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Enjoy the Mozart and die.

 
 私は、クラッシク音楽のファンである。30歳に至るまで、音楽には遠い距離にいた私が、どうして、とりつかれたように音楽に没入するのか。きっかけは、シューベルトの交響曲第 8番「未完成」を聴いてからだ。

 この曲は、私が、大学入試に落ちて、浪人になったとき聴いていた曲で、冬から春に移り変わる時折に--遠くに立山連峰の連なりがクッキリと空に刻まれ、日ざしは春めいて明るくなってきたが、風は肌寒く、冬と春とが融合し、冬とも春とも切り離された、しかし、春が確実にくる期待を感じられる時折に--言い知れぬ悲しさのなかで聴いた曲であり、当時の悲しさ--新たな旅立ちを期待しながら同時に感じる寂しさ--を追憶するためであった。

 この曲を聴くと、(海の風景が思い浮かび、眼前の) 海が空に吸い上げられるように上昇し、一面が藍色のベールに包まれたように雄大に変転し、次には、怒涛のごとく下降してくるウネリを感じる。そして、あの言い知れぬ寂しさが追憶される。

 だが、今の私が音楽から感じるものは、決して「追憶」ではない。かって、自らが体験した事象を「追憶」することとは違う「源泉の感情」、あるいはヴァレリー氏流に言えば、「低く流れる主調音」を「想い起こす」。クラッシク音楽は、この「想い起こす」情調にふさわしい。
 いま、私の感性が揺さぶられる曲は、次のとおり。

 (1) ベートーヴェン、交響曲第 7番
 (2) モーツァルト、ピアノ協奏曲第 23番
 (3) モーツァルト、「ドン・ジョバンニ」
 (4) シューベルト、ピアノ即興曲作品 90
 (5) メンデルスゾーン、交響曲第 3番
 (6) ブルックナー、交響曲第 9番
 (7) サン・サーンス、交響曲第 3番

 
 (2005年 2月 8日)


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