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do not let anyone deceive you with false arguments (Colossians 2-4)

 



 小林秀雄氏は、かれの エッセー 「マルクス の悟達」 のなかで、以下の文を綴っています。引用する便宜のために、それぞれの文に対して番号を付与しておきます。

    [ 1 ]
     精神は精神に糧 (かて) を求めては飢えるであろう。ペプシン が
    己れを消化するのは愚かであろう。「私は考える、だが考える事は
    考えない」 と。ゲエテ は鼻唄でわれわれをどやしつける。こういう
    言葉は全く正しい。しかしわれわれは果してこれを覚えて誤らぬか。
    ここに理論と実践との問題の核心があるのである。弁証法的唯物
    論なる理論を血肉とするには困難な思案はいらぬ、ただ努力が
    要る。理論と実践とは弁証法的統一のもとにある、とは学者の寝言
    で、もともと理論と実践とは同じものだ。マルクス は理論と実践と
    が弁証法的統一のもとにあるなどと説きはしない。その統一を生き
    たのだ。マルクス のもった理論は真実な大人のもった理論である。

    [ 2 ]
     青年はお先っ走りで穢 (けが) れ、老人は脂下 (やにさが) って
    穢れる。だから穢れをすべて甘受して一点の穢れもない理論は、
    常に青年には老人過ぎ、老人には青年すぎる悲運を辿るのである。

    [ 3 ]
     「作品の社会的等価を発見した自らに忠実な唯物論的批評家の
    第二段の行動は──それが観念論的批評家の所においてそうで
    あった如く審査しつつある作品の美的価値の評価でなければなら
    ぬ云々」 という プレハノフ の言葉は今日まで多くの批評家等に
    色目を使われた言葉だ。この言葉は誤ってはいないが、こういう
    言葉からいい気な学者面が読みとれなければ何にもならない。
    作品の社会的等価の発見、これだけで既に ラプラス の鬼を要する。
    何が第二段の行動か。問題は、ただただこの事業の困難を深く
    悟るか軽薄に眺めるかの一点にかかるのみだ。階級対立の準尺
    の弱短を嘆じて逃走する美神の袂 (たもと) を捕えようとして一体
    何になるのか。美は階級対立と等しく苦 (に) がい現実である。

    (略) 美神は暴力にも甘言にも乗りはしない。嫌いな人間どもに
    顔をそむけるのは、美神の傲慢ではない、そのたしなみである。

    [ 4 ]
     理論のための理論、思弁のための思弁を、弁証法的唯物論は
    全くの素朴をもって否定する。言葉の厳密な意味において理論の
    ための理論などというものはない。ないからこそ否定するので
    ある。人は理論を持つ時、同時にこれを表現する。記号をもつもの
    だ。言葉を持つものだ。この事実の率直な承認から出発して哲学
    体系を論じようとしたらどういう事になるか。それは或る社会が、
    個人が生産した イデオロギイ である他はあるまい。そこには言葉
    という記号が、合理的理論を辿っているとともに無限の非合理的
    な陰翳を孕んで現存するのみだ。(略) 「哲学の貧困」 を語った
    マルクス の生ま生ましい眼に、この現実が映らなかったとは考え
    られぬ。ただ彼の天才は、その道を歩むために、この一つの現実
    を率直に捨てたのだ。この世の経済機構を生ま生ましい眼で捕え
    るために、文字の生ま生ましさは率直に捨てたのだ。文字は彼に
    とって清潔な論理的記号としてだけで充分であったのだ。この
    清潔な論理的記号の運動の正しさを、ただ現実の経済機構の
    生ま生ましさを辿ることによってのみ実証しようとした処に、また、
    そうする事によって普遍的な理論の空論たるを避けた処に、彼の
    天才は存するのである。

    [ 5 ]
     もし マルクス が 「資本論」 の代りに 「芸術論」 を書いたとすれ
    ば、彼は プレハノフ のように トルストイ の 「芸術とは何ぞや」 の
    解析からは始めなかったろう。率直に 「アンナ・カレニナ」 から、
    いや言葉の分析から始めたであろう。こんな仮定は勿論愚かで
    ある。問題はただ、芸術の社会的等価発見の困難を深刻に悟るか、
    軽薄に眺めるかの一点にかかると言ったのである。困難は現実の
    同義語であり、現実は努力の同義語である。だがこの可能を否定
    するのはもっと愚かだ。しかしまた、かかる理論的天国を夢想し
    説教するのは更に愚かな事である。

 私 (佐藤正美) は、ここで 「マルクス 主義」 が どうのこうのという かつての (昔の) 争点だったことを いまさら 論じるつもりはないのであって、私の興味は、小林秀雄氏が マルクス を どういうふうに観ていたか という点にあります。私が マルクス の著作を読んだのは、もう 37年くらいも昔のことで、私が読んだのは 「経済学批判」 です。「資本論」 を読んでいない。当時の読後感を思い出そうとしても、すでに遠い過去の心象なので思い出すことができない。ただ、「文学青年」 だった私は、マルクス の視点──あるいは、小林秀雄氏の言を借りれば、「この世の経済機構を生ま生ましい眼で捕えるために、文字の生ま生ましさは率直に捨てた」 やりかた──に対して なにかしらの反感を抱いていたのは確かです。そして、当時、小林秀雄氏の この エッセー (「マルクス の悟達」) も私は読んでいなかった。

