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Literature is a good staff but a bad crutch.

 



 荻生徂徠は、「弁道」 のなかで、以下のように言っている。(参考 1)

    「道」 とは、総合的な名称である。礼楽刑政という、すべて先王が確立したもの
   をとりあげ、一括して名づけたものである。礼楽刑政を離れて、ほかに 「道」 と
   いうものがあるわけではない。

    子思・孟子以後、儒家の一派が樹立された。そこで師たる者の 「道」 を自分の
   任務として尊重し、聖人は学ぶことによって到達できるものであり、聖人となって
   しまえば、その成果を すべて 天下の政治に発動させた場合、天下は自然に
   おさまるなどと妄想を抱くようになった。だが、これは、老子・荘子の 「聖人の徳を
   自己の内に持ち、王者の治政を外に対して発揮する」 考え方であり、自己の外
   にあるもの (政治) を軽視して重点を自己の内 (修養) におくものであって、
   先王・孔子のもとの考えとは大きく違っているのである。だから儒者は、学派の
   内にいるときは弟子を教育して その才能を完成させることができず、外に出ては
   国家を形成して社会の習俗を作りあげることができなくなり、そのために、儒家の
   理論だけは そなえているが実用には役立たないという非難をまぬがれることが
   できなくなった。これも やはり、「道」 と考えているものに本来の 「道」 とは
   くいちがい があるからである。

  理論的に正しい技術であれば、自然と普及するという考えかたは妄想にすぎないのかもしれない。私は、社会の事態など さておいて、みずから修養すれば良い人格を形成できると考えたり、良い技術は自然に普及するというふうに考える きらいがあるので、徂徠の ことば を噛みしめたほうが良いかも。

 さらに、徂徠は、以下のように言っている。(参考 2)

    智についていえば、人間は才能があることを自慢したがるもので、これは人情の
   自然である。だから聖人は、智を教えとしたことがない。

 智が顔に出るようじゃ、「下衆 (げす) い」 ってことかな。
 思考は優美でありたい。弥勒菩薩の 「半跏思惟」 像のように。

 


(参考 1) 「荻生徂徠」、尾藤正英 責任編集、中公 バックス 日本の名著、中央公論社、
    102 ページ。引用した訳文は、前野直彬 氏の訳文である。

(参考 2) 「荻生徂徠」、尾藤正英 責任編集、中公 バックス 日本の名著、中央公論社、
    111 ページ。引用した訳文は、前野直彬 氏の訳文である。

 
 (2007年 4月16日)


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