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To carry coals to Newcastle.

 



 荻生徂徠は、「答問書」 のなかで、以下のように述べています。(参考)

    独学をする場合は、訓点のついていない書物を読むのが一番かと思われます。

 かれは、「原典」 を読むように助言しています。勿論、この助言は、或る程度、漢文を読める力のあるひとに向けた助言です。徂徠は、この文に続いて、「訓点のついた書物が きちんとわかるほどの学力があれば、無点のものがわからないはずはありません」 と言っていますから。たしかに、まったくの シロート が、「原典」 を、いきなり、読める訳がないでしょうね。

 さて、学習を始めて、いつ頃から 「原典」 を読めば良いのかという点は、一概に言えないでしょうね。たとえば、私は、日本の古典文学を 「原典」 で読むようにしているのですが--ただし、活字に印刷された状態であって、影印ではないのですが--、中世の文を なんとか読めても、古代の文 (たとえば、真仮名) を読めない。私は、万葉集の歌が好きなので、それらを現代文の表記で読んでいますが、原文で読めません。なんとかして、万葉集を 「原典」 で読みたいと思うのですが、そうできるためには、そうとうな学習をしなければならないでしょうね。中世の文を読めるようになったのも、古文の学習参考書を まず くり返して読んで、次に、文法書 (3冊) を丁寧に読んで、中世の文法に慣れてからであって、高校で古文を学習した頃に比べて、いっそう まじめに学習しました。

 「原典」 を読むために進めた学習のなかで、私は、「学習の しかた」 を体得したようです。すなわち、資料 (原文と、それに関する「良質の研究書」) をあつめること、辞典 (古語辞典、有職故実辞典) を使うこと、そして、原文を読みながら、当時の生活風習のなかで読み取るようにして、現代的感覚で読み下さないことを体得したようです。そして、この学習法は、私の仕事のやりかたにも影響を与えたようです。私の仕事は、データ 分析の モデル を作って、その モデル を現実の事業過程のなかで使う コンサルタント です。私は、モデル を作るために、数学・論理学・哲学などを学習したのですが、それらの学習で、前述した「『原典』 を忠実に読み下す」 学習法が役立ちました。

 もし、「『原典』 を忠実に読み下す」 学習法を私が習得していなかったら、私は、たぶん、TM (T字形 ER手法) を 「黒本」 を出版したとき (1998年出版) の状態で完了したと自惚れて、見直し (推敲) を継続しなかったでしょうね。当時の状態は、いまから振り返れば、起点にすぎなかった。TM を推敲するために、私が、どういう原典を読んだかは、「反 コンピュータ的断章」 のなかで かつて綴ったので、ここでは割愛しますが、「私は原典を読んで救われた」 と言っても言い過ぎにはならないでしょうね。学習では、源流に遡って、そして、源流から再び歴史の順に、学問の歩みを辿るという やりかた こそが、当然のやりかたといえば当然のやりかたなのですが、頭でわかっていても、実際には、なかなか、できないでしょう。「原典を読む」 という やりかた は、それを確実にやるようにしてくれました。

 


(参考) 「荻生徂徠」、尾藤正英 責任編集、中公 バックス 日本の名著、中央公論社、
    342 ページ。引用した訳文は、中野三敏 氏の訳文である。

 
 (2007年 7月23日)


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