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the sheep hear his voice as he calls his own sheep by name, (John 10-3)

 



 小林秀雄氏は、「文学界の混乱」 (の 「私小説について」) の中で以下の文を綴っています。

    (略) 作者があれを書いて、ほんとうに作者と生まれた幸福
    を感じているかどうかが僕は作者自身に聞きたいのである。
    作者は恐らく答えるたろう。文学が悟達への道か迷妄への
    道か誰が知ろう、と。しかし四十年の作家生活の頂に、作家
    たる幸福が、いや幸福ではないとしても作家たる強い矜 (ほ
    こ) りが刻印されていないという事は悲しい事だ。生涯の
    不幸を賭けてこの刻印を確 (しか) と押した作家は沢山は
    いるとは言えぬ。だが確かにいる事を知っているからこそ、
    僕たちは、恐らく文学は人間を必ず不幸にすると思いつつ、
    文学への道に希望が持てるのである。

    (略) 「懺悔録」 に語られている不幸は英雄の不幸ではない。
    凡人の不幸である。しかし読者はこの不幸を及び難い不幸と
    観ずる。言いかえれば、作者が自分の不幸な実生活を救助した
    強い精神力を感ずる。この力が私を語って私以上のものに引き
    あげる。作者は自伝を書いて文学作品となしているのだ。(略)

     彼の戦術は簡単明瞭であった、己れを征服するためには、
    己れを出来るだけ正直に語る事、恐らく 「懺悔録」 の壮大な
    劇は私生活の問題について思い惑っているような僕たちに
    とっては、ちと簡明すぎるだろう、素朴すぎるだろう。しかし
    私小説問題の大道は、結局 ルッソオ に始まり ルッソオ に
    終わるのではないかとも考えられる。

 私は文学研究家ではないので、「私小説」 論を述べるほどの文学的知識を持ってはいないのですが──尤も、そういう文学論を読もうとする意欲も更々持ちあわせてもいないのですが──、職業的作家をべつにして、われわれが じぶんの生活と向きあって じぶんを凝視して じぶんを確かめようとするならば、われわれの綴る文は 「一人称小説 (私小説)」 的にならざるを得ないのではないかしら。しかし、われわれは、じぶん自身の他に読み手のいない日記ですら、往々にして装ってしまう。「じぶんを晒す」 ということは如何に難しいことか、、、。「実生活を救助したい強い精神力」 が (じぶんを晒す以前に) じぶんを鼓舞するための作文を綴ってしまう。そして、文を綴っているときには一時の安楽を感じる、そういう文を書いて、われわれは、竟 (つい) に幸福を感じることができるかどうか、、、小林秀雄氏が指弾しているような職業的作家の欺慢じゃなくて、われわれ凡人の告白 (あるいは、自伝) でも、誑詐がきっと這入 (はい) り込む。「己れを出来るだけ正直に語る事」、素朴すぎるが──あるいは、素朴すぎるが故に──至難な所為ですね。モンテーニュ は、「随想録」 の 「はしがき」 で次の文を綴っています。

     読者よ、これはうそいつわりのない真正直な書物です。
    何よりも先にまず申しあげておきますが、わたしはこの本
    を書くに当って、自分のことよりほかには何も目ざしはし
    ませんでした。あなたのお役にたとうとも、自分のほまれ
    を輝かそうとも、そんなことは少しも考えはしませんでした。
    (略) もし世間からちやほやされたいためであったのなら、
    わたしはもっと自分を飾ったでしょうし、もっと注意した歩み
    でまかり出たにちがいありません。どうか皆さん、この本の
    中に、わたしの自然の・日常の・堅くもならなければ取り
    つくろってもいない・ありのままの姿を見てください。まったく
    わたしは、わたし自身をここに描いているのです。
    [ 関根秀雄 訳 ]

 この文には、モンテーニュ の強い矜りが刻まれていますね。モンテーニュ が述べているような中身になっているかどうかは 「随想録」 を読んで下さい。私は (本 ホームページ の) 「反文芸的断章」 を今まで出来る限り正直に綴ってきましたが、モンテーニュ が宣言しているほどの自信を持って言い切ることができない。モンテーニュ は、次の文も綴っています──上の引用文の中で (略) とした箇所に綴られている文です。

     わたしはただ、自分の親類の者や友人たちの楽しみ慰めの
    ために、これを書いたのです。つまり彼らがわたしを失ったら、
    (やがて彼らはそういう目にあわなければならないのです)
    この本を見てわたしの気分気質のいくらかの特徴が容易に
    思い出せるように、いやこの本を読むことによって、彼らが
    従来わたしについて思い抱いていた知識をいっそう完全な
    いっそう生きたものにしてくれるようにと、ただそう思って書い
    たのです。

 そういうふうに文章を綴りたいと私は心掛けています。職業的作家でもない われわれが施す文飾など見えすいているし、たとえ、正直に綴ろうとしても 幾何かの虚栄が避けられないのであれば、出来る限り正直に綴るほうが いっそ楽ではないか。

 
 (2011年11月23日)


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