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There are teachers and teachers.

 

 次の類いの下司には、怒りを込めて糾弾すること。

 (1) 自分では なにも創造することができないくせに、先達が苦悩の末に
   (しかも、多々、報われないで去った天才が) 生産した着想・思想
   を手際良くまとめて焼き直し、研究者面している 「文献学者」。

 (2) 自分では実際の現場に従事しないで、手を汚さないで 「対決」 を
   避けていながら、数冊の教科書を読んで批評家面している 「評論家」。

 (3) すでに、創造する能力が衰えているのに、過去の 「経験」 にしがみ
   つき、功労賞として祭り上げられた名誉職を乱用して、教訓を散らして
   いる 「権威者」。

 (4) たかが数編の作品を読んで芸術を 「理解」 したかのように気取り、
   どこかで読んだ評論家の格言めいた箴言を披露する 「文学青年」。

 (5) システム 作りを 高が 数十回程度 体験してきて、我流に陥っている
   にもかかわらず、経験・事例を楯にして、システム を知っているつもり
   になっている 「実務家」。

 
 (2006年 3月 8日)


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