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he was greatly upset when he noticed how full of idols the city was. (Acts 17-16)

 



 小林秀雄氏は、かれの エッセー 「心理小説」 のなかで、以下の文を綴っています。

     「一世紀以来一つの疑問が起きた。一つの質問が小説家に提出
    された。一人の人間、成熟せる意識を持つ、クラシック 文学上の
    人間とは、果して真に人間を表現するものであろうか。クラシック
    文学上に現われた人間というのは、現実からある種の要素のみを
    とり、それを智性によって勝手に構成した人間の図形的な単純化
    に過ぎないものではあるまいか」 と。これは伊藤氏の手で引用さ
    れた ルネ・ラルウ の言葉である。彼の言葉は、近代作家たちが、
    クラシック 作家等の描いた輪郭の鮮明な、行為の単純な人間に
    対して戦うためにあらゆる努力を払って来た、その表現は単純より
    ますます複雑へと移行して、今日では人物の固定化した明らかな
    典型というものを描く事は不可能、あるいは嘘となった、という意味
    の事が言いたい言葉なのである。これは例えば ギリシア の アトム
    説より今日の量子説の方が遙かに自然を忠実に記録すると文芸上
    で叫ぶ事に他ならない。なるほどこれは根本的な疑問だ。しかし
    これは人間能力にとっては、ちと根本的すぎる疑問ではないのか。

 上に引用した文は、「心理小説」 のなかで、セクション 2 ──原文では、2 という番号が付与された セクション──の最初に綴られている文です。上に引用した文に続いて、小林秀雄氏は、「自然を忠実に記録する」 ことは 「自然探求に関して直ちに利用すべき新装置」 であるが、「作家の制作の装置は生き物だから一世一代でその最重要部は死んでしまう。科学は前人の誤りを修正して後人に己れの誤りを残すが、文芸の歴史ではそういう事は起らない」、「作品はそれぞれで完成し完結して」 いて 「完璧な形の連鎖である」 と述べて、以下の反論を述べています。

    作家が現実をどのくらい細密に描写するかという事は容易な問題
    である、あるいは容易でないかも知れぬが、作家がその現実追求
    を、どの点で制約するかという事情に較べたら遙かに容易な問題
    だ。

 そして、その意見を立証するために、フロオベル の 「ボヴァリイ 夫人」 から、女性の死に際の描写を引用しています。

    八日経って、中庭で、布など拡げていると、突然血を吐いた。翌日、
    シャルル が窓の カアテン を引こうと、くるりと背中をみせた時、
    女は、ああ、苦しい、と溜め息をはき、気が遠くなった。女は死ん
    でいた。

 この訳文は小林秀雄氏が翻訳した文です。そして、小林秀雄氏は、フロオベル の文が 「簡潔で正確な文章」 だと讃えて、(「心理」 を細かく描写しなければならないと謳っている人たちに対して、) 以下の反問を提示しています。

    彼 (佐藤正美 注──フロオベルのこと) の眼に映じたものは、掴み
    難かったのは、生の現実であったのか、それともその図形であった
    のか。彼は内部現実を描いたのか、外部現実を描いたのか、心理を
    表現したのか、行動を表現したのか。死は恐ろしく複雑であると同時
    にまた恐ろしく単純なものだ。そういう両極端の間を、彼の文章は
    振り子のようにふれている。

 勿論、この意見は、「これからの文学では 『心理』 を詳細に描かなければならない」 と謳って クラシック 文学を非難している人たちに対する (反問の形にした) 非難です。小林秀雄氏の主張点は、文学には時代性などないし──「芸術の時代性とか階級性とかいう要約は、文芸の最も容易な一面を語るに過ぎない」──、「心理」 の詳細な描写のみで作品が完結する訳でもない──「作品はそれぞれで完成し完結している」──、という点です。

 私 (佐藤正美) には、小林秀雄氏の意見は極々当然に思われますが、彼が 敢えて そう謂わざるを得なかった (あるいは、そういうふうに反論しなければならなかった) 訳は、当時、文学上の風潮が まるで ファッション (新流行) のように 「様々な意匠」 を凝らして一時的な熱狂として現れてきたのでしょうね──「プロレタリア 文学」 とか 「新感覚派」 とか 「新心理主義文学」 など。

