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Your conduct among the heathen should be so good that... (1 Peter 2-12)

 



 小林秀雄氏は、「私小説論」 の中で以下の文を綴っています。

       自分の正直な告白を小説体につづったのが私小説だと
      言えば、いかにも苦もない事で、小説の幼年時代には、
      作者はみなこの方法をとったと一見考えられるが、歴史
      というものは不思議なもので、私小説というものは、人間
      にとって個人というものが重大な意味を持つに至るまで、
      文学史上に現れなかった。ルッソオ は十八世紀の人で
      ある。では、わが国では私小説はいついかなる叫びに
      よって生まれたか。西洋の浪漫主義文学運動の先端を
      切るものとして生まれた私小説というものは、わが国の
      文学には見られなかったので、自然主義小説の運動が
      成熟した時、私小説について人々は語りはじめたので
      あった。

        「芸術が真の意味で、別の人生の 「創造」 だとは、
        どうしても信じられない。そんな一時代前の、文学
        青年の誇張的至上感は、どうしても持てない。そして
        ただ私に取っては、芸術はたかがその人々の踏ん
        で来た、一人生の 「再現」 としか考えられない。」

        「例えば バルザック のような男がいて、どんなに
        浩瀚な 「人間喜劇」 を書き、高利貸や貴婦人や
        その他の人物を、生けるが如く創造しようと、私に
        は何だか、結局、作り物としか思われない。そして
        彼が自分の製作生活の苦しさを洩らした、片言雙語
        ほどにも信用が置けない。(略) トルストイ の 「戦争
        と平和」 も、ドストエフスキイ の 「罪と罰」 も、フロー
        ベル の 「ボヷリイ 夫人」 も、高級は高級だが、結局
        偉大なる通俗小説に過ぎないと。結局、作り物であり、
        読み物であると。」

       これは久米正雄氏が、大正十四年に書いた時評からの
      引用である。僕はこの久米氏の意見が卓見だと思った
      から引用したのではない。しかしこの一文は見様によって
      はまことに興味あるものである。というのは、これは久米
      氏一個の意見ではなく、恐らく当時多数の文人たちが、
      抱いていたというよりはむしろ胸中奥深くかくしていた半ば
      無意識な確信を端的に語っているものと見られるからだ。
      私小説論とは当時に言わば純粋小説論だったのである。

       久米氏の意見の当否は別としても、率直な氏の言葉は
      一つの抜き差しならぬ事実を語っている。それは、西洋
      一流小説が通俗読み物に見えて来たというまさしくそう
      いう点まで、わが国の自然主義小説は爛熟したという事
      で、(略) 今日広い視野を開拓したと自信する批評家
      たちが、何故こういう大切な点を見逃しているのであろう
      か。見逃しているから、今時私小説論でもあるまいという
      無意味な表情をしているのである。わが国の近代文学史
      には、こういう特殊な穴が方々にあいている。僕らは批評
      方法について、西洋から既にいやというほど学んだのだ。
      方法的論議から離れて、そういう穴に狙いをつけて引金
      を引くべき時がもうそろそろ来ているように思われる。

 最終段落で述べられている現象は、私が仕事している コンピュータ 領域でも見られる現象です (苦笑)。

 さて、私小説論。西洋では、ルネッサンス・宗教改革・啓蒙思想 (フランス革命) と芸術との相互作用を考えなければ、「私 (個人)」 という概念を把握できないでしょうね。遺憾ながら、私には、西洋史 (あるいは、西洋の芸術史) の知識が ほとんどない。十八世紀に生きた ルッソオ は、(ルネッサンス・宗教改革を体験した社会が更に) フランス 革命の勃発を孕んだ状態にあった頃に社会的不平等を指弾した人です。私は、かつて (20才代の頃) ルッソオ の著作を三冊 読みましたが、今ではもう どういう中身だったのかも忘れてしまっています。ただ、西洋では、封建制に抵抗して合理的精神や 「人権」 「契約」 を獲得するために烈しい改革を幾つも体験して来た中で、「私 (個人)」 が意識されて来ました。彼等の 「私」 は、現代に生きる我々日本人の意識する 「私」 とは異質である事は確かでしょう。

