anti-daily-life-20180701
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when he came close to the house, he heard the music and dancing. (Luke 15-25)

 



 小林秀雄氏は、「山本有三の 『真実一路』 を廻って」 の中で次の文を綴っています。

     僕は非常に音楽が好きである。だから、演奏会では、よく
    うとうと眠る。笑う人もあるが、河上徹太郎の様な音楽の造詣
    の深いのになると、そんな風になると一人前だと言って褒め
    てくれる。実際、演奏会で音楽を聞いている状態は、床の中
    で寝ようとする時の状態に酷似しているのであって、言って
    みれば絶対の屈従によって、心の自由を獲得しようとする
    状態なのである。

 私も音楽が大好きです──クラシック 音楽、童謡・唱歌、歌謡曲 (1960年代・1970年代の歌謡曲 (洋楽も)、最近の J-pop や K-pop)、映画音楽、民族音楽など様々の音楽を ほぼ まいにち 聴いています。音楽を スマホ に多量に収録して、通勤・出張の移動時にも、いつも聴いています。では、私は、どうして音楽を好んで聴いているのか? それは気持ちがいいから、としか言いようがない。モーツァルト を聴いても気持ちいいし、東方神起を聴いても気持ちいい。今、この エッセー を綴っている最中にも、東方神神を聴いています (ちょうど、彼らの 「Rising Sun」 が流れています)。聴くと気持ちがいいから聴くのであって、気持ちがよくならないような音楽など聴かないでしょう

 「歌は世に連れ、世は歌に連れ」 と言われますが、1960年代から 2018年までの一連の (重立った) 歌謡曲を聴いていて、そう思う。歌を聴いていて、当時の思い出が蘇る。そうとう多数の歌謡曲を (PC と) スマホ に収録しているのですが、それぞれ一曲ずつに思い出が付帯している。曲を聴きながら目を閉じると、当時の思い出が広がって一つ一つ深く、いよいよ近く次から次へと現れる。そして、私の手が届くほど近くに その思い出に纏わる人物が寂しく立っている。そこまで来たら、私は歌謡曲を聴くのを止める。そこを越えたら、私のなかに痕跡をのこした どうにもならない過去が私を覆って(気持ちがいいという状態ではなくて) 悲しくなって泣いてしまうから。

 クラシック 音楽には一曲一曲 思い出があるという訳ではない。気持ちがいいから聴いています。ただ、クラシック 音楽を聴くようになった切っ掛けには、強烈な思い出があります。私は、30歳をすぎるまで クラシック 音楽を本気で聴いたことなどなかった。クラシック 音楽を聴くようになったのは、30歳代前半の米国出張が切っ掛けです。

 米国の ニュージャージ 州 (ジョージア 州の アトランタ かもしれない、記憶が曖昧) に海外出張していた時、自動車の免許を持たない私は遠出もできず、近所の モール (ショッピング・センター) で時間を潰していて、色々な店があったので退屈はしなかったのですが、英語を話すのもままならず [ 当時、私は英語が下手でした (苦笑)] 店巡りに疲れて、モール の二階にあった タワー・レコード 店の前に設置されていた椅子に座って (吹き抜けになっている) 階下を漫然と見下ろしていたら、タワー・レコード 店から美しい音楽が流れてきて、私は思わず泣いてしまった。タワー・レコード 店に入って、片言の英語で、店員に 今 流れている曲の カセット・テープ (当時は、CD や MP3 プレーヤ はない) を欲しいと伝えて買いました。その曲が モーツァルト の ピアノ 協奏曲20番です。

 帰国後、まいつき、2万円程度を費やして、クラシック 音楽の カセット・テープ を買いまくって色々な作曲家の音楽を聴きました (クラシック 音楽の カセット・テープ は、当時、2,000円ほどの値段です)。クラシック 音楽の有名な曲を買い漁って聴いた後は、同じ曲を、異なる オーケストラ で聴き比べするようになりました。ステレオ の コンポ にも凝るようにもなった。以来、30年数年、まいにち のように クラシック 音楽を聴いています。

 歌謡曲には思い出が付帯していますが、クラシック 音楽には それはない (クラシック 音楽を聴く切っ掛けになった モーツァルト の ピアノ 協奏曲を除いて)──いずれにしても音楽は気持ちがいいので聴いています。私にとっては音楽のない生活など考えられない。ちなみに、レーニン が音楽について語った面白い感想を、ゴーリキー は 「回想録」 のなかで記しています──

     しかしたびたび音楽を聴くことはできません。神経に影響
    して、愛すべき愚にもつかぬことを言いたくなったり、汚い
    地獄に住んでいながら、こんな美しいものを創ることのでき
    るひとびとの頭をなでてやりたくなったりするんでね。
    (レーニン の ことば)

 確かに、私は音楽を聴いているとき、べつの世界に浮遊している。

 
 (2018年 7月 1日)


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