このウインドウを閉じる

..., and those who hear it will come to life. (John 5-25)

 



 小林秀雄氏は、「故郷を失った文学」 のなかで以下の文を綴っています。

     成熟した心が必ずしも青年の書に興味を感じないとは言え
    ない。例えば 「ウェルテル」 のように青年の書であって万人
    の心を誘うに足るものもある。今日のわが国の新文学はただ
    青年の文学だというだけではないようだ、青年の文学、しかも
    青春を失った文学だと言えやしないかと思う。その特徴は、
    企図はどうあろうとも出来上がった処は等しく観念的であり、
    即物的な味わいが自然主義以来ますます欠如して来たところ
    にあるのではないか。無論、企図をみないで結果ばかりをみる
    のはよくない事であろうが、また、そこには喧 (やか) まし
    く議論される今日の社会経済問題の他に、急激な西洋思想の
    影響裡に伝統精神を失ったわが国の青年たちに特殊な事情、
    必至な運命を読む事も出来ると考える。

 この引用文は、前回の 「反文芸的断章」 で引用した文の直後に続く文です。

 さて、小林秀雄氏は、「今日の社会経済問題」 と綴っていますが、「故郷を失った文学」 が公表された年は 1933年 (「文藝春秋五月号)であって、歴史年表で当時の政治・経済・社会の動向を調べてみて下さい──動乱のなかで騒然とした社会状態であったことがわかるでしょう。そういう社会状態のなかで 「故郷を失った文学」 が執筆されているので、小林秀雄氏が 「新文学」 と言及している文学が いかなる文学であったかもわかるでしょう。ちなみに、この年 (1933年) の 2月に小林多喜二氏が検挙され虐殺されている。そして、小林秀雄氏が文壇に デビュー して 4年目くらいの頃です。小林秀雄氏は、昭和 13年 (1938年) 頃から、日本の古典文学のほうに向かいます。そして、「故郷を失った文学」 は文芸時評として綴られていますが、フランス の文学・哲学を熟読してきた かれの気持ちのなかには、「古典回帰」 の萌芽を宿していたと想像できる評論だと私は想像しています──というのは、興味深いことに、かれは、この評論を次の文で終えています。

    歴史はいつも否応なく伝統を壊すように働く。個人はつねに
    否応なく伝統のほんとうの発見に近づくように成熟する。

 小林秀雄氏の その後の歩みを暗示するような文ですね。

 本 エッセー では、「故郷を失った文学」 のなかで綴られている文のみを材料にして、それらの文から想起される私の思いを綴ってみます。

 19歳の頃から文学の書物を読んできて 58歳になった私が 「成熟した心」 を持ち得たかと自問すれば、はなはだ怪しい。そして、私は、「ウェルテル」 を若い頃に読んで夢中になったし 40歳代で読み返して夢中になりました。58歳の私は、その書を敢えて封印しています (私の蔵書のなかに置かれています)──というのは、読めば夢中になるから。

 私は、エンジニア を職としていて、じぶんの仕事のなかで、数学・哲学を懸命に学習して 「モデル」 の技術体系を作ってきたし、その 「モデル」 を数多い ユーザ 企業において実証してきたし、家庭生活では (貧乏ですが)、夫で三児の父で、仕事・家庭・地域の世情に通じた 「大人」 です。文学を絵空事として嗤って軽蔑しても尋常とみなされる世間並みの 「大人」 です。しかし、文学には、単に世情に通じていることでは掴みきれない something が 「実存している」──そして、それが私を惹きつけるし苦しめる。

 私は、若い頃にも文学に揺さぶられていたけれど、文学作品を読んで 「共感」 を覚えても、「じぶんを凝視して、じぶんを疑う」 という切迫感など持っていなかった、作家に感情移入して酔ったにすぎない──私の皮膚と社会とのあいだには文学作品という案内書 (指南書) が挿 (さしはさ) まれていたにすぎなかった。「文学青年」 の悪弊に堕ちていました。ただ、不幸中の幸いだったのが、当時 (大学生の頃)、亀井勝一郎氏を愛読していて、「じぶんを凝視して、じぶんを疑う」 こと、「借り物の思想で物事を速断する危なさ」 という知慮を かれから学んでいました。そして、私が文学を じぶんの問題として実感できるようになった時期は 40歳以後であって、私が仕事 (「モデル」 の規則作り) に真っ向から取り組んだ折りです。文学を捨てる世間並みな年令で私は文学を 「正気で」 読めるようになりました。

 そして、システム・エンジニア を職にしている (コンピュータ 技術、ロジック を使う仕事に就いている) 私は、西洋的思考 (西洋流の論理学・哲学) に慣れています──しかし、それは西洋人の持つ西洋的発想法 [ 外的事物に感応する感性・視点・表現 ] ではないでしょうね (英語を学習していて私は それを覚っています)。そうかと言って、私の精神は、古代の日本人精神を核にして西洋的思考が単純拡大された状態でもない、一種奇怪な混和物です。「西洋」 という語を今更使うのが恥ずかしいと思われるほどに西洋化した社会の中で我々日本人は生活しているので、現代の我々は、昭和初期の日本人に較べて、同値類と言い難いのではないかしら。

 私は、じぶんの仕事において、つねに否応なく ロジック の伝統のほんとうの発見に近づこうとしていますが、いっぽうで、私の精神は、はたして、「否応なく伝統のほんとうの発見に近づくように成熟」 しているのかと自問すれば、懐疑を抱かざるを得ない。そして、その懐疑は 「伝統精神を失ったわが国の青年たちに特殊な事情、必至な運命」 なのか。事実、「古事記」 に較べて 「聖書」 のほうが私を魅惑する。そういう私の状態が、たとえ、年令に相応する 「実感」 を底にしていると言っても、観念的な青年的性質が促した所為と較べて いかほど 「成熟」 しているのか──その 「実感」 が曲者なのです。世事に通じているというような惚けた話で ケリ がつくことじゃない。そして、「源氏物語」 を読め、「古事記」 を読め、というような白々しい話じゃない。ロジック の伝統を探究するほどの熱意と正確さで、「精神を精神で直に眺める」 ことが はたして できるのか。しかも、tenuous な状態になった伝統 (血脈) のなかで。還暦に近い私にとって 「文学」 は絵空事じゃない、私の人生そのもの-の課題なのです。

 
 (2011年 7月16日)


  このウインドウを閉じる