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For the one who stood before our God and accused believers... (Revelation 12-10)

 



 小林秀雄氏は、「私小説論」 の中で以下の文を綴っています。

     例えば菊池寛氏や久米正雄氏が、従来の客観小説に抗する
    最も聡明な才能ある作家として登場しながら、後年通俗小説
    に仕事の場所を見出すに至ったのも、作家的良心の弛緩とか
    衰弱とかいう妙なものでは恐らくない。少なくともそういう解釈
    は感傷的な解釈である。両氏が純文学を捨てるに至った根柢
    には、日常生活こそ純文学の糧であると信じざるを得なかった
    一方、日常生活の芸術化そのものに疑念があったという極めて
    当な矛盾があったのである。日常生活の知的な解釈によって
    仕事をはじめた両者の新しい自覚は、成熟するにつれて、客観
    的と言われて来た従来の私小説が隠していた一種の ロマン
    ティスム、久米氏の言葉によれば、「生活の救抜」 のために
    創作しようとする願望と食い違って来た。

    己れの日常生活の芸術化に文学の道を求めるについて、菊池
    氏にあっては、氏の健康な常識がそういう仕事の世界の狭隘
    を感じ、久米氏では特に氏の明るい豊かな感性が、そういう
    仕事の生む悲劇や苦痛を厭った。両氏が文学の純粋性を犠牲
    にして、通俗文学によって文学の社会化を試みるに至ったの
    は、作家意識の上からというよりむしろまことに自然な事の
    成行きであった。

    久米氏に最近 「純文学余技説」 (「文藝春秋」 四月号) という
    ものがある。「近頃流行の、逆説的効果を狙った意味ばかり
    でなく、鳥渡 (ちよつと) した正論だと思うから」 と氏は断わって、
    純文学が生活者の余技なる所以を説いている。純文学を職業化
    しなければならぬという考えが先ず間違っていると氏は言う。

    職業化した文学に立派な文学があるかないかという事実問題は
    別として、純文学には外部から強制されない自律性が存すると
    いうのなら正論である。次に、生活者の余技としてその心境を
    語るのが純文学なら、生活を犠牲にしても純文学を志すとは愚か
    であると氏は説いているが、これもこういう愚かな覚悟で文学
    をやった人の文学が立派であったかなかったかという事実問題
    を別にして、衣食足りて栄辱を知るぐらいの意味なら正論だ。

    しかし興味あるのは、今日の新しい作家たちが、こういう正論
    を素直には受取れない事情の下に、文学活動を強いられている
    という点だ。時の流れは奇怪である。久米氏の生活という概念
    と現代の新しい作家たちの生活という概念とはずいぶん大きな
    ひらきがある。そこのところが注意を要する。

    「純文学余技説」 の説く理屈は何でもない、というよりむしろ、
    あの短文には理屈は語られてはいない。生活の芸術化乃至は
    私小説の純粋化を果たさなかった久米氏の往時の夢のつづき
    がある。生活者としての自覚が純文学者としての自覚を遙かに
    乗越えた時、「夜半夢醒めて、心身寒き時」 夢のつづきを
    「余技」 なる言葉で捕らえた人の述懐があるのだ。

 以上の引用文は、原文では一つの段落として綴られていますが、そのままでは (一つの段落として綴れば) 画面上 読みにくいので、読みやすいように幾つかの段落に切り分けた事を注書きして置きます。

 菊池寛氏・久米正雄氏は、東京大学系の同人誌 「新思潮」 (第三次、第四次) を編んだ作家たちです。彼等の文学思想は、(自然主義文学を継承した) 私小説の自己表白や白樺派 (の理想主義) に対して疑問を抱いて、「現実」 (現実社会の実相) を 「新しい視点で」 見直そうという意識が特徴だったそうです──文学史上では、「新現実主義」 と云われていて、芥川龍之介・菊池寛・久米正雄・山本有三らが、この派の代表的作家だそうです (私 [ 佐藤正美 ] は、こういう類化には興味がない)。菊池寛氏は、作家としてだけではなくて、雑誌経営にも才を示して 雑誌 「文藝春秋」 を大正 12年に創刊し、さらに昭和 10年には (彼の友人たちの名前を冠した) 「芥川賞 (純文学新人賞)」 と 「直木賞 (大衆文学新人賞)」 を創設して、文学を支援しました──それらの賞が現代まで制度として継続されて来て、如何ほど箔 (職業的作家になる登竜門としての影響力) があるかは疑問ですが。

