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And the tongue is like a fire. It is a world of wrong,... (James 3-6)

 



 小林秀雄氏は、「文学界の混乱」 (の 「私小説について」) の中で以下の文を綴っています。説明の便宜上、それぞれの段落に数字を付番しておきます。

    [ 1 ]
     僕は マルクス 主義文学を信じてはおらぬ。しかし マルクス
    主義が捲き起こした社会小説制作の野心を信ずる。己れを捨
    てて他人のために書くという情熱を信じている。また僕は心理
    主義文学も理知主義文学も信じておらぬが、この道をたどる
    ものが、速かに己れの個人的像の夢に破れ、実生活をしゃぶる
    夢に破れ、新しい文学の国を築く野心に駆られている事を信
    ずる。私小説は今二つの方向から破れようとしているのだ。
    ただ前者は思想に憑かれて己れは苦もなく捨てたが、その
    仕事に新しい己れの顔を発見するに至らない。後者は己れの
    個人的な像を周囲から強いられて破ったが、新しい文学を築
    こうとする内的必然を発見するに至らない。ここに齎された
    文学の混乱は、批評界の混乱と同じように、いよいよ深まる
    であろう。すべてが萌芽だ。出来上がったものは一つもない。

    [ 2 ]
     今年度の傑作は何んであったかという質問に人々は何んと
    答えたか。谷崎氏の 「春琴抄」 と。僕も言下にそう答える。
    そして今日の時世に生きる不思議さを思い、馬鹿々々しさを
    思い、併せて自分の希いについて思うのだ。

    [ 3 ]
     僕は今 ドストエフスキイ の全作を読みかえそうと思って
    いる。広大な深刻な実生活を活き、実生活について、一言
    も語らなかった作家、実生活の豊富が終った処から文学の
    豊富が生れた作家、しかも実生活の秘密が全作にみなぎって
    いる作家、しかもまた娘の手になった、妻の手になった、彼の
    実生活の記録さえ、嘘だ、嘘だと思わなければ読めぬような
    作家、こういう作家にこそ私小説問題の一番豊富な場所が
    あると僕は思っている。出来る事ならその秘密にぶつかり
    たいと思っている。

 [ 1 ] は 「作品と社会」 の関係を論じ、[ 2 ] は 「作品と伝統」 の関係──あるいは、社会の中にあって、実生活そのものをしゃぶらなかった作品の例──を言及して、[ 3 ] は 作家の制作理論を窺っています。文学界では、「社会と個人 (作家)」 との関係が 「社会思潮と文学作品」 の関係に写像されて論じられている割には、当時の名作として、社会思潮とは 一向 縁のない 「春琴抄」 を多くの人たちが選んだという 「今日の時世に生きる不思議さを思い、馬鹿々々しさを思い」 小林秀雄氏は苦笑しています。「社会と個人」 の関係というふうに私は一言で綴りましたが、当時 (1933年) の世相が騒然としていた事──日本軍の満州統治、河上肇検挙、教員赤化事件、小林多喜二虐殺、国際連盟脱退の通告、滝川事件、神兵隊事件、皇太子明仁誕生、治安維持法による検挙者数最多など──は歴史年表を読めばわかるでしょうし、そういう世相のなかで、作家たることの覚悟は いかに意識されていたか。ちなみに、この年の 3月 3日、三陸地震・津波で 3008人が死亡しています。

 上に引用した文を読んでいたら、私は、「現代文学の不安」 (「改造」、1932年六月号) の中の次の文を思い起こしました。

     一と昔前、性格破産者という事が作家の間で言われた。当時
    の私には彼らの描くところは充分に悲劇に映ったが、今はもう
    別様に映る。今日の知的作業が、己れを告白しようとして思い
    止まり、新手法の捜索に憂身 (うきみ) を窶 (やつ) し、作家
    たる血肉を度外視して、自ら方法論の土偶と化しているところ
    に、己れを告白してみてもいずれは流行遅れな性格破産者を
    表現するに過ぎぬ、と感じる漠然たる不安、無意味な逡巡
    (しゅんじゅん) を、私は見るように思う。作家とは果たしてそう
    いうものであろうか。君ら自身こそ真の作家の好個の材料では
    ないのか。

