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Don't worry about anything,... (Philippians 4-6)

 



 小林秀雄氏は、「私小説論」 の中で以下の文を綴っています。

      夢殿の救世 (ぐせ) 観音を見ていると、その作者と
      いうようなものは全く浮かんで来ない。それは作者と
      いうものからそれが完全に遊離した存在となっている
      からで、これはまた別格な事である。文芸の上でもし
      私にそんな仕事でも出来ることがあったら、私は勿論
      それに自分の名などを冠 (かぶ) せようとは思わない
      だろう。

     これは志賀直哉氏が昭和三年の創作集のために書いた序言
    であるが、私小説理論の究極が、これほど美しい言葉で要約
    された事はかつて無かったのである。氏が今後 「自分の名
    などを冠 (かぶ) せようとは思わ」 ぬ作品を書くかどうかは
    ここで重要な事ではない、それよりもこのような感慨に到達
    した後の氏の久しい沈黙は何を意味するのか。

     花袋が、モオパッサン に、日常実生活の尊厳を学んで以来、
    志賀直哉氏ほど、強烈に且つ堂々と己れの日常生活の芸術化
    を実行した人はない。氏ほど日常生活の理論がそのまま創作
    上の理論である私小説の道を潔癖に一途に辿った作家はいな
    かった。氏が夢殿観音を前にして感慨に耽 (ふけ) る時、氏の
    仕事は行く処まで行きついたのである。純化された日常生活は、
    かつて孕 (はら) んでいたその危機や問題を解消してしまった。
    氏は自分の実生活を相手には、はや為 (な) す事はない、為す
    必要がない。この作家の沈黙の底には、作者が自分の沈黙を
    どのように解釈しているにせよ、実生活をしゃぶり尽した人間
    の静謐 (せいひつ) と手近かに表現の材料を失った小説家の
    苦痛が横たわっているはずである。

     己れの作品に作者の名を冠せまいとは、また フロオベル の
    覚悟であった。「芸術家たるものは、彼はこの世に生存しな
    かった人だと後世に思わせるように身を処さねばならぬ」 と。
    しかし彼が 「不幸を逃れる唯一の道は、芸術に立籠もり、他は
    一切無と観ずるにある。僕は富貴にも恋にも慾にも未練がない。
    僕は実生活と決定的に離別した」 と書いたのは二十四歳の時
    である。実生活の危機を救おうとする希いが、そのまま創作の
    モチフ となり得、しかもこれがために作品の完璧性が聊 (いさ
    さ) かも損なわれた事がなかったという志賀氏の場合との奇妙
    な対比に注意してみるといい。

 私小説が文学である限りでは、日常生活こそ純文学の糧であるという確信があっての事であり、私生活 (private) と社会生活 (public) とのあいだに途絶のない状態の上で、作家の自意識が私生活を凝視して心境を披瀝する 「一人称小説」 として人間生活の総合的な再現なのでしょうね──そういう特質の私小説家として、梶井基次郎氏を私は好んでいます。ただ、私は、梶井基次郎氏の小説よりも彼の手紙文のほうに惹かれる。彼は、小説の習作の様に手紙を綴ったそうです。だから、彼の手紙には、「文体」 を感じる。そういう文体が小説という作品に結実した時に私は さほど惹かれはしない。私は梶井基次郎全集を所蔵していますが、それを買った理由は、手紙文を入手したかったからであって、たとえば、有島武郎氏の全集を買った理由とは違う。

 純文学の糧としての実生活をしゃぶり尽くした作家の静謐は──「強烈に且つ堂々と己れの日常生活の芸術化を実行」 した作家であれば──、「行く処まで行きついたのである」。それゆえに、志賀直哉氏は近代 リアリズム の頂点を極めた作家として 「小説の神様」 と称されたのでしょうね。「暗夜行路」 の後に書くべき作品 [ 新たな生態を描く作品 ] は、もう要 (い) らなかったのでしょうね──大山 (だいせん) の登山中に、時任謙作 [ 志賀直哉氏の化身 ] は自然の中で精神も肉体も溶け込んでゆく事を感じた。いっぽう、有島武郎氏の 「或る女」 では、主人公の早月葉子は、手術室の中で、「痛いよ、痛いよ」 と叫んで作品は終わる。「カイン の末裔」 でも同じ様な悲劇的結末です──「カイン の末裔」 の終わりを次に転載して置きます。

     国道に出ると雪道がついていた。踏み堅められない深みに
    落ちないように仁右衛門は先に立って瀬踏みをしながら歩いた。
    大きな荷を背負った二人の姿はまろび勝ちに少しづつ動いて
    行った。共同墓地の下をとおる時、妻は手を合わせてそっち
    を拝みながら歩いた──わざとらしい程高い声を挙げて泣き
    ながら。二人がこの村に這入った時は一頭の馬も持っていた。
    一人の赤坊もいた。二人はそれらのものすら自然から奪い去ら
    れてしまったのだ。
     その辺から人家は絶えた。吹きつける雪のためにへし折られ
    た枯枝が、ややともすると投槍のように襲って来た。吹きまく
    風にもまれて木という木は魔女の髪のように乱れ狂った。
     二人の男女は重荷の下に苦しみながら少しづつ倶知安の方
    に動いて行った。
     椴松帯 (とどまつたい) が向うに見えた。総ての樹が裸に
    なった中に、この樹だけは幽鬱な暗緑の葉色をあらためなかった。
    真直な幹が見渡す限り天を衡いて、怒濤のような風の音を籠めて
    いた。二人の男女は蟻のように小さくその林に近づいて、やがて
    その中に呑み込まれてしまった。

