anti-daily-life-20180601
  このウインドウを閉じる


Happy are those who know they are spiritually poor; (Natthew 5-3)

 



 小林秀雄氏は、「雑記」 の中で次の文を綴っています。

     「私の眼は光っている。だが私の心は暗いのだ」 と チェホフ
    が 「手帖」 のなかに書いていたのを昔読んだ事がある。折り
    ふれて心のなかに又新しく幾度でも甦 (よみがえ) る言葉
    というものがあるものだが、僕にとってはそういう言葉の一つ
    である。僕の様な眼でも幾分ずつでも強く光って来る事は
    出来るのだ。いや自ら努めて出来る事はそういう事だけだ。
    併し心を明るくする事は出来ない。そんな方法はないのである。

 「心を明るくする事は出来ない。そんな方法はないのである」、その通りだと思う。「ポジティブ に考えよ」 というふうな書名を付けている ミーハー 本の宣伝を目にすると、私はひどく不快になる。「上から目線」 という ことば があるけれど、こういう書物こそ 「上から目線」 と云うに ふさわしい。この手の 「上から目線」 の ミーハー 本は、ごまんと溢れている。この手の ミーハー 本を見ると私は悪態をつきたくなる──「なァにをいってるんだといいたいね。忿懣にたえんねえ。あそこまでいっちゃったんだよ、ウソ でね」 と。

 「心が明るくなった」 というのは [ たとえば、他の楽しいことを考えるようにするとか ] 一時的な錯覚 (代替・置換による錯覚) にすぎないでしょう。臭いものに蓋をしているだけでしょう。自分に ウソ をつけば、いずれ ボロ がでる。

 
 (2018年 6月 1日)


  このウインドウを閉じる