生活を私は 40歳から今まで続けてきたし、今後も [ 世を去るまで ] 続けるでしょうね。40歳にもなって なにものにもなれなかった [ 芸術家・思想家になれなかった ] 私のような程度の凡人・俗人は、「考えること」 を仕事にしているのであれば、「世捨て人」(世間に関心などない) というふうに装うしかないではないか (苦笑)。

 
 (2019年 5月15日)

 


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