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Have I now become your enemy by telling you the truth? (Galatians 4-16)

 



 小林秀雄氏は、「私小説論」 の中で以下の文を綴っています。

     自然主義作家等がその反抗者等とともに、全力をあげて
    観察し解釈し表現した日常生活が、新しく現れた作家等に
    よって否定されたのは、彼らが従来の日常生活を失った
    からではなく、彼らの思想が、生活の概念を、日常性と
    いうものから歴史性というものに改変する事を教えたから
    である。彼らは改変された概念を通じてすべてのものを
    眺めた。眺める事は取捨する事であり、観察とは即ち清算
    を意味した。彼ら自己省察を忘れたのではない。省察に
    際して事ごとに小市民性を暴露するが如き自己は、省察
    するに足りなかったのである。感情も感覚も教養もこれを
    新しく発明しようとする冒険乃至は欺瞞を、清算という
    合言葉が隠した。

     マルクシズム 作家たちが、己れの観念的焦燥に気が
    附かなかった、あるいは気が附きたがらなかったのは、
    この主義が精妙な実証主義的思想に立っている事を信じ
    たがためであり、その文学理論の政治政策化を疑わなかっ
    たのは、この主義がまた一方実践上の規範として文学の
    政治的指導権を主張していたがためだ。ここに プロレタ
    リア 文学と マルクシズム 文学とは違うという名論さえ
    起った所以のものがあったのは周知の事である。

 上に引用した文を読んで、私が大学生の頃に──「学生運動」 の末期に──多々聞いた言葉として 「プチブル」 という語を思い出しました──「プチ・ブルジョア (petit bourgeois)」 の短縮語です。「プチブル」 (いわゆる 「小市民」) とは、ブルジョアジー と プロレタリアート の中間に位置する階級 (中産階級) に属する人々で、経済的には プロレタリアート に近い──工業・商業・農業に従事している人たち──が ブルジョア 的文化生活から脱しきれていない状態を蔑視して使われていたように私は記憶しています。そういう 「プチブル」 的生活が社会的 「思想」 からの攻撃の的になった、小林秀雄氏の云うように、「日常生活が、新しく現れた作家等によって否定されたのは、彼らが従来の日常生活を失ったからではなく、彼らの思想が、生活の概念を、日常性というものから歴史性というものに改変する事を教えたからである」。その歴史性というものは、「マル 経」 (マルクス 経済学) の中で 「社会構造の変遷」 として ひどく単純な概念を習ったのですが、もう疾 (と) うに私は忘れています──そういう概念を聴いた時に、「文学青年」 だった私は、ひどく反撥を覚えていた事も覚えています、「スゲー (酷い) 公式主義だ」 と。そういう反撥を感じたのは、私が聡明だったからではなくて 、(前回の 「反文芸的断章」 で述べましたが) 私は、当時、亀井勝一郎氏の著作を貪 (むさぼ) る様に読んでいて、亀井勝一郎氏は既に 「転向」 した状態にあって、尊敬する亀井勝一郎氏が離れた マルクシズム を信じる事ができなかったというにすぎない。だから、前回の 「反文芸的断章」 で綴った様に私は プロレタリア 文学──私にとって、プロレタリア 文学と マルクシズム 文学との違いなどどうでもいい事であって──を読まなかった次第です。寧ろ、当時の私の生活は、「恋愛」 がすべてであったと云っていい状態でした──その恋愛は、数年後に (大学院入学時に) 破局を迎えましたが。

 当時、私は、「文学青年」 として 「プチブル」 を蔑視していましたが、社会思想を以て文学に対する憧れを取り替えようとは更々思わなかったし、寧ろ逆に、益々、社会思想を嫌い文学に のめり込んだ。そう言えば、当時、或る知人と文学論を語っていた時に、彼が ロシア の作家を数人ほど述べたのですが私の識らない [ 読んだ事のない ] 作家ばかりだったので、彼が私を蔑む様な眼をした事は覚えています (笑)──プロレタリア 文学 (あるいは、マルクシズム 文学) に対する私の知見などその程度のものだったのですが、私は一向に気にしなかった。寧ろ、私のほうでは彼の事を 「ふん、逆上 (のぼ) せてやがる」 と思っていたくらいです。「眠れる美女」 (川端康成) を私が彼に語ったけれど、彼は私を 「プチブル」 だと思ったにちがいない (笑)。

 学生運動で騒然としていた学内を友人といっしょに歩いていた時に、宗教団体にも勧説されました。亀井勝一郎氏が 「宗教」 を論じていたので、「宗教」 には思う事もあったので、青年部の部長と面談したのですが、私の思う 「宗教」 とは違うものを感じて入会はしなかったけれど、一つだけ今でも忘れられない事は、その青年部部長が合掌した時の指がとても美しかった事です──私が本気になって 「宗教」 (禅) と向きあったのは 30才を超えてからの事であって、学生時代には若干の興味を抱いてはいたけれど腰がひけていた。

 「文学と政治」 および 「文学と宗教」 は、見て見ぬ振りする事のできない論点なので、私は私なりに考えていました。それらの論点に関する私の考えかたは、亀井勝一郎氏からの影響が強い──彼の意見に近い。そして、私は、依然として、文学を根本に置いています。私は、システム・エンジニア であって職業的作家ではないので、文学を根本に置いていると云っても、それ (文学) と同じくらいに哲学・数学も学習して生活の指針にしています。「思想」 と呼ばれるものを私が意識する様になった動因は、哲学を学習したゆえではなくて、文学を読ん所以だと実感しています──「思想」 を 「思想」 として学んだ訳でもないし、そんな事は物品の取引の様にできる事ではない。作家 (あるいは、思想家) の全集を読んで、彼等との長いつきあいの中で看取するしかない。

 「真理は単純なものなんだよ」 「そう、あなたの頭の様にね」──そう断言されたら、そう応えるしかないではないか、証明・身証の苦労を厭う ヤツ には。私は皮肉を言っているのではない、「思想」 を もう少し丁寧に観たいのです。

 
 (2012年 8月16日)


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