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he must welcome strangers in his home; (1 Timothy 3-2)

 



 三島由紀夫氏 は、かれの著作 「若き サムライ のために」 のなかで、「作法」 について以下の文を綴っています。

     剣道は礼に始まり礼に終ると言われているが、礼をしたあとで
    やることは、相手の頭をぶったたくことである。男の世界を これ
    は良く象徴している。戦闘のためには作法がなければならず、
    作法は実は戦闘の前提である。(略)

     われわれは、もし軍隊のような戦闘目的に向かって行動する
    という部分を、われわれの生活の中に少しも持たないならば、
    作法などはひとつも必要ではない。そして、もし世間に反抗し、
    世間に完全に孤立して人々との交渉を断とうとするならば、
    「お早うございます」 もいらなければ 「有難う」 もいらない
    のである。

     しかし、よくしたもので、政治運動をやる学生は政府に反抗し、
    権力に反抗するいもかかわらず、そして大学の総長に向かって
    「オイ、君」 などというにもかかわらず、自分たちの中では
    先輩・後輩の序列にはかなりやかましい。何故ならば、人間の
    支配力、権力欲が多少とも動くところではその作法が要求され、
    その作法をうまく守ることによって、また自分も権力を獲得する
    ことが出来るということを、自然に学んでしまうからである。

     したがって、人間関係の作法のやかましさは、革新陣営といえ
    ども、おさおさ保守陣営に劣らない。普段は政府を口ぎたなく
    ののしる学者先生たちが、研究室の中でどれほど弟子たちに
    やかましい作法を要求しているか。そしてまた、お茶運びの助手
    がお茶の入れ方が悪かったということで、どれだけ損をしている
    かを知れば、思い半ばに過ぎるものがあろう。

 三島氏が綴った例を読んで、我が身に照らしてみて、「確かにそうだ」 と同感する点を いくつか 覚えました。私は、じぶんの作法がなっていないことを遺憾ながら認めます。「遺憾ながら」 と綴ったように、私は、それを弱点だと思っています。尤も、この点は、私にかぎらず、そうとう多くの人たちにも観られるとも感じています。ただし、不作法のなかでも、私が特に問題視したい態度は、いわゆる 「文学青年 シンドローム」 から生まれた不作法です──そして、それが私の不作法の原因だったと思っています。

 私は、いくども転社しているので、転社した さきざきの会社で、周りの人たちが私に対して 「まずは、お手並み拝見」 という興味津々な眼で観ているのを いつも感じていました。そして、私は、いつも、仕事に興味を もてなかったので──当時は、いまだ、文学のほうに憧れがあったので──、ちから を出すことをしないまま、「未知数」 という評価──実力がありそうなのに、実績を出さないで、「できそうなヤツ」 と噂されたまま──で終わっていました。いわゆる 「文学青年」 のフニャフニャした性質を当時の私は、たっぷりと帯びていました。しかも、文学で得たことを 「装う」 術も しっかりと体得していて、「オレ は、こんな俗の仕事なんかやるような下衆(げす)い ヤツ じゃない。オレ は人間性の弱さを知っているので、こんな仕事なんぞ、一時的な はかないことだと知り尽くしている」 というような・「他人を ばかにできる権利」 を持っているのだ、と。こういう度し難い 「文学青年 シンドローム」 から生まれた不作法は、きまり から外れているとか礼儀をわきまえないという範疇で語れるような不作法ではなくて──というのは、そういう不作法であれば、不作法であるが故に仲間はずれにされたことを感知すれば、そして仲間のなかにとどまりたいのであれば、意識して改めることのできる性質ですが──、作法そのものを蔑視しているので、そもそも、次元がちがう。

 私は、「文学青年 シンドローム」 から生まれた不作法を除去するために──「改める」 というような次元ではなくて、「除去する」 としか言いようがないのですが──、ずいぶんと苦労しました。そして、いまでも、いくぶんかは その残滓 (ざんし) があると感じています。三島氏が 「文学青年 シンドローム」 を叩き壊すために採用した やりかた は 「太陽と鉄」 でした。「文学青年 シンドローム」 は あくまで症状であって、その原因となる 「(文学が対象にしている) もののあはれ を感知する ちから」 は、文学をやるからには 「自家薬籠中の物」 なので、かれは、その感性を 「筋肉で包んで」 警備しました。したがって、かれにおいては、感性と作法は併存できたのでしょう。いっぽう、「文学愛好家」 にすぎない──言い換えれば、職業的作家でない──私は、仕事を続けるためには 「この感性」 を捨てなければならなかった。しかし、そう簡単に捨てられる訳でもないので、私が採用した やりかた は、「モデル を作る」 仕事に従事するという道でした──実は、そういうふうに意識して、今の仕事を選んだ訳でもないし、今までの道を歩んだ訳でもないのであって、そのときどきに 「芋ずる式に」 テーマ を選んで歩んできて、今振り返ってみたら、そういう道になっていたというのが正確な記述でしょうね。さて、そのときに、はたして、「文学青年 シンドローム」 から生まれた不作法を除去できたのかと問えば、さきほど 「残滓がある」 と綴ったように、仕事をやっているうちに いくぶんかは礼儀を覚えましたが、捨てきれなかった 「文学への憧れ」 は、くすぶったまま、以前として、「文学青年 シンドローム」 の導因になっていました。

 私の今の仕事は 「なんらかの代用にすぎないのではないか」 という疑問を、今年の 「ゆく年くる年」 (2009年 1月 1日付け) のエッセー のなかで洩らしましたが、その気持ちを自問自答してみると、どうも、上述した 「迷い道」 を歩いてきた感想のようです。戯れに恋はすまじ。

 
 (2009年 7月 8日)


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