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Noboday is going to turn my rightful boast into empty words! (1 Corinthians 9-15)

 



 三島由紀夫氏は、「私の遍歴時代」 という エッセー のなかで、太宰治氏を嫌う理由を以下のように述べています。ちなみに、三島氏の太宰嫌いは、当時、文壇では──そして、世間にも知れ渡って──有名でした。

     もちろん私は氏の稀有の才能は認めるが、最初からこれほど私に
    生理的反撥を感じさせた作家もめづらしいのは、あるひは愛憎の
    法則によつて、氏は私のもつとも隠したがつてゐた部分を故意に
    露出する型の作家であつたためかもしれない。従つて、多くの文学
    青年が氏の文学の中に、自分の肖像画を発見して喜ぶ同じ地点で、
    私はあわてて顔をそむけたのかもしれないのである。しかし今に
    いたるまで、私には都会育ちの人間の依怙地な偏見があつて、「笈
    を負つて上京した少年の田舎くさい野心」 を思はせるものに少し
    でも出会ふと、鼻をつままずにはゐられないのである。これはその
    後に現はれた幾多の、一見都会派らしき ハイカラ な新進作家の
    中にも、私がいちはやくかぎつけて閉口した臭気である。

 三島由紀夫氏ほどの第一級の作家が、単に 「(人間の生い立ちに対する) 好き嫌い」 に由って ほかの作家の作品を評する訳がないのであって、三島氏は 「斜陽」 を読んだのですが、第一章で躓いたそうです。その理由を、かれは、以下のように綴っています。

    作中の貴族とはもちろん作者の寓意で、リアル な貴族でなくても
    よいわけであるが、小説である以上、そこには多少の 「まこと
    らしさ」 は必要なわけで、言葉づかひといひ、生活習慣といひ、
    私の見聞してゐた戦前の旧華族階級とこれほどちがつた描写を
    見せられては、それだけで イヤ 気がさしてしまつた。貴族の娘
    が、台所を 「お勝手」 などといふ。「お母さまのお食事のいただき
    方」 などといふ。これは当然 「お母さまの食事の召上がり方」 で
    なければならぬ。その母親自身が、何でも敬語さへつければいい
    と思って、自分にも敬語をつけ、「かず子や、お母さまが いま何を
    なさつてゐるか、あててごらん」
     などといふ。それがしかも、庭で立ち小便をしてゐるのである !

 三島氏の太宰嫌いが有名だったので、かれの友人たちは かれを太宰治氏に会わせる機会を設けました──太宰氏を囲んだ集まりのなかに三島氏を連れていったそうです。そのときの三島氏の出で立ちは、絣の着物に袴だったとのこと。ふだん和服を着たことのない かれがそういう恰好をしたのは、太宰氏を意識してのことで「大袈裟にいへば、懐ろに匕首をのんで出かける テロリスト 的心境であつた」 そうです。太宰氏と会ったときの光景を三島由紀夫氏は、以下のように記しています。

     上座には太宰氏と亀井勝一郎氏が並んですわり、青年たちは
    そのまはりから部屋の四周に居流れてゐた。私は友人の紹介で
    挨拶をし、すぐ太宰氏の前の席へ請ぜられ盃をもらつた。場内
    の空気は、私には、何かきはめて甘い雰囲気、信じあつた司祭
    と信徒のやうな、氏の一言一言にみんなが感動し、ひそひそと
    その感動をわかち合ひ、またすぐに次の啓示を待つといふ雰囲気
    のやうに感じられた。これには私の悪い先入主もあつたらうけれ
    ど、ひどく甘つたれた空気が漂つてゐたことも確かだと思ふ。
    一口に 「甘つたれた」 と言つても、現在の若い者の甘つたれ方
    とはまたちがひ、あの時代特有の、いかにも パセティック な
    一方、自分たちが時代病を代表してゐるといふ自負に充ちた、
    ほの暗く、抒情的な、.....つまり、あまりにも 「太宰的な」 それで
    あつた。

 ちなみに、TM を語るときの私に関しても、このような世評が疎通しているそうです (苦笑)──本 エッセー は、「反 コンピュータ 的断章」 の エッセー ではないので、この点については、もうこれ以上のことを述べるつもりはないのですが、「TM の会」 の会員たちは、私に対して辛辣な意見を述べることもあると記しておけば、TM を囲んだ集まりが 「甘つたれた」 会合でないことは、直ちに、わかるでしょう。

 さて、以下の (三島氏と太宰氏のあいだで交わされた) 会話は、後年、世上有名になった会話です。

     「僕は太宰さんの文学はきらひなんです」
     その瞬間、氏はふつと私の顔を見つめ、軽く身を引き、虚を
    つかれたやうな表情をした。しかしたちまち体を崩すと、半ば
    亀井氏のはうへ向いて、だれへ言ふともなく、
    「そんなことを言つたつて、かうして来てるんだから、やつぱり
    好きなんだよな。なあ、やつぱり好きなんだ」
    ──これで、私の太宰氏に関する記憶は急に途切れる。
    気まづくなつて、そのまま期鰍ノ辞去したせゐもあるが、(略)

 さて、この会話の場に私が もし列席していたら、私は、すばやく、亀井勝一郎氏の顔を伺ったでしょうね。亀井勝一郎氏が三島由紀夫氏の この態度に対して、どういう反応を示したのかを知りたい──私は、三島由紀夫氏の作品を愛読してきましたが、亀井勝一郎氏の作品も愛読してきました。ちなみに、私も、(TM に関して、) こういうふうに面と向かって言われたことが幾度かあります (苦笑)。当の三島氏は、この会話を以下のように総括しています。

     私もそのころの太宰氏と同年配になつた今、決して私自身
    の青年の客気を悔いはせぬが、そのとき、氏が初対面の青年
    から、
    「あなたの文学はきらひです」 と面と向かつて言はれた心持ち
    は察しがつく。私自身も何度かさういふ目に会ふやうになつた
    からである。(略) かういふ文学上の刺客に会ふのは文学者の
    宿命のやうなものだ。もちろん私はこんな青年を愛さない。
    こんな青臭さの全部をゆるさない。私は大人つぽく笑つてすり
    ぬけるか、きこえないふりをするだらう。
     ただ、私と太宰氏のちがひは、ひいては二人の文学のちがひ
    は、私は金輪際、「かうして来てるんだから、好きなんだ」 など
    とは言はないだろうことである。

 三島由紀夫氏の矜持に私は文句なしに拍手します (!)。

 
 (2009年 3月23日)


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