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"Let us do evil so that good may come"? (Romans 3-9)

 



 サルトル は、美と悪を同義語だとみなしました。というのは、(サルトル によれば、) いずれも人を虚無にしかいざなわないから。私は言い知れぬ虚無感に襲われることが多いのですが、どうも、文学の影響なのかもしれない。三島由紀夫氏は、かれの著作 「裸体と衣裳」 のなかで以下の文を綴っています。

     日本の近代文学で、文学を真の芸術作品、真の悪、真の ニヒ
    リズムの創造にまで持つて行つた作家は、泉鏡花、谷崎潤一郎、
    川端康成などの、五指に充たない作家だけである。「求道的だ」
    などと言われてやに下つてゐる作家や、単なる ストーリイ・テラア
    にすぎない作家はいくらでもゐるけれど。

 三島由紀夫氏が揶揄している、「求道的だ」 などと言われて野に下っている作家というのは、たぶん、倉田百三氏・武者小路実篤氏のことでしょうね。

 さて、私は、泉鏡花・川端康成を愛読してきましたが、谷崎潤一郎については──かれの批評 「陰翳礼讃」 を好きですが──小説を好きな訳ではないようです。この三人の作家には、三島由紀夫氏が述べているように、通有する性質があるのですが──その性質を 「冷徹な耽美」 というふうに言ってもいいかもしれないのですが──、「泉鏡花・川端康成」 という組と 「谷崎潤一郎 (・永井荷風という組)」 とのあいだには、「家族」 に喩えてみれば、家族的類似性のなかで、なにかしら家系のちがいがあるようです。「泉鏡花・川端康成」 のほうには、かれらの出生であった観念的・新感覚的な血筋を感じます。そして、私は、こちらのほうに惹かれているようです。

 
 (2009年 2月16日)


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