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You have the form but no life.

 



 荻生徂徠は、「三浦子彬 (しひん) に与える書」 (「徂徠集」 巻22) のなかで、以下のように述べています。(参考)

    それに 「詩経」 「書経」 「礼記」 「易経」 「春秋」 の、どこに道徳だの仁義だのと
   いう言葉がありますか。これはすべて君が理学 (すなわち朱子学) にとざされて
   いるため、これほど誤った説を立ててしまったのに気づかないのです。世間の儒者
   は理学に酔って、道徳とか仁義とか、天理とか人欲とかいう言葉が、口をついて
   出てきます。私は それを聞くたびに吐き気をもよおすので、琴をひくか笙 (しょう)
   を吹くか、それでなければ 「関関たる雎鳩 (しょきゆう)」 (「詩経」 の冒頭の詩
   の第一句) などと口ずさんで、その汚れを洗うことにしています。そこで、柳下恵
   (りゆうかけい、春秋時代の賢者。他人から どう扱われようと平然としていた) に
   は及びもつかぬことを恥じている次第です。

 私は、徂徠の気持ちを共感できます。

 


(参考) 「荻生徂徠」、尾藤正英 責任編集、中公 バックス 日本の名著、中央公論社、
    267 ページ - 268 ページ。引用した訳文は、前野直彬 氏の訳文である。

 
 (2007年 5月23日)


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