anti-daily-life-20180401
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after God's light had shone on you, you suffered many things, yet were not defeated by the struggle.
(Hebrews 10-32)

 



 小林秀雄氏は、「文芸雑誌の行方」 の中で次の文を綴っています。

     眼の前に一歩を踏み出す工夫に精神を集中している人が、
    馬鹿と言われ、卑怯と言われ乍 (なが) ら終いには勝つで
    あろう。四百年も前に デカルト が 「精神には懐疑を、実行
    には信念を」 という一見馬鹿みたいな教えを書いた。人々は
    困難な時勢にぶつかって、はじめてそういう教えに人間の
    智慧 (ちえ) の一切がある事を悟るのである。

「人々は困難な時勢にぶつかって、はじめてそういう教えに人間の智慧 (ちえ) の一切がある事を悟るのである」──確かに、それを私は実感としてわかる。私は、35歳になるまで、それを実感したことはないし、そういう教えを くだらない人生訓 (他人の後悔?) として見下げていました。

 私がそれを実感したのは、30歳代前半と 40歳代前半のときです。今振り返れば、その ふたつの時点が私の人生の分岐点でした。私の 30歳代前半は、RDB (リレーショナル・データベース) を日本に初めて導入する仕事をしていました。当時、私は MRP パッケージ を日本に導入する仕事をしていたのですが、いくつかの偶然が重なって、MRP パッケージ の導入普及を休止して、RDB の導入普及に従事することになりました (その詳細は、本 ホームページ で綴っているので、ここでは割愛します)。RDB をやることになって当初──私は、MRP をやりたかったので──仕事の意欲を喪失していました。当時、RDB は日本には先例のない プロダクト だったので、米国 (テキサス 州および ニュージャージ 州) の開発会社 ADR 社で教育を受けることになって、たびたび渡米しました。私は、それらの滞在を通して、RDB の機能 (基本的な internals) を習いました。そして、いっぽうで、Eric Vesely 氏 (PMSS 社、データ 設計の コンサルタント) が数年に及んで私を指導してくれました。コッド 関係 モデル も彼から教わりました (その後で、E.F. コッド 氏の論文を私は直接に読んだ次第です)。それらの指導を得て、私は RDB および データ 設計に興味を持ち始めた──この プロダクト は主流になる、と。

 当時 (1980年代初頭)、RDB は 「子どもの オモチャ」 と揶揄されていました。世間では、階層構造型データベース・ネットワーク 型 データベース・ISAM ファイル・VSAM ファイルなどが主流の頃でした。私が勤めていた会社内でも、一部の人たちを除いて、ほとんどの人たちが RDB には懐疑的でした。そういう環境のなかで、私は リレーショナル・データベース が いずれ主流になると確信していました。しかし、日本で先例のない プロダクト を普及するためには工夫しなければならなかった。「眼の前に一歩を踏み出す工夫に精神を集中している人が、馬鹿と言われ」 ようが、やり通すことしか頭になかった。私は RDB (および、データ 設計) を普及するために、世間に向かって随分と挑戦的な (生意気な?) 言いかたをしてきました。私が講師をした セミナー の アンケート のなかには 「若造 (私のこと) が知ったかぶりして」 というような非難もありました。今となっては、懐かしい思い出です。

 私は 37歳のときに独立開業しました。この出来事も人生の大きな分岐点ですが、生活上の転換点であって、仕事上の転換点ではなかった。仕事上の転換点は、40歳のときに、コッド 関係 モデル を前提にして、データ 設計を工夫する仕事に向かったことです。この仕事が今に至るまで、私の主たる仕事になっています。喩えれば、その時に当てのない旅に出たということです。私の当時の才識を前提にして できるかどうかもわからない仕事に手を出した。当時、私には妻も子どもたちもいました。そのような状態のなかで私のこだわりのみで収入の保証がない仕事に向かった。「怖くなかったですか」 と他の人たちに言われたけれど、当時の私はその道に進むことを怖いと思わなかったし、不安も感じていなかった。ただ、「やりたい」 という一心だったように私は記憶しています。

 私は 64歳です (6月で 65歳です、初期高齢者です)。今も、モデル 論 (事業分析・データベース 設計のための モデル 技術) を探求し仕事にしています。今振り返って、30歳代前半と 40歳代前半は、私の人生の分岐点だった。おそらく、多くの人たちにとって、30歳代前半と 40歳代前半は、その後の人生を決めることになるのではないかしら。本 ホームページ の読者が もしその年齢であれば、そして今まで一所懸命に仕事をしてきているなら、自分の直感を信じるようにしてください──勿論、今まで一所懸命にやってこないで夢を一足飛びに見ることは論外です。「眼の前に一歩を踏み出す工夫に精神を集中している人が、馬鹿と言われ、卑怯と言われ乍 (なが) ら終いには勝つであろう」、工夫というのは専念していなければできないし、時の流れには断絶はないのだから。

 
 (2018年 4月 1日)


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