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Happy are the pure in heart; they will see God! (Matthew 5-8)

 



 小林秀雄氏は、かれの エッセー 「マルクス の悟達」 のなかで、以下の文を綴っています。引用する便宜のために、それぞれの文に対して番号を付与しておきます。

    [ 1 ]
     天才というものも、この世に生まれている限り、凡人と同じ構造
    の頭脳を持つ外はない。この自然の恩恵により凡人は天才の
    口真似が造作なく出来る、つけ上がった挙句天才なんぞいない
    などという寝言を言う。馬鹿をみるのは天才で、天才は寛大だ
    から腹を立てないのではない、奇体な真理を探り当てるのは愚か
    であり、真理とはもともと凡人に造作もなく口真似が出来る態の
    ものしかない、という事を悟る事が天才なる所以であるからこそ、
    虫をこらえているのである。

    [ 2 ]
     さて以上の レニン の短文を約言すればこの世はあるがままに
    あり、他にありようはない、この世があるがままであるという事に
    驚かぬ精神は貧困した精神であるという事である。

    [ 3 ]
    (略) 平凡にしか言えないのだ。平凡な真実が目立って見える時
    は、嘘に対して叛逆的に現れる時に限る。

    [ 4 ]
    マルクス が 「資本論」 を書く時に経済学の方法などというもの
    は自明な事に属した。二千頁をこえる書物を書くにあたって、
    「お前の道を進め、人には勝手な事を言わしておけ」 という ダンテ
    の格言に終る四頁の序文で事は足りた。方法論の正しさはただ
    内容のみが明かしたのだ。人は余りに自明な事は一番語り難い
    ものであり、また語るを好まぬものである。彼らの抱いた認識の
    根本的基底について暇人のみがその認識論的基礎づけのため
    に騒いだ、そしてさわぐ事だけしかしなかった。暇人には自明と
    いう事が一番わかりにくいものである。

 見事な文ですね──こういう意見は、こうでしか書けないという文ですね。
 ちなみに、文中、「暇人」 というのは、「頭のいい学者たち」 を皮肉った言いかたです (笑)。

 私は 「マルクス の悟達」 を読んだときに、上に引用した文のほかにも私の興味を惹いた文に対して鉛筆で下線をひいていたのですが、上に引用した文のほかの文は、次回に扱いましょう。

 さて、[ 1 ] で言及されている 「口真似」 は、われわれが普段の生活のなかで、ずいぶんとやっている──意識的であれ、無意識的であれ──行為ですね (苦笑)。特に、小悧巧な連中は、他人 (ひと) が──ここでは、天才のことですが──綴った箴言を借用して、物事を総括したがるようですね。私は、そういう口真似を聞いていると、口真似しているひとの 惚けた・呑気な 顔を視ていられなくなって、顔を下に向けるようにしています──で、私は笑いをこらえる。そういう連中が真顔で 「オレ が思うには」 などと一家言のように披露しているのを聞いている こちらは笑いを堪える身の置き場に困ります。箴言を口真似されても、聞かされたこちらは酒を呑んで酔っぱらって思考が停止して ことば が単なる音でしかない状態にいなければ、聴きたかない、というのが健康な精神でしょう。

 [ 2 ] [ 3 ] および [ 4 ] で述べられている 「あるがまま (あるいは、平凡、自明な事)」 を目にして、われわれは、その 「しくみ」 を考えたくなるのは どうしてなのかしら、、、。われわれが 「現実」 を視たときに、「現実」 は、われわれの頭のなかで、「かならず」、なんらかの 「(事物・事態の) 関係」 として構成されるでしょう──私は、アラン の著作 「考えるために」 (小沢書店、仲沢紀雄 訳) を読んで、その思いを強くしました。「あるがまま (あるいは、平凡、自明な事)」 を 「解析する」 難しさについては、「反文芸的断章」 2010年 4月16日付けの エッセー を読んでみてください。

 他人の頭の中を探るという行為が 「方法論の正しさはただ内容のみが明かした」 ということを確認する行為でしょうね。そして、口真似には、それ (証明 [ 論証、あるいは身証 ]) がない。しかも、証明は 「現実」 を写像した像であって、「原像 (現実)」 は歴然として存在している──「原像」 を 「逆像 (頭のなかの像の逆関数で定義された状態)」 として考えるかどうかは論点になるでしょうね。

 「考えるな、観よ!」 (ウィトゲンシュタイン) という ことば は、やっぱり、天才にしか言えない警句でしょう。そして、それも平凡なことなのですが、、、。

 
 (2010年 8月 1日)


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