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The Kingdom of God does not come in such a way as to be seen── (Luke 17-20)

 



 小林秀雄氏は、「私小説論」 の中で以下の文を綴っています。

       わが国の自然主義文学の運動が、遂に独特な私小説
      を育て上げるに至ったのは、無論日本人の気質という
      ような主観的原因のみにあるのではない。何を置いて
      も先ず西欧に私小説が生まれた外的事情がわが国に
      なかった事による。自然主義文学は輸入されたが、
      この文学の背景たる実証主義思想を育てるためには、
      わが国の近代市民社会は狭隘 (きょうあい) であった
      のみならず、要らない古い肥料が多すぎたのである。
      新しい思想を育てる地盤がなくても、人々は新しい思想
      に酔う事は出来る。ロシヤ の十九世紀半ばにおける
      若い作家たちは、みな殆ど気狂いじみた身振りでこれ
      を行ったのである。しかしわが国の作家たちはこれを
      行わなかった。行えなかったのではない、行う必要を
      認めなかったのだ。彼らは西欧の思想を育てる充分な
      社会条件を持っていなかったが、その代り ロシヤ など
      とは比較にならない長く強い文学の伝統は持っていた。
      作家たちが見事な文学の伝統的技法のうちに、意識
      しているにせよしないにせよ、生きていた時、育つ地盤
      のない外来思想に作家らを動かす力はなかったので
      ある。完成された審美眼に生きている作家らにとって、
      新しい思想を技法のうちに解消する事より楽しい事は
      ない、また自然な事はない。わが国の自然主義作家たち
      は、この楽しい自然な仕事を最も安全に遂行出来る立場
      に置かれていた。誤解してはならない、安全にとは無論
      文学の理論乃至実践上安全にという意味であって、
      彼らの実生活が安全であったというのではない。

 上の引用文の中核概念は、「或る思想が移植され得る社会的土壌 (したがって、それに包摂される文学的土壌)」 および 「西洋の自然主義文学と日本の自然主義文学との相違」 でしょうね。西洋の自然主義文学と 「実証主義思想」 は、あたかも 「通貨の両面」 であったけれど、日本の自然主義文学は、当時、社会的条件として、それを個人のうえで意識する土壌ではなかった、と。西洋思想の影響を帯びて 「私」 概念は意識されたが、その 「私」 を社会的条件の中で文学的に実験する 「思想」 は意識されなかった [ 育たなかった? ] と──その実験は、私 (佐藤正美) の乏しい文学知識では、たぶん、反自然主義の視点で制作された [ 「新感覚派」 と称された ] (横光利一氏作の) 「機械」 (昭和五年) で初めておこなわれたのではないかしら。ただ、その実験は、以後、「紋章」 (昭和九年) では 「自意識の混迷」 を テーマ として、竟 (つい) に 「純粋小説論」 (昭和十年) に至るので、西洋の 「実証主義」 思想の道を歩いた訳じゃない。

 文学の シロート である私が日本の文学的伝統を眺めた時に抱く素朴な疑問事は、「源氏物語」 の様な長編小説が、現代に至るまで、どうして現れなかったのかという事です。あれほどの周到な人物造型・精緻な心理描写・情緒豊かな自然描写を長編の 「物語」 として綴った紫式部は天才としか云い様がないのですが、その後の小説家たちが、それを源流として 「アンナ・カレーニナ」 ふうな物語を仕立てる事はできなかったのかしら、或いは、「平家物語」 を源流として 「戦争と平和」 ふうな物語を構想する事はできなかったのかしら。職業的作家の苦しみを識らない私のような文学の シロート が太平楽を並べているのかもしれないのですが、少なくとも、日本の文学的伝統の中で、ああいう作品が存するのだし、しかも、ああいう作品は、当時、「文学」 を意識して綴られた訳じゃないでしょう。日本では、長編小説と云えば、題材の良質さ (特質さ) に助けられた [ したがって、歴史的な英雄を題材にした ]・文体 (表現) の凝らない通俗小説のように思われているのではないかしら──たとえば、「龍馬がゆく」 「坂の上の雲」 など。私は、文句なしに、「龍馬がゆく」 にも 「坂の上の雲」 にも、(有島武郎氏の 「或る女」 を読んだ時と同じ様に) 魅了されます──しかも、幾度 読み返しても。「あなたは文学をわかっていない」 と非難されそうですが、作品を 「文学」 として意識して読まなければならないのであれば、(大衆向けの出版物という体裁にしないで、) 学会誌に寄稿して 「(表現の) 技術」 を問えばいいではないか。

 日本の文学的伝統の中で継承され摩 (す) り上げられてきた 「小説の性質 (条件)」 とは一体どういうものなのか。勿論、作品は、作家独り独りの個性の産物であって、複数の作品を一縮できるような 「文学的概念」 など存しないのだけれど、長い文学的伝統の中で研ぎ澄まされて来た (日本の作家たちの) 審美眼には、外来の文芸思想 (および、その具現たる小説 [ 物語 ] ) は──その前提的土壌を除いて了 (しま) えば──通俗的な具眼の所思にしか見えなかったのかもしれない。ゆえに、西洋の小説が導入している 「新たな視点」 を技術上で倣 (なら) っても、作家自身が 「to be, or not to be」 という人間の生そのものに対して思想的に向きあうことはしなかったのではないか。或いは、向きあったとしても、その土壌として 「『神の摂理』 と戦う」 という実証的な意思を持っていなかったでしょう──そういう土壌は日本には存しなかったのだから。正宗白鳥氏 (自然主義作家、キリスト 教徒) が有島武郎氏の 「或る女」 を絶賛した理由を私はわかる気がする。

 
 (2012年 7月 1日)


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