anti-daily-life-20121216
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For it is better to suffer for doing good,... (1 Peter 3-17)

 



 小林秀雄氏は、「新人 X へ」 の中で以下の文を綴っています。

    (略) みんな息せき切って走っている。曰く、食えない覚悟
    で文学をやる。それとも決勝点で ストップ・ウオッチ を握っ
    ている批評家よりましだとでもいうのかな。こんな調子で
    ものを言うのは僕だって好まない。いやがらせととるのは
    君の勝手だよ。だが新人という言葉がどんな力を君に与え
    ているのか。君のなかの何を鼓舞してくれるのか考えて
    ほしいものである。今日のように世代の交替の烈しい時に、
    新人という言葉が濫用されるのはわかり切った話で、新人
    が甘やかされているのではなく、むしろ新人という言葉に
    対して、新人たちの腰が砕けているのだ。新人という言葉
    が濫用される世の勢いについて、一片の文学的良心にもの
    を言わせようとは笑止じゃないか。そうだ、しかしそういう
    考え方に君が媚びているのも笑止じゃないか。新人という
    言葉を適当に嫌悪する術を忘れたところに、新人の弁解が
    成り立ち、反抗が成り立つとは奇怪な事だ。

    (略) 失われた青春とは、かつて人々の好んだ詩題であった
    が、僕らに果たして失うに足るだけの青春があったか、歌え
    るに足るだけ青春を身のうちに成熟させてみる暇があったか。
    少なくとも僕にはなかった。僕は辿って来た苦が苦がしい
    好奇心の糸を省みるだけだ。しかしこれが僕だけの運命だと
    はどうしても考えられない。ただ僕はここから極めて自然に
    生まれた シニスム を、常に燃え上らせて置こうと多少の
    努力を払って来たに過ぎない。

 引用文の第一段落は、「新人」 という通念に対する問題提起文ですね。ちなみに、「新人」 を 「新しい テクノロジー を謳う エンジニア」 に、そして 「文学」 を 「モデル 論」 に置き換えてみれば、私が仕事をしている分野 (システム 分析・設計) にも流用できる言説だと思います。「新人」 に対比できる概念は 「旧人」 ですが、旧人は、もし作品を発表し続けて来て過去の人 (a has-been) になっていなければ、文学では、「老成」 とか 「大家」 とか 「重鎮」 とか 「巨匠」 と考えていいでしょう。そう考えれば、誰だって 「新人」 として スタート する。ただ、その 「新人」 を新しい視点 [ 主題 ] を持った可能性と視るか、それとも経験の少ない青二才 [ しかし、いっぽうで体制に叛逆する生意気 ] と視るかは、旧人側の見かた次第でしょうね。私は 「若さ」 の中に可能性を強く視るほうなので、旧人が 「新人」 を下拙の様に見做(みな)す態度には憤りを覚える。そういえば、私は 35才頃に 「新人類」 と云われた事を思い出しました──「新人類」 という ことば は、その 2年くらい前 (1986年) に流行 (はや) った ことば ですが、20才代の青年に対して云うのならいざ知らず、仕事で或る程度の実績を積んで来た 30才半ばを越え様としている中堅に云う ことば じゃないでしょうw。そう云われた理由は、たぶん、私が、当時、新しい テクノロジー (リレーショナル・データベース) を日本に導入普及する仕事をしていたからかもしれない。1986年には、使い捨て カメラ 「写 ルン です」 が発売された年です──その後に デジタル・カメラ が現れ、更に携帯電話に カメラ 機能が搭載されて、デジタル 技術が普及した現代では、隔世の感がありますね。

 さて、(前置きが長くなってしまいましたが、) 私が本 エッセー で考えてみたいのは第二段落で述べられている意見です──「僕らに果たして失うに足るだけの青春があったか、歌えるに足るだけ青春を身のうちに成熟させてみる暇があったか」 と。小林秀雄氏は、「少なくとも僕にはなかった」 と吐露していますが、彼に関する年譜を観れば、彼の青春は大正末期から昭和初期にあって シュトゥルム・ウント・ドラング (疾風怒濤) だったと私は思うのですが、、、。昭和元年 (大正 15年、小林秀雄氏 24才) に、彼は 「人生斫断家 (しゃくだんか) アルチュル・ランボウ」 を書いています──ちなみに、彼の文壇 デビュー 作と云われている 「様々なる意匠」 は、昭和 4年 (小林秀雄氏 27才) に書かれています。平成 24年に 27才である青年のなかで、「様々なる意匠」 に匹敵する批評文を書く事のできる人は存するかしら。

 小林秀雄氏は 「新人」 として立った時に、アルチュル・ランボウ を掻き抱いていた。そして、小林秀雄・中原中也・長谷川泰子の間には 「奇怪な三角関係が出来上がり」 (「中原中也の思い出」) そして小林秀雄と長谷川泰子は同棲した──小林秀雄が中原中也から長谷川泰子を奪った。

