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he will reward each one according to his deeds. (Matthew 16-27)

 



 小林秀雄氏は、彼の エッセー 「志賀直哉──世の若く新しい人々へ──」 のなかで以下の文を綴っています。

     私はどんな作家を語ろうとしても、その作家の思想の何ら
    かの形式を、その作品から抽象しようとする安易を希いは
    しないが、如何に生まの心を語ろうとしても、語る所が批評
    である以上、抽象が全然許されないとなると問題は恐ろしく
    困難になるのである。志賀氏はかかる抽象を最も許さない
    作家である。志賀氏の作品を評する困難はここにある。私
    は眼前に非凡な制作物を見る代わりに、極めて自然に非凡
    な一人物を眺めてしまう。これは私が氏に面識あるがため
    では断じてなく、氏の作品が極端に氏の血肉であるがため
    だ。氏の作品を語る事は、氏の血脈の透 (す) けて見える
    額を、個性的な眉を、端正な唇を語る事である。

    (略) 氏の有するあらゆる能力は実生活から離れて何んの
    意味も持つ事が出来ない。志賀氏にあっては、制作する事は、
    実生活の一部として、実生活中に没入するのは当然な事で
    ある。芸術は実生活の分裂によって現れる事なく、実生活
    の要約として現れるのは当然のことである。

     しかし問題は、芸術の問題と実生活の問題とがまことに
    深く絡 (から) みあった氏の如き資質が、無類の表現を
    完成したという点にある。氏が己れの実生活を、精緻に語り、
    しかも語られたものが実生活の結果たる告白となる事なく、
    実生活の原因たる希望となる事なく、人間情熱の独立した
    記号として完璧な表現となった点にあるのである。

    (略) 「和解」 の一章一章の見事な配列も、整然たる建築
    というよりむしろ作者の頭に最も自然に交代した諸風景の
    流れであろう。氏の文体の魅力は象嵌 (ぞうがん) にない
    質量 (マツス) にある、構成にない総和 (ソンム) に
    ある。

     これは エドガア・ポオ の手法とは凡そ対蹠 (たいしょ) 的
    な手法である。私は気分で書くとか理屈で書くとかいう程度
    の問題を云々しているのじゃない。制作の全過程を明らかに
    意識することが如何に絶望的に精密な心を要するものと知り
    つつこれを敢行せざるを得なかった ポオ の如き資質と、制作
    する事は、手足を動かすという事のように、一眦 (いっし) を
    もって体得すべき行動であると観ぜざるを得ない志賀氏の
    如き資質とを問題としているのだ。

 
 前回の 「反文芸的断章」 で、私は、「この作品は、長いあいだ [ 昔から ]、私 (佐藤正美) に対して 「非常に際どい」 問 (とい) を投げかけてきました」 と綴りましたが、その問が、まさに、上に引用した文なのです。前回の エッセー のなかで綴ったように、「神経質」 という性質において、私は、志賀氏と似ているのですが、志賀氏においては──次に引用するような言いかたでは、小林秀雄氏は眉を顰 (しか) めるでしょうが──「『意識』 とは、『同時進行の自己記述』」 (Jaynes J.、認知科学者) であって、その意識が そのまま文になっているという点が天才たる所以でしょうね。言い換えれば、「二元性」 の生じる隙間がない (!)

 志賀直哉氏は、「小説の神様」 と評されてきた天才ですが、私は、若い頃から かれの作品には共感を覚えたことが一度もなかった。私が共感してきた小説家は、有島武郎氏や三島由紀夫氏のように、「二元性」 の相克に苦しんできた作家たちです。だから、「二元性」 の生じる隙間のない志賀直哉氏に共感を覚えることがなかったのでしょうね。そして、志賀直哉氏の作品は、小林秀雄氏が指摘しているように、「氏が己れの実生活を、精緻に語り、しかも語られたものが実生活の結果たる告白となる事なく、実生活の原因たる希望となる事なく、人間情熱の独立した記号として完璧な表現となった」 点にあるのでしょうね。だから、かれの作品は、チマヂマ とした 「私小説」 に堕落しなかったのでしょう。こういう性質の小説家は、近代・現代の作家のなかで類を見ないのではないでしょうか──私は、近代・現代の小説を すべて読んでいる訳じゃないし、文学史の学者じゃないので、推測でしか謂えないのですが、、、。私自身は、「反 コンピュータ的断章」 と 「反文芸的断章」 のあいだで揺れてきて、まさに、「二元性」 に翻弄されてきた人間です。

 私は、志賀直哉氏の作品 (すなわち、志賀直哉氏) に憧れつつも、いっぽうで、反感 [ 嫉妬ではなくて、反感 ]──私がなりたいと思っても毛頭なれないような人物に対する反感──を覚える次第です。

 
 (2009年11月 8日)


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