anti-daily-life-20200501
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So then, where does that leave the wise? (1 Corinthians 1-20)

 



 小林秀雄氏は、「カラマアゾフの兄弟」 の中で次の文を綴っています。

     本当に才能のある人は、才能を持つ事の辛さをよく知って
    いる。その辛さが彼を救う。併し、そういう人は極めて稀れ
    だ。才能の不足で失敗するより、寧ろ才能の故に失敗する、
    大概の人はせいぜいそんな処をうろうろしているに過ぎない。

 幸いか不幸か、私は 「才能を持つ事の辛さ」 を知らない。そして、「才能の不足で失敗する」 ことが多い──つまり、私は凡才である、ということです。私は凡才であることを嘆いていないし、凡才であるが故に開き直って それを 「売り」 にもしていない。凡人は凡人なりに適当な程あいを わきまえているつもりです。私くらいの程度の凡人は、自身の才量を次第に拡げてゆくことしか興味がないし、また それしかできないでしょう。

 しかし、才力のある人 (若しくは、才力があると自惚れている人) または才識がないくせに妙な自信 (自惚れ?) が強い人は、「才能の故に失敗する」 ようです。そういう人たちに見られる特徴の一つは、何についても断定的な コメント をしたがるという点です──その典型的な例は、テレビ の ワイドショー に出演している コメンテータ でしょう、いわゆる a know-it-all な輩です (尤も、彼らの曰 (のたま) う意見を額面通りに受け取る視聴者はいないと私は思っているのですが)。ひとつの事態について コメント するには、資料を集めて それらを読み込んで、それらを統一して判断する力が必要とされるので、(専門外の) 種々様々な事態について コメント するということは当然ながら 「普通の」 人には できないことでしょう──よほど自惚れているか、あるいは羞恥を欠如していなければ。

 YouTube の動画を 数々 観ていて私が残念に思うことは、或る チャンネル が 当初 その うp主の専門分野について すばらしい動画を アップロード していたのに、途中から ネタ 切れになったのか、専門外の領域に手を広げて、挙げ句の果てに うわべのみを見て浅薄な判断を下すというような動画を アップ しはじめたのを目にすることです。領域を拡大するのは なんら問題はない、ただ その領域の拡大が以前の テーマ とは 全然 聯関がなくて、ほとんど あれこれ食い散らし状態になってしまったこと──薄い中身を刺激的な外装で ごまかしていること──を私は 当初 応援 (チャンネル 登録していたが故に) 残念に思うのです。動画につけられる広告収入を得るために、動画を頻々に アップ しなければならないという圧迫が生んだ悲劇でしょうね。月並みなことを刺激的に扱う能力に長けている、これこそ知的節度がないという大きな兆候ではないか。  

 
 (2020年 5月 1日)


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