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A nightingale won't sing in a cage.

 

 亀井勝一郎氏 (文芸評論家) は、以下の アフォリズム を遺している。

    愛とは詮 (せん) じつめれば ニュアンス への愛だ。抹殺されたり、見のがされた
    もっとも微妙なものへの敏感さ、その発見能力である。政治や社会生活のもたらす
    最大の残酷さは、ニュアンス の大量虐殺である。

 そうだとすれば、ニュアンス に対して鋭敏なひとは、政治や社会生活に向かないということになる。政治や社会生活のなかで 「成功」 するためには、ニュアンスに対する鋭い感覚を抑止しなければならないのかもしれない。

 ひとは、一人で生活することができないので、社会生活を営むのだから、われわれは、ニュアンス を抹殺しなければ生活できない運命にある。しかし、いっぽうで、みずからの ニュアンス を抹殺され続けた哀しみは、疲労として堆積し、みずからの存在を確認にするかのように 「叫び」 たくなる。

 「見せる技術」 と称して、パターン 化された プレゼンテーション 技術を真似しても、ニュアンス を抹殺した一つの形態にすぎないのではないか。

 小林秀雄氏 (文芸評論家) は、以下の文を遺している。

    現実といふものは、それが内的なものであれ、外的なものであれ、人間の言葉という
    ようなものと比べたら、凡そ比較を絶して豊富且つ微妙なものだ。そういう言語に
    絶する現実を前にして、言葉というものの貧弱さを痛感するからこそ、そこに文体と
    いうものについていろいろと工夫せざるを得ないのである。工夫せざるを得ないので
    あって、要もないのにわざわざ工夫するのではない。

 
 (2006年 8月16日)


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