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Vainglory blossoms but never bears.

 
 私は、たしかに、理論を作る力には富んでいる。想像力も豊かで、ときには、想像が走り過ぎて、事実を視るのを怠ることさえある。皮相的な観測を前提にした精巧な組成は、砂上の建物にすぎない。だから、実績はない。事態は、果して、私の見通しのとおりに成る。ところが、当の私は、視るだけで確信し、あるいは、頭に描くだけで了承してしまう。

 凝視することは大切だ。それが、考える原点であり、作るための第一歩である。だが、「作る」とは、行為であって、観念ではない。凝視することが基点であり、行為で終結する。思考に促された行為は、思考に向かって逆流する。還流するのである。ちょうど、鮭が産卵のために川を昇るように......。美しい理論とは、喩えれば、鮭の川上りである。

 
 (2005年 1月 1日)


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