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It is hard to kick against the prick.

 

 「正法眼蔵」 の 「三十七品菩提分法」 は、「渓声山色」 および 「礼拝得髄」 と並んで、道元禅師 の説かれた仏法の真髄であろう。そして、この 「三十七品菩提分法」 こそが、出家と在家 との わかれ道である。在家が、禅師の 「正法眼蔵」 を共鳴・心酔しても、ついには、 身をもって 「唯仏与仏及能究尽」 を行仏できないことが、「三十七品菩提分法」 には暴か れてある。したがって、在家であるかぎり、心身を修める 「威儀即仏法作法是宗旨」 の大道を体得することはできない。道元禅師曰く、

    在家の帰依者で、男女とりまぜて少しは仏道を学ぶ者もあるが、
    得道した例はまだない。仏道に達するのには、必ず出家するので
    ある。出家しおおせない連中は、どうして仏位が受け継がれよう。

    知るがよい、心身にもし仏法があるならば、在家にとどまること
    はできないということを。

    釈迦牟尼仏は言う、「出家受戒、コレ仏ノ種子ナリ、スデニ得度ノ
    人ナリ」。こういうわけであるから、知るがよい、『得度』という
    のは出家である。まだ出家していない者は、生死苦界をさまよって
    いるのである。悲しむべきことよ。

                               (以上、高橋賢陳訳)

 
 2日に 1回程度、しかも、30分間程度の坐禅をやったところで、そんな坐禅は健康 増進に過ぎない。仏法とは、沢木老師がおっしゃっているように 「頭剃って 袈裟掛けて坐禅して おしまい」 に尽きるのではないか。

 
 (2006年 9月 1日)


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