 マルクス に関する当時の──大学一年生の頃の──思い出としては、私が 「経済学批判」 を読んでいたら、亡き父が 「なんで、『赤 (アカ)』 の書物を読んでいるんだ!」 と怒ったことを今でも覚えています──当時の 「『体制』 側の おとな」 たちは、共産主義を 「赤」 というふうに云って嫌悪していました。私は社会主義・共産主義を賛同していなかったのですが、父の非難に対して、「そう謂うなら、マルクス を ちゃんと読んだことがあるのですか、マルクス を直に読まないで、どうこう言わないでください」 と反論したことを覚えています。ただし、私は、マルクス を擁護するつもりも、毛頭、なかったのですが。

 さて、小林秀雄氏の主張点は、[ 5 ] で綴られている 「問題はただ、芸術の社会的等価発見の困難を深刻に悟るか、軽薄に眺めるかの一点にかかると言ったのである。困難は現実の同義語であり、現実は努力の同義語である」 という文でしょうね。この文を把握するためには、「現実」 という概念が前提になっています。小林秀雄氏は、この エッセー の終わりのほうで、「マルクス・エンゲルス 全集」 (第七巻、401頁、猪俣津南雄 氏訳) から引用していて、その引用文のなかに以下の文があります。

    [ 6 ]
    頭の中に思考全体として現われるが如き全体は、自己にとって
    唯一可能なる仕方で世界を我物化するところの、思考する頭の
    所産であり、その仕方は、芸術的宗教的実際的精神的にこの世界
    を我物化する仕方とは違う。真実の主体は、依然として頭の外に
    その独立性において存在する──即ち頭が単に思弁的に、理論
    的にのみ働いているあいだは。で、[ 経済学の ] 理論的方法の
    場合でも、その主体が、社会が、前提として絶えず想像に浮かん
    でおらねばならぬ。

 文中の下線は──原文では傍点ですが──、小林秀雄氏が引いていました。そして、この下線で注意を促されている文は、[ 4 ] に対応するでしょう。
 私は、以下の文に下線を引くでしょうね。

    真実の主体は、依然として頭の外にその独立性において存在する。

 おそらく──「勿論」 というべきかも──、小林秀雄氏は、この文を前提にしているでしょう。そして、その前提のうえに、「芸術の社会的等価発見の困難を深刻に悟るか、軽薄に眺めるかの一点にかかる」 と、かれは分析しています──マルクス は、「困難を深刻に悟って」、「一つの現実を率直に捨てた [ この世の経済機構を生ま生ましい眼で捕えるために、文字の生ま生ましさは率直に捨てた ] と、かれは分析しています。しかし、「軽薄に眺めた」 連中は、「理論と実践とは弁証法的統一のもとにある」 と喧 (かまびす) しい──マルクス は、「理論のための理論」 など存在しえないことを悟っていて、「現実」 を説明する 「困難」 に立ち向かって [ 芸術のように、「現実」 を ひとりの眼で実感 (我物化) するのではなくて、そして、我物化の外に歴然と存在する 「社会」 の独立性を記述するために ]、言語を 「清潔な論理的記号」 として使うように 「努力」 した、と

 数学の用語を使って言えば、「原像 (現実的事態)」 が 「逆像」 となるためには──すなわち、頭のなかの体系が 「現実」 と一致するような逆関数 f -1 を使うためには──、現実的事態の写像において、「芸術的宗教的実際的精神的にこの世界を我物化する仕方とは違う」 やりかた を導入しなければならなかった、ということでしょうね。マルクス の眼は、「現実」──「社会」 とは どういう物なのか──を (芸術・宗教とは違う視点で) 観ていて [ すなわち、「商品」 を ひとつの 「機能」 として観ていて ]、しかも、かれの頭が眼を欺かなかった、ということ。すなわち、他人 (ひと) が述べた意見を前提にしないで、じぶんの眼で 「現実」 を観ていた、ということです。それが 「努力」 ということです [ 小林秀雄氏の言を借りれば、「社会の自己理解から始めて、己れの自己理解を貫いた」 ということです)。ドストエフスキー が逆の接近法をとったことを (ここでは引用しなかったのですが) 小林秀雄氏は エッセー のなかで言及しています。

 「考えるな、観よ!」 という ウィトゲンシュタイン 氏の言を 前回の 「反文芸的断章」 で引用して 「あるがまま (平凡なこと、自明なこと)が難しい」 と私は述べましたが、小林秀雄氏は、[ 6 ] の引用のあとで、かれの エッセー を以下の文で締め括っています。

    何んと容易な、また困難な言であるか。

 そして、この文が [ 1 ] に向かって還流します──「精神は精神に糧 (かて) を求めては飢えるであろう。ペプシン が己れを消化するのは愚かであろう。『私は考える、だが考える事は考えない』 と。ゲエテ は鼻唄でわれわれをどやしつける。こういう言葉は全く正しい。しかしわれわれは果してこれを覚えて誤らぬか」。いっぱいの 「概念」 で穢れた小悧巧な頭には、「現実」 も 「困難」 も 「努力」 も わからないということ──小林秀雄氏は、[ 2 ] [ 3 ] で、そう非難しています。小林秀雄氏の文は、一読では難しいように思われますが、丁寧に読めば、至極 当たり前 のことを綴っていますね──そして、当たり前のことが 「何んと容易な、また困難な言であるか」。

 
 (2010年 8月 8日)


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