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...so that his spirit may be saved in the Day of the Lord. (1 Corinthians 5-5)

 



 小林秀雄氏は、「私小説論」 の中で以下の文を綴っています。

     谷崎氏、佐藤氏も自然主義的私小説に反抗した最も聡明な
    作家であった。両者の文学上の動きに浪漫派という名札が
    普通貼られているが、無論これは、生活を感覚的に叙事的に
    解釈した文学と、心理的に抒情的に解釈した文学との形容詞
    に過ぎない。谷崎氏が最近 「盲目物語」 以来創作の態度
    なり技法なりに大改革を断行したのは周知の事だが、「中央
    公論」 五月号で生田長江氏が、谷崎氏が新しく提唱した古典
    主義の技法論が、近代小説の技法論として不完全であり薄弱
    である事を真正面から論じている文章を読み、一向面白くも
    なかったが妙な気がした。ああいう論文は一見真正面から
    論じているように見えて、実は相手を無理に引き寄せての
    口説 (くどき) のようなもので、谷崎氏が自分で坐っている
    場所や姿は、これはまた別なのは無論、応用しようとする
    新しい技法が近代小説の技法論としていかがなものくらいの
    事を心得ていなくては、ああいう大改革の断行は覚束 (おぼ
    つか) ない。問題は氏の技法の完全不完全にあるのではなく、
    およそ近代小説というものに対する興味を谷崎氏が失った
    あるいは失ってみせたという処が肝腎だ。一体谷崎氏が生田氏
    の忠言を納 (い) れて、技法の修繕になぞ取りかかられたら、
    読者は迷惑するのだが、幸いそういう事は起こり得ない。谷崎
    氏の最近の革命は、評家の忠言なぞ納 (い) れる納れないと
    いう筋合いのものではなく、実生活を味わい尽した人の自ら
    なる危機の征服であり、退引 (のつぴ) きならない爛熟である。
    また、言ってみればこの作者も遂にそこまで社会に追いつめられ
    たのだ。「蓼 (たで) 喰う虫」 に見られるように、日常生活を
    あれ以上純化する事が氏に可能であったかどうか考えて見るが
    いい。近代小説の手法がどうのこうのというような問題ではない
    のである。

 文中、「谷崎氏」 は谷崎潤一郎氏の事で、「佐藤氏」 は佐藤春夫氏の事です。この二人は親交を持ち影響しあったそうです。佐藤春夫氏は、生田長江氏に師事し、与謝野鉄幹の東京新誌社に入ったそうです。そして、世間を賑わせた新聞 ネタ となったのが、佐藤春夫氏が谷崎潤一郎氏の妻と恋愛し、谷崎氏が妻を離縁して、佐藤氏が夫人と結婚したとのこと、当時の朝日新聞は次のように報道しています (「見出し」 のみを転載して置きます)。

    潤一郎氏妻を離別して
     友人春夫氏に與ふ
      長い間の戀愛かつ藤解決して
        近頃振つた連名のあいさつ状

 二人が有名作家だったから巷間にのぼったのであって、この手の話なら我々凡人の生活でも私は二つほど知っています。そういえば、小林秀雄氏も中原中也氏の恋人との間でそういう恋愛をしているし、有島武郎氏も波多野秋子さん (人妻) と情死していますね。

 閑話休題。「私小説論」 の この文を読んだ時に、私は三島由紀夫氏の事を想いました。私は谷崎潤一郎氏の作品を殆ど読んでいないし──「文章読本」 「陰翳礼讃 (いんえいらいさん)」 と 「鍵」 を読みましたが──、佐藤春夫氏の作品は全然読んでいないので、谷崎氏が近代小説というものに対する興味を失い 「実生活を味わい尽した人の自らなる危機の征服」 のために古典主義に向かった事情を推測する事ができない。

 「文学青年」 であれば、愛読している作家 (作家たち) をきっと持っているでしょう、そして その作家 (作家たち) に巡り会うまでに数多い作家たちを渉猟して来たでしょう──その渉猟は、自分の苦悩を癒してくれる (あるいは、自分の性質と共感できる) 作家たちを探し廻る旅路だったのではないかしら [ 私は、気晴らしに読む作品を ここでは対象外にしています ]。私の事を言えば、その旅路で巡り会った作家たちは──日本人作家に限れば──、有島武郎氏・三島由紀夫氏・川端康成氏・亀井勝一郎氏・小林秀雄氏でした。そして、有島武郎氏・三島由紀夫氏・亀井勝一郎氏を読んでいると──彼等の作品を年代順に読めば──、彼等が如何にして (社会の中で) 自らを調 (ととの) えようとしたのかが生々しく伝わって来ます。

 彼等 (有島武郎氏、三島由紀夫氏) が評家 「の忠言を納 (い) れて、技法の修繕になぞ取りかかられたら、読者は迷惑するのだが、幸いそういう事は起こり得ない」 作家でした。そして、彼等を愛読しているのであれば、彼等の性質・思想と私のそれらが幾分か同値類である事に疑いはないでしょう。三島由紀夫氏の 「憂国」 は、「こんなものは文学作品ではない」 とまで評家に酷評されたそうですが、彼は彼の人生において あの作品を書かざるを得なかった [ 「鏡子の家」 もそういう性質の作品です ]。「憂国」 は私の愛読書の一つです。三島由紀夫氏は、当時、文学が成り立ちにくい時代になった事を既に感知していたはずです (あるいは、文学よりも実生活の [ 出来事の ] ほうが豊富な時代であった事を感知していたはずです──ただし、実生活の出来事が、しかも、戦時下を生き延びて戦後は 「想定外の」 人生としか考えられなかった状態に置かれて、勿論、それが文学的に昇華された観念で構成されていた事を作家は知っていた、そういう状態の中で、作家が 「殉教、エロス、輪廻」 を甦生の条件に置いた事を我々は 「前時代的 (近代 ゴリラ)」 として嗤う事は出来ないでしょう。あの割腹を眼前にして、私は評する言葉を喪う。「日常生活をあれ以上純化する事が氏に可能であったかどうか考えて見るがいい。近代小説の手法がどうのこうのというような問題ではないのである」。

 
 (2012年 8月 1日)


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