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Not to burn one's house to get rid of the mice.

 



 荻生徂徠は、著作 「学則」 のなかで以下のように言っている。(参考 1)

    学問のありかたは、根本の大きな点を確立しさえすれば、あとは博 (ひろ) いことを
   貴び、雑になることをいとわず、疑わしいことは そのまま残しておくようにして、萌芽の
   出るのを待てばよいのである。

 こういう やりかた が、「たこつぼ 化現象」 というふうに云われている現代の学問に適用できるかどうか を私は判断できないが、少なくとも、私のような学者でもない一般の読書子にとって、「健全な常識」 を養うために役立つ やりかた であることは間違いない。

 小林秀雄 (文芸評論家) は、以下の文を綴った。(参考 2)

    ニュートン という人は、無論、今日私達の言う理学博士ではないので、実に広大な
   知識と洞察力とを持った、深く宗教的な人間であった。現代風の学問は、こんな簡単
   な事実も忘れ勝ちである。「プリンキピア」 は、「考える人々を、神への信仰に導く為
   の諸原理」 という、はっきりした目的で書かれたものだ。従って、彼にとって、一番
   重要な問題は、人生の意味であったと考えて少しも差支えない。

 
(参考 1) 「荻生徂徠」、尾藤正英 責任編集、中公 バックス 日本の名著、中央公論社、
    95 ページ。引用した訳文は、前野直彬 氏の訳文である。

(参考 2) 「古典と伝統について」(思想との対話 6)、講談社、220 ページ。
    同書に収められている随筆 「歴史」 から引用した。

 
 (2007年 3月16日)


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