 私は、久米正雄氏の 「純文学余技説」 を読んでいないので、小林秀雄氏の意見に対して賛同も反対もできない。いつ頃から小説が小説家という専門家に委ねられる様になったのかしら──文学史を眺めてみると、近世の出版文化隆盛の中で作家 (近世小説 [ 仮名草子・浮世草子 ] の作家) が誕生した様ですね。戯作を純文学と云うかどうかは疑問ですが。坪内逍遙 以後と考えるのが相応かしら。それとも、二葉亭四迷 「浮雲」 とするのが適切かしら。いずれにしても、明治時代の中頃になって リアリズム が意識されたと考えていいでしょう。そう考えれば、職業的作家が誕生したのは、そう古い事じゃないですね──120年くらいの歴史でしかない。ちなみに、私には 99才の知人がいるので、彼女は物心ついた頃には有島武郎氏の情死や芥川龍之介の自殺を実際の出来事として知っている (!)

 小林秀雄氏の言う 「今日の新しい作家たちが、こういう正論を素直には受取れない事情の下に、文学活動を強いられている」 というのは、昭和 10年代の文学様相を眺めてみれば、転向文学の事かしら──マルクス 主義から転向した作家たちは、自身の転向体験を題材にして自身の生活の再建を探っていたし、古典的精神を中核にした浪漫的再建 [ 近代日本の超克 ] を目指した作家たちもいたので。あるいは、戦時下にあって戦争体験を題材にした戦争文学の事かしら。それとも、国策文学や出版統制の事かしら。いずれにしても、「純文学には外部から強制されない自律性が存する」 という正論を 「素直には受取れない事情の下に、文学活動を強いられて」 いたのでしょう。

 「純文学を職業化しなければならぬという考えが先ず間違っている」 という意見は、もし 「己れの日常生活の芸術化に文学の道を求める」 事は間違っているという意味であれば私は幾分か──すべてではない──賛同しますが、文学をやるために職業的作家になるのは間違っているという意味であれば、それにも幾分か──すべてではない──反抗を覚えます。久米正雄氏の意見は、小林秀雄氏の言う様に、「生活の芸術化乃至は私小説の純粋化を果たさなかった久米氏の往時の夢のつづきがある。生活者としての自覚が純文学者としての自覚を遙かに乗越えた時、「夜半夢醒めて、心身寒き時」 夢のつづきを 『余技』 なる言葉で捕らえた人の述懐」 にすぎないでしょう。なぜなら、「生活の芸術化」 を実現した作家は確かに存するのだから──たとえば、志賀直哉氏の様に。志賀直哉氏の作家としての ありかた を久米正雄氏は否認する事はできないでしょう。

 職業的作家であろうがなかろうが、作家が成した作品として 「豊かな、危ない現実を孕 (はら) んでいない」 ような小説には私は一向惹かれない──私に限らず、たぶん、多くの人たちはそうでしょう。作家の見窄らしい告白──生活をチラリと眺めた様な感想 [ 生活の余技で綴った文 ]──など読みたくもない。作家の独自な文体に惹かれるほど せっぱつまった──なにものかと真摯に対峙した──物語かどうかを読み手は確実に感知する。文学を余技だというふうに公言する様な作家は小説など執筆しないで日記を綴っていればいいのではないか。現代では、さしずめ Twitter で つぶやいていればいいのではないか [ 私の様にw ]。生活の余技として 「罪と罰」 の様な作品を制作できるのなら、久米正雄氏の意見を私は認めますが、私は作品を読みたいのであって、作家の舞台 ウラ (作家の制作態度) を聴きたいとは毛頭思ってもいない。

 
 (2012年 7月23日)


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