anti-daily-life-20190415
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...with all your heart, with all your soul, and with all your mind (Matthew 22-37)

 



 小林秀雄氏は、「アラン 『大戦の思い出』」 の中で次の文を綴っています。

     なるたけ理解の手間がはぶける様に、平ったくして、鵜
    呑みに出来る様にとは、誰も知らず識らずやる事で、そう
    いう事に何んの努力が要るものではない。そういう傾向
    は、誰の裡にもある転がりやすい精神の坂道の様なもの
    で、努力が必要にならなければ、精神は決して目覚めない。

 精神というものが知・情・意の総体的活物であるならば、小林秀雄氏の言うように、努力しないで目覚める [ 精神の作用を認識する ] ことはできないでしょうね。「なるたけ理解の手間がはぶける様に、平ったくして、鵜呑みに出来る」 というのは、アルゴリズム (手順どおりに入力・貯蔵できること) と同義であって、マシーン (機械) にも できる作業でしょう──努力 (労働) に値しない。そういう仕事を たくさん さばいても、まるで ベルトコンベア にような体 (てい) であって、そこで重視されるのは 「効率」 のみでしょう。そういう仕事を たくさん さばいて、「忙しい」 と言っても、「誰の裡にもある転がりやすい精神の坂道の様なもの」 でしょうね。

 精神に係わる仕事 (考えることが比重を占める仕事) では、「わかりやすく、手っ取り早い」 書物を私は信用しない──「努力が必要にならなければ、精神は決して目覚めない」。「艱難汝を玉にす」 とは昔から伝えられてきた忠告ではないか。天才たちが著した書物は、我々凡人が数回読んで わかるものではない。しかし、それを一読して わかったことを粧う──デカルト 曰く、「人が二十年もかけて考えたところを、二言三言聞いただけで、一日でわかったと思い込むような人がいる」。私はそういう悧巧な人たちを わんさと観てきて、しかも かれらは頭が良いと自認している そぶり さえ見せてくれるので、うんざりしています。

 しかし、目覚めた精神というのは、社会の制度・慣習を変革するほどの天才的な精神を持たない限り、社会にとっては異物でしかないのではないか。寧ろ、従来からの社会制度や慣習を乱さなければ良い (あるいは、社会を変革するのではなくて若干の改善さえできれば良い) というのが社会 (多くの人々) の思っていることではないか。

 社会を変革するほどの目覚めた精神が突然に現れる訳ではなくて、その周りには数多くの目覚めた精神が存して互いに影響しあい、それらのなかから強く光り輝く精神が現れるのでしょう。ひとつの巨大な精神が生まれるまでには多数の類似した精神が土台となる──しかし、それらの人々が社会のなかで受けいれられることは ほとんどないでしょう。寧ろ、彼らは社会のなかに溶け込まない異物として非難されることが多いのではないか──それが目覚めた多くの精神の末路ではないか。小林秀雄氏 曰く、「ボオドレエルの出現に際して、幾十人のボオドレエルみたいな詩人が暗中に葬られたか。彼一人燦然 (さんぜん) たる所以は、彼一人が当時の生の問題を強烈に体得したがためであろう」 (「アシルと亀の子 U」)。

 我々の大多数は、天才と そして天才を生む ベース (礎) になった高才たちと並ぶような才覚を持っていないのだから、目覚めた精神を持ったとしても社会に対して何ら影響を及ぼさないでしょうし、社会から疎まれることもない。だから、私のような程度の凡人は凡人なりに精神が目覚めていればいい──自分自身の思想を養い而して人生を豊かにするために。

 
 (2019年 4月15日)


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