 そして、「批評家失格 T」 (「新潮」、1930年11月) の中の次の文を思い起こしました。

     「芸術を通じて人生を了解する事は出来るが、人生を通じて
    芸術を決して了解する事は出来ない」 と。これは誰の言葉だか
    忘れたが或る並々ならぬ作家が言ったことだ。一見大変いい気
    に聞えるが危い真実を貫いた言葉と私には思われる。普通の
    作家ならこうは言うまい。次のように言うだろう。「芸術は人生
    を了解する一方法である」 と。これなら人々はそう倨傲 (きょ
    ごう) な言葉とは思うまい。だが、これは両方とも同じ意味に
    なる。ただ前者のように言い切るにはよほどの覚悟が要るだけ
    だろう。理窟を考える事と、考えた理窟が言い切れる事とは別々
    の現実なのだ。

     芸術の、一般の人々の精神生活、感情陶冶 (とうや) への
    寄与、私はそんなものを信用していない。

     それより人々は実生活から学ぶ方がよっぽど確かだ。事実
    人々はそうしている。実生活で鍛え上げた心が、どうして芸術
    なんかを心底から味わう。鼻であしらうのは彼ら当然の権利で
    ある。

     実生活に追われて人々は芸術をかえりみないのではない
    のだ。生活の辛酸にねれた心が芸術という青春に飽きるので
    もないのだ。

     彼らは最初から、異なったこの世の了解方法を生きて来た
    のだ。異なる機構をもつ国を信じて来たのだ。生活と芸術とは
    放電する二つの異質である。

 そして、小林秀雄氏は、「文芸批評の科学性に関する論争」 (「新潮」、1931年四月号) の中で次のように断言しています。

    私は確信しておりますが、一流の作家というものは、一般人
    から遙かに離れていると同時に一般人に一等近いものです。

 そういう作家の典型として、小林秀雄氏は ドストエフスキー を見据えています。「文学界の混乱」 の最終文として 「出来る事ならその秘密にぶつかりたいと思っている」 と綴っていたことを果たすように、小林秀雄氏は 「ドストエフスキイ の生活」 という長編 エッセー を公表しています (1949年10月31日)。

 植物が地中に根を張って栄養源を吸収して花を咲かせるように、作家は実生活の中で材料を拾取して 「芸術 (象徴の現実)」 を構成するのでしょう。そして、「生活と芸術とは放電する二つの異質である」。私は作家ではないので、その二つの世界のあいだで作家が果たす質的変換の秘密を推測することはできないのですが、現実的事態を──ただし、それは事業 プロセス に限られますが──モデル として構成する (形式化する) ことを私は仕事にしているので、そういう質的変換が作家の力量に依ることを想像することはできます──ただし、私の仕事では、現実的事態を (「論理」 に依って) 形式化することが使命なので、「個性」 (固有の芸術的表現) を出すことは絶対の禁止事項ですが、「論理」 という制約・束縛を意識した論考が、(小林秀雄氏の作品の中で) 「マルクス の悟達」 です。「マルクス の悟達」 の中で小林秀雄氏は次の文を綴っています。

    彼 (佐藤正美 注、マルクス のこと) にもまた現実だけが
    試金石であった事に変りはない。マルクス は社会の自己
    理解から始めて、己れの自己理解を貫いた。例えば ドスト
    エフスキイ はその逆を行ったと言える。私の眼には、いつも
    こういう二人の達人の典型が交錯してみえる。

 或る意味では、モデル の規則作りを仕事にしている私は文学を私の仕事の 「同値類」 として──ただし、補集合として──眺めているのかもしれない。

 
 (2011年12月 8日)


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