 早月葉子も広岡仁右衛門も社会に這入れなかった──強い個性のために [ 本能的生活を送ったがゆえに ] 社会から追放された。自身を凝視して 「自分の名などを冠 (かぶ) せようとは思わ」 ぬ境地に達した志賀直哉氏の天才に私は敬意を払います──宗教的境地に近いのではないかしら。しかし、いっぽうで、私は、自身 (個性) を扱いかねて苦悩している有島武郎氏の態に共感を覚えます──私生活も社会生活も信じられぬ [ 「私はどうしても、それらのものの前に at home に自分自身を感ずることができなかった (「惜しみなく愛は奪う」) ]、と。そして、有島武郎氏は、個人的生活と社会的生活の一体として 「本能的生活」 を謳いました (「惜しみなく愛は奪う」)。

    変わらねばならぬのは社界の生活様式である。それが変わって
    個人の生活様式にまで追付かねばならぬ。

 小林秀雄氏は、次の文を綴っています (「マルクス の悟達」)。

    彼 (佐藤正美 注、マルクス のこと) にもまた現実だけが
    試金石であった事に変りはない。マルクス は社会の自己
    理解から始めて、己れの自己理解を貫いた。例えば ドスト
    エフスキイ はその逆を行ったと言える。私の眼には、いつも
    こういう二人の達人の典型が交錯してみえる。

 ドストエフスキー と マルクス との対比は、志賀直哉氏と有島武郎氏との対比に類似しているかもしれない(*)。そして、作家としては、志賀直哉氏のほうが相応しいでしょうが、「思想」 との取っ組みあいという観点では、有島武郎氏のほうが生々しいでしょう。ちなみに、有島武郎氏の謳う 「本能的生活」 は、一面では危険な暗示 (自殺を是とする暗示) がある。

    もし私の愛が強烈に働くことができれば、私の成長はますます
    拡張する。そしてある世界が──時間と空間をさえ撥無する
    ほどの拡がりを持ったある世界が──個性の中にしっかりと
    建設される。そしてその世界が持つ飽くことなき拡充性が、
    これまでの私の習慣を破り、生活を変え、遂には弱い、はかない
    私の肉体を打撲するのだ。破裂させてしまうのだ。

 いっぽう、志賀直哉氏は次の文を綴っています (「児を盗む話」)。

    踏切りの所まで来ると白い鳩が一羽路線の中を首を動かしながら
    歩いていた。私は立ち留まってぼんやりそれを見ていた。「汽車
    が来るとあぶない」 というような事を考えていた。それが、鳩
    があぶないのか自分があぶないのかはっきりしなかった。しかし
    鳩があぶない事はないと気がついた。自分も路線の外にいるの
    だから、あぶない事はないと思った。そして私は踏切りを越えて
    町の方へ歩いて行った。
     「自殺はしないぞ」 私はこんな事を考えていた。

 小林秀雄氏は、「志賀直哉」 という エッセー の中で次の文を綴っています。

     私はどんな作家を語ろうとしても、その作家の思想の何らかの
    形式を、その作品から抽象しようとする安易な希いはしないが、
    如何に生の心を語ろうとしても、語る所が批評である以上、抽象
    が全然許されないとなると問題は恐ろしく困難になるのである。
    志賀氏はかかる抽象を最も許さない作家である。志賀氏の作品を
    評する困難はここにある。私は眼前に非凡な制作物を見る代りに、
    極めて自然に非凡な一人物を眺めてしまう。

    氏の有するあらゆる能力は実生活から離れて何んの意味も持つ事
    が出来ない。志賀氏にあっては、制作する事は、実生活の一部と
    して、実生活中に没入するのは当然な事である。芸術は実生活の
    分裂によって現れる事なく、実生活の要約として現れるのは当然
    な事である。

     しかし問題は、芸術の問題と実生活の問題とがまことに深く
    絡 (から) みあった氏の如き資質が、無類の表現を完成した
    という点にある。氏が己れの実生活を、精緻に語り、しかも
    語られたものが実生活の結果たる告白となる事なく、実生活の
    原因たる希望となる事なく、人間情熱の独立した記号として
    完璧な表現となった点にある。

 作家のこの性質の延長線上で 「自分の名などを冠 (かぶ) せようとは思わ」 ぬ境地に至ったのでしょうね。その天才には私は敬意を払いますが、一礼したら私は去りたい。私の性質とは共鳴しないので。

 
(*) これは 「現実」 に対する接近法についての類似性であって、ドストエフスキーが私小説作家という事ではない事を注意書きして置きます。小林秀雄氏は「思想と実生活」の中で次の文を綴っています。

    ドストエフスキイが生活の驚くべき無秩序を平然と生きたのも、ただ一つ
    芸術創造の秩序が信じられたが為である。創造の魔神にとり憑かれた
    かういふ天才等には実生活とは恐らく架空の国であつたに相違ないのだ。
    (略)かういふ天才達の信念に関する事情には、実生活の芸術化に辛労
    する貧しい名人気質には想像できない様なものがある事は確かだらうが、
    又、かういふ事情も天才に特有なものではない。僕等は皆多少は天才等
    の模倣をせざるを得ない様に出来てゐる。

 
 (2012年 7月16日)


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