 小林秀雄氏は、中原中也氏の性質について次のように綴っています (「中原中也の思い出」)

    人々の談笑の中に、「悲しい男」 が現れ、双方が傷ついた。
    善意ある人々の心に嫌悪が生れ、彼の優しい魂の中に怒りが
    生じた。

 小林秀雄氏は、そう書いた時、きっと、彼自身と同質のものを中原中也の中に感じていたのではないかしら。自身の精神に戸惑いを感じている人は、社会とそりがあわない。私は、本 ホームページ で、以前、中原中也氏の詩の中から次の文を引用しました──小林秀雄氏も、「中原中也の思い出」 の中で、「二人 [ 中原中也と小林秀雄 ] とも、二人の過去と何んの係はりもない女と結婚してゐた。忘れたい過去を具合よく忘れる為、めいめい勝手な努力を払って来た結果である。(略)」 と綴った後で、(中原中也氏の) 詩 [ 私が本 ホームページ で引用した同じ詩 ] を引用しています。

    私は随分苦労して来た。
    それがどうした苦労であつたか、
    語らうなぞとはつゆさへ思はぬ。
    またその苦労が果して価値の
    あつたものかなかつたものか、
    そんなことなぞ考へてもみぬ。
    とにかく私は苦労して来た。
    苦労して来たことであつた!

 自分の精神を持て余していて、それを文学 [ しかも、詩 ] という形で調 (とと) のえようとする作家の苦悩を吐露した詩文ですね。「彼を閉ぢ込めた得態の知れぬ悲しみが。彼は、それをひたすら告白によつて汲み尽さうと悩んだが、告白するとは、新しい悲しみを創り出す事に他ならなかつたのである。彼は自分の告白の中に閉ぢこめられ、どうしても出口を見附ける事が出来なかつた。彼を本当に閉ぢ込めてゐる外界といふ実在にめぐり遇ふ事が出来なかつた。彼も亦叙事性の欠如といふ近代詩人の毒を充分に呑んでゐた。彼の誠実が、彼を疲労させ、憔悴させる。彼は悲し気に放心の歌を歌ふ」(「中原中也の思い出」)。中原中也氏の原詩 (「在りし日の歌」 のなかから 「わが半生」) には、上に引用した詩文の後で次の文が続いています。

    そして、今、此処 (ここ)、机の前の、
    自分を見出すばつかりだ。
    じつと手を出し眺 (なが) めるほどの
    ことしか私は出来ないのだ。

 恋愛、しかも 「若き ウェルテル の悩み」 の様な烈しい恋愛を体験してきた人たちも多いでしょう。しかし、社会の中で生活を続け様とするのであれば、「青春時代の一コマ」 として記憶の彼方に封印するでしょうね。しかし、自意識がその自己験証 (あるいは、自己証明) として 「告白」 を迫れば、どうなる──小林秀雄氏は次の様に綴っています。

     自我とか自意識とかいふものが、どう仕様もなく気に
    かかった。自己描写用に拙劣な小説家を一人傭ひ込んで
    ゐたやうなものだ。青春は空費されたのか。恐らくさう
    だらう。誰でも自己を語る事から文学を始める。だが、
    さういふ仕事を教へてくれた ルソオ は、自己の告白を
    一番後廻しにした。

 老成して青春を懐かしむという程度であれば、自意識も大した強さではない、強い自意識は孤独を覚えるしかないでしょうね。「おふえりや遺文」 と 「X への手紙」 は、青春時代の告白文でしょう──29才と 30才の時に それぞれ公表されています。社会の中で座標を見いだせなかった魂が、自身の生い立ち──そういう性質を持て余した過去──に対して悔恨を覚えぬ筈がない。「ただ僕はここから極めて自然に生まれた シニスム を、常に燃え上らせて置こうと多少の努力を払って来たに過ぎない」 と。そう云っても、この告白は、強靱な自負 (自意識) の ウラ 返しではないか。そして、小林秀雄氏の批評を読んでいて、「時代風景」 を醸す論調は聊 (いささ) かも感じられない事を私は神異に思っています──その理由は、自意識と向きあう事を主題としたがためなのか、それとも、文体のためなのか [ ただし、旧字体という事を除いて ]、文学の シロート たる私には判断できないけれど、八十数年の隔たりを微塵も感じさせない文というのは奇蹟ではないか。しかしながら、いかなる天才であっても、彼・彼女の生きた時代の制約 (構成条件) を免れることはできないでしょう。その構成条件は、必ず、それぞれの人たちの精神に刻み込まれる筈です。作家の自意識がその条件と如何に向きあったかが後世に問われる。小林秀雄氏は伝統的古典として我々に──少なくとも現代人の、「新人」 の私に──対峙している。

 
 (2012年12月16日)


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