 無論、「心理」 を詳細に記述する やりかた も ひとつの やりかた ですが、ひとつの やりかた という意味において、ひとつの試みでにすぎないのであって、そういう やりかた で描かれた作品が、「文学の ありかた」 であると云われたら、私は以下のように反論したくなる──「では、『伊豆の踊子』 『蓼食ふ虫』 『聖家族』 などは、クラシック 文学にすぎないのか (在来の小説は、行き詰まっているのか)」 と。──ちなみに、それらの作品は、1926年から 1930年のあいだに出版されたのであって、伊藤整氏が 「新心理主義文学」 を唱えた頃と ほとんど同じ時期に生まれた作品です。そして、そのあとでも──1933年から 1935年のあいだで──、「雪国」 「春琴抄」 「風立ちぬ」 が世に出たということは、「新心理主義」 という一つの主義が作家 (すなわち、作家の制作理論) を束縛しなかった、ということでしょうね。(参考)さらに、その 20年後に、心理小説とは遙かに遠い座標に置かれるであろう 「潮騒」 を三島由紀夫氏は作っています。
 小林秀雄氏が 「アシル と亀の子 T」 のなかで綴った以下の文を私は思い起こしました。

     仲間が仲間の符牒 (ふちょう) を発明して行くのは当然な事で
    あって、例えば テキ 屋諸君は テキ 屋諸君の符牒を活用する。
    そして彼らの間では、符牒は実際行為に関して姿をあらわすだけ
    だから、符牒は常に正当な役割を謙虚に演じている。だが、批評家
    諸君の間では、符牒は精神表現の、あるいはその伝達性の困難を、
    故意にあるいは無意識に糊塗 (こと) するために姿をあらわして
    来るのだから話が大変違ってくる。この困難を糊塗するという事は、
    別言すれば、自分で自分の精神機構の豊富性を見くびってしまう
    ことに他ならない以上、見くびられたこの自分の精神機構の豊富
    性の恨みを買うのは必定 (ひつじょう) であって、符牒は勝手に
    反逆し、自分の発明した符牒が人をまどわすと同程度に当人を誑
    (たぶら) かす。馬鹿を見るのは読者ばかりではない、批評家
    当人たちも仲間同士の泥仕合で馬鹿を見ている。

    私はこういう符牒に信用を置かない男だ。符牒に信用を置かない
    という事が批評精神というものだと信じているものだ。

 人生 (現実の生活) に対して真摯に向かって人生を描くことにおいて作家たらんと意識していれば、作家が みずからの生活理論・制作理論を一色 (ひとつの主義) で塗り潰す訳がない──もし、作家が みずからの眼をひとつの視点で固めたのであれば、作家たることを辞めたのであって、小林秀雄氏風に謂えば、「実生活で間が抜けていて、ひとつの主義でいっぱし人生が歌えるなどという小説家は、小説家でもなんでもない、小説みたいなものを書く単なる馬鹿だ。」

 
(参考)

 川端康成氏は、ジョイス 流の 「意識の流れ」 を採用した 「水晶幻想」 という作品を書いていますが、本 エッセー のなかで示したように、その後、「雪国」 「伊豆の踊子」 を書いているので、ジョイス流の 「心理主義」 を 「新しい文学の ありかた」 だとは思っていなかったはずです。というか、川端康成氏は、一色 (ひといろ) の主義で固まった作家ではなかった。三島由紀夫氏は、川端文学を以下のように記述しています [「川端康成作品選」 (中央公論社、昭和 43年) のなかに収録されている三島由紀夫氏の 「解説」)。

     氏をだますことができなかった観念の数々は、列挙するだけで、あたかも
    百鬼夜行の如くである。曰く、近代、曰く、近代小説、曰く、新感覚派、曰く、
    自意識、曰く、知性、曰く、国家主義、曰く、実存哲学、曰く、精神分析、
    曰く、近代の超克、曰く、思想、曰く、何々。
     現存の文学者で、これらの観念のうち、少なくともその一つや二つに、
    たとえ一時的にでも、だまされなかった人があるだろうか? ところが川端
    氏は、そのどれにも、片時もだまされはしなかったのである!

 
 (2010年 8月23日)


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