 (小林秀雄氏の言によれば、) 日本では、私小説は自然主義小説の成熟した頃に論じられて、私小説論は言わば 「純粋小説論」 だったとの事。「純粋小説」 とは如何なる物なのかは、横光利一著 「純粋小説論」 を読んでいただくとして、私が興味を抱いて観ているのは、日本文学史上、自然主義小説と称される作品の前後では、小説の様相が変わったという事です──自然主義小説の後に現れた (ただし、プロレタリア 文学以前の) 所謂 「反自然主義 (高踏派、耽美派、白樺派)」 「新思潮派」 では、明らかに、(「現実」 [ 人間の生態 ] を作家の仮構の中で再現する) 物語性に較べて 「私 (あるいは、私の思想、自意識)」 が作品の中に強く現れて来ている事がわかる。

 私は文芸批評家ではないので、私にとっての文学という視点でしか文学を語る事ができないのですが、私にとって、自然主義小説は退屈ですし、私が惹かれる作家は、その時代では、有島武郎です。芥川竜之介は、有島武郎の事を 「蓄音機で西洋音楽を聴いている感じがする」 と皮肉を綴っていますが、私は有島武郎の西洋的な感覚に惹かれる。有島武郎氏については、かつて、「反文芸的断章」 の中で綴った事があるので、読んでみて下さい──有島武郎氏の作品を現代に生きる私が読んで ワクワク する理由は、かれが実生活で感じていた 「知識階級の悲哀」 を帯びているからではない、作品の主人公 [ 個性の強い主人公 ] が 「じぶんの座標 (個性を活かす場所) を見つけられないで、破滅してゆく」 有様に惹かれるからです。そして、それらの作品において、かれの文体は、欧米風 (翻訳っぽい?) で独特な筆致です。「カイン の末裔」 「或る女」 の終末は、まるで映画を観ているかのような生々しい影像が浮かぶ筆遣いです (物語性としても白眉です)。

 有島武郎氏と志賀直哉氏は、「白樺派」 という一つの派として括れないくらいに、文学性が heterogeneous です。日本文学史を読めば、作家の力量としては、志賀直哉氏のほうが高く評価されています。そして、志賀直哉氏は、私小説作家の代表と云ってもいいでしょう。有島武郎氏に惹かれる私は、志賀直哉氏には共感を覚えない。志賀直哉氏の文体を学ぶ作家は多い様ですが、もし、西洋的思想が日本の中で 「私」 という自意識を持ったら、有島武郎氏はその一人ではないかしら。志賀直哉氏の作品は、作家の眼と 「現実」 は即一している感があるのですが、有島武郎氏の作品では、作家が 「現実の生活 (あるいは、社会)」 に対して個性を充実して作用しようと足掻いている意向を感じます。そして、「惜しみなく愛は奪う」 (有島武郎) の様な思想的 エッセー を綴る事のできた作家は、当時、有島武郎氏の他には存しなかったでしょうね──「私 (私の思想、自意識)」 について、芥川竜之介氏の 「侏儒の言葉」 と読み比べても、それぞれの特性が顕れていて面白い。「私」 について、西洋の思想に熟知した夏目漱石氏 (1867〜1916) が、晩年、「則天去私」 の境地に至ろうとしたのに対比して、夏目漱石氏の 10年後に生まれて、西洋の思想に熟知した有島武郎氏 (1878〜1923) が竟 (つい) に 「日本的なもの」 に回帰しなかった事に私は興味を覚える。批評家たちは (そして、作家たちも) 有島武郎氏については、たぶん、次のように云うのではないかしら──「構成力のすぐれた、大陸的な・人道的な個性の作家だが大作家ではない」 と。

 芸術性の濃い作品が高級な通俗小説でいいではないか、という思いを私は抱 (いだ) いています。「或る女」 「カイン の末裔」 「生まれ出ずる悩み」 は、そういう性質の作品でしょうね。

 
 (2012年 